〈覗きはお互い様〉****10月14日 (火)

 長い会議に倦み、窓に目を遣ると、隣のビルの屋上のアンテナにカラスが数羽とまっている。何なら、こっちを伺っている様子。
「カーカー」鳴き合っている。
「愚にもつかぬ議論をいつまでやってんだ、彼奴らは」
 ほっといてくれ。

 こちらから望遠鏡で覗いているのはしょっちゅうだが、向こうからも監視されているとは思わなかった。

〈都会にはカラスがよく似合う〉****10月13日 (月)

 護国寺の森ばかりではない。
 事務所の周り、カラスは至る所に群れを成し、たむろしている。

 日頃日本で見られるカラスは、大きく二種類に分けられる、という。嘴が太く、おでこがでているハシブトガラス。身体も大きめだ。あとひとつは、嘴が細く全体小振りなハシボソガラス。鳴き声も違う。ハシブトは「カーカー」、ハシボソは濁って「ガーガー」。
 護国寺にいるのは、ハシブトの方。もとは森にいたのが、人間の出すゴミを目当てに都会に住み着くようになったという。ハシボソの方はと言えば、畑や田圃の平地を好み、豆類穀類をエサとする。
 これほど都会化する以前にはハシボソが棲んでいたのを、ハビブトが彼らを郊外へ駆逐しながら森からやってきた、という。騎馬民族が朝鮮半島から九州へ侵入し、農耕の原住民を駆逐しつつ畿内に強大な王権を確立した、というようなものだ。
 カラスに関する本には、どれにもこのように書いてある。見てきたようだ。本当だろうか。

 それにしても、コンクリートのビルの凹凸を自在に飛び交う彼らの様子に、故郷を捨てた者の感傷は少しも見られない。森を捨てたのはほんの数代前のことだ。彼らの血の中に、山に暮らした数万年に及ぶ日々の記憶は色濃く残っているだろうに。山の水は清冽にして冷。山の気は凛然として静。朝霧は羽根を清めたであろう。山に沈む真っ赤な夕日は安らぎを与えたであろう。
 ここにあるのは、灰色のコンクリートと汚れた空気。
 それでも、彼らは少しも意に介してはいない。意に介していないどころか、存分に楽しんでいる。自分らの黒い衣裳は、都会の無機色によく似合う。自分らの濁声は、剥き出しのコンクリートによく響く。
「武蔵野の静かな落日はなくなったが、累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇りの月夜の景観に代わってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか。」
 こんなところか。坂口安吾の「日本文化私観」である。  

〈カラスが増えている?〉****10月8日 (水)

 日毎にカラスが増えているように感じるのは、私の錯覚だろうか。
 事務所から望遠鏡で覗いても、境内に行っても、今の護国寺はカラスで溢れ返っているように思える。
 高い木の梢に。護国寺の森の空に。カラスは群れを成し、思いのままに振る舞っている。邪魔する者は誰もいない。そんな感じだ。みていて、爽快なほどだ。

〈支店長としての沽券〉****10月6日 (月)

「支店長としての沽券」。いや、たいしたことではない。市川支店長が支店長の体面を保つために人一倍熱心に仕事をする。勿論、そんなことではない。食べ物の話。
 昼食に行く。二人とも定食を注文する。そんなとき、「納豆も加えて」、と私が言うと、支店長も大抵いう。「オレも」。
 逆もある。支店長が言う。「卵を付けて」。私も負けていられないから言う。「私も」。

 今日はウドン屋に行った。
 私は「肉ウドン」を頼んだ。つづいて、支店長は、「力ウドン」を注文した。
 なるほど、お餅もいいな。「肉ウドンにお餅をいれることができます?」。「できますよ。肉ウドンにお餅ね」。
 これを聞いていた支店長が何て言ったと思います……
「オレの力ウドンに肉を追加してくれ」、ですって。

〈柿食うカラス〉****10月3日 (金)

 会社の周りは住宅街である。
 家々の庭の柿が色づき始めた。会議室からも一本の柿の木が見える。柿の実が色づくまでは、そこに柿の木があるなんて気が付かなかった。ちょっとした驚きだし、ちょっとした感動である。
 熟れる前の、まだ渋そうな柿の色。なにげないが、日本の秋の品の良さを象徴しているような……。
 会議中、それに見とれていると、カラスが飛んできて実をつつき始めた。
 柿にカラス。似合わぬ気もするが、実際に食っているのだから仕方ない。しかし、まだ青みのあるうちから待ちきれずに挑み掛かるところがカラスらしさか。
「カラスよカラス、柿は美味いか?」

〈規制緩和〉****10月1日 (水)

 今日からウイスキーの値段が下がる。ウイスキー党の支店長はそれが嬉しいらしく、朝から盛んに言う。
「規制緩和っていうのも、いいもんだね」
 単純なんだから。
 こうも言う。
「こうなったら、野球の外人枠ね、あれも止めたらどうかな」
「こうなったらって、酒税と野球は同じですかね」
「何だって同じようなもんだろう」

 昼は、二人でトンカツ屋に行った。道々こう言う。
「昔から不思議に思っていたんだけどね、トンカツ屋になんでカツ丼がないんだろう。材料は同じだからね」
「昔からトンカツは、洋食って決まってんですよ。ソースをかけて食べるくらいですから。カツ丼は和食なんです。だから、そば屋で食べる。うまく棲み分けができている。それで、いいじゃないですか」
「そこなんだよ。そこ。規制緩和をすべきじゃないかね」
 そう、規制緩和の話だったんだ。
「でも、誰も規制なんてしてませんよ。それとも、なんですか、アメリカがこれについて圧力を掛けくるとでも言うのですか」
「トンカツ屋に入って、カツ丼が食べたくなったら、どうすればいいんだ」
「そりゃ、材料が一緒たって、京都の湯豆腐の店に行って、マーボー豆腐が食べたくなったらどうするか。銭湯に行って、スキューバダイビングがしたくなったらどうするか、って言うのと同じですよ。どうしようもない」
「そこを何とか規制緩和をして欲しいんだな」
 馬鹿馬鹿しい。


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