〈八重桜とカラス〉****4月28日 (月)

 護国寺に見事な八重桜が咲いている。咲き始めてすでに一週間は過ぎていると思われる。私が知ったのは、先週の木曜日だ。それ以来、カメラを持って十回以上やってきた。計算が合わない。そう。一日に何回も来ている、ということだ。
 八重桜を見たときから、「満開の八重桜とカラス」という構図で撮りたいと思った。ところが、なかなかカラスが来てくれない。八重桜が咲いているのは、境内の中央。カラスが群れているのは墓地の先、木々の生い茂った森の中。そこには何百羽でもいるのだが……。ほんの二,三百メートルなのだが、この距離が重い。
 午前一回午後二回。一回に三十分ほど待つが、今日に至るまでこの辛抱は報われていない。三十分。たいしたことがないようだが、来るあてのないカラスを待つには十分に長い。
 一方、桜は盛りを過ぎ、日に日に散って行く。
 ところがカラスは来ない。
 もう、桜がなくなっちゃうよ。

 遂に撮りました。見てください。写真になってみれば、何て言うことは、ない。それでも、私にとっては、長く辛い努力が実を結んだ一瞬なのです。

 夢中でシャッターを押し、ひとりで感動して、帰ろうとして、フト気が付いた。市川支店長が桜の下のベンチに腰掛けている。彼も同時に私に気が付いた。
 お互い。ヤァと手を挙げる。
「こんな所で逢うなんて奇遇ですね。どうも最近会社では支店長を見掛けないと思っていたんですけどね」
「オレも、何か話したいことがあっても、いつも、和田君がいないなぁ、とは思っていたんだけどね。こんなところでも、会えて何よりだ」
 何を言ってるんだか。
『満開の八重桜とカラス』の話をした。 「地道な努力をすれば、神は見捨てないものですね」。
「仕事もしないで、何が『地道な努力』だ」。
「支店長だって同じようなもんじゃないですか」
「ボクは先日大発見をしてね……。カラスは本当に遊ぶんだ」
 八重桜の枝にとまっていたカラスが、嘴で花を摘んでは首を振って遠くへ放り投げていた、という。
「スキ、キライ、スキ、キライ、とか言ってました?」
「いや、花びら一枚一枚じゃないんだ。房ごと投げ飛ばすだよ。花で遊ぶなんて、カラスもなかなか風流だねぇ」
 カラス博士によれば、カラス類は鳥類のなかでもっとも進化したグループと言われているそうだ。
「知能は高い。環境への適応力もある。そのうえ風流を解する。和田君とトレードしたいくらいだよ」
「そりゃ、無理でしょう」
「カラスに我社の営業部長が務まらないとでも言うの?」
「いえ、カラスは私の仕事をこなすでしょう。でも、私の方がカラスみたいにカッコよく空を飛べない。いつまでも木にしがみついているだけじゃ、みっともないじゃないですか」
「それもそうだ」
 どうにもだらしない話だ。

〈新緑のなかのカラス〉****4月25日 (金)

 今日も快晴。昨日に引き続き、護国寺へ行った。
 新緑のなかのカラスを、心ゆくまで堪能した。
 枯れ枝のカラスよりも、柔らかい緑を透かした木漏れ日のなかのカラスの方がはるかに美しい、と思った。
 おそらく、それは今が春だからで、冬になったらまた別な感想を持つのだろう。そう、私にとってはいつだって、眼のまでにあるものが一番美しいのだ。
 ともかくも、カラスさんのお陰で、とてもとても幸せな気分になれた。
 今日も良い一日でした。

〈卒塔婆の上のピクニック〉****4月24日 (木)

 快晴。久しぶりに護国寺に出掛けていった。
 黒い姿は変わらぬものの、寒風の中枯れ枝に一羽とまるのは、明らかに、違った雰囲気を醸し出していた。
 枯れ枝の上で、カラスの「気」は内へ向かって凝縮しようとしていた。いま、新緑の中で、カラスの「気」は外へ発散しようとしている。
 こう思った。冬は、カラスにとって厳しい季節だったのだ、と。
 寒い。餌も少ない。凍死するモノも、餓死するモノも多いことだろう。
 彼らが春を迎える喜びは、「少し暖かくなったな」などということではなく、嗚呼生き残った、ということの歓喜であるのかもしれない。
 だから、「嗚呼」は、烏の叫びなのだ。(勿論、これは冗談。念のため)
 ともかく私には、目の前のカラスたちが、ゆっくりとのんびりとしかもしみじみと、春の光の中で、生きる喜びをかみしめているように思えたのだ。
 だから、私も、よかったね、と言ってやりたくなった。

 新緑のなか、卒塔婆にとまるカラス。そう、所詮は死だ。カラスはそう言っている。それでも、地獄への途中、三途の河原で花見に興ずるような、そんなピクニックの喜びを感じた。

〈メザシがタイに見える?〉****4月23日 (水)

「ずっと考えていたんですけどね……」
「何だ。ずっと考えていた、というくらいだから、どう間違っても仕事のことじゃないだろう。どうせカラスかなんかのことだろう」
 当たり。いつだか、市川支店長がカラスの視力を「5」だと言ったことを思い出していた。
 視力が「5」。人間の平均が「1」とすると、五倍あることになる。空の高いところから食べ物を探すのに便利だ。さて、視力が「5」ということは、モノが人の五倍の大きさに見えるのだろうか。すると、空中で路上に落ちているメザシを見つけたとすると、それは、タイぐらいの大きさに見えるのだろうか。 カラスたちはタイを食っているつもりでメザシを食っているのだろうか。
「アリがネズミに見える? ネズミがイヌに見える? マグロが鯨に見える? でも、和田君心配ないよ。生まれたときからそうなんだから。ある日突然にネズミがイヌに見たらさすがにカラスを驚くだろうけど……」
「いや、別に心配はしてませんけどね……。ただ、米粒を食っておにぎりを食ったつもりになれるなら得だな、と思って……」
 二人の会話を聞いていた塩田課長が、あきれたように口を挟んできた。
「二人とも何を言っているんですか。視力が良いということは、モノが大きく見えるのではなく、ハッキリ見えるだけですよ。同じ人間でも、視力「1」の人が「0.1」の人より10倍の大きさに見えているわけないじゃないですか」
「そりゃそうだ。同じステーキを食べて、眼の悪い方が小さく見えたら損なもんな」、と私。
「だから、大きく見えても小さく見えても、三百グラムのステーキは三百グラムなんだって」、と市川支店長。
「そうじゃなくって、視力が違っても見える大きさは同じですって」、と塩田課長。  それを聞いていた渡辺女史が、さらに口を挟んできた。
「塩田課長、いい加減にしてください。そんなくだらない話は支店長と部長に任せておけばいいんです。課長まで加わっていったら、この会社はどうなるんですか……」
 ですって。
 その通り。

〈カラスのシャワー〉****4月22日 (火)

 すっかり新緑に覆われた護国寺の森が朝からの雨の中でもやっていた。
 春の雨は、若い緑の中でいかにも優しく見えた。
 それにしても、この雨の中、カラスたちはどうしているのだろう?
「雨に当たって風邪なんかひかないですかね。傘も持ってないようだし」
「女の髪は烏の濡れ羽色、と言って、なかなかいいもんなんだよ。色っぽいね」
「色っぽいって、そんなことカラスには預かり知らぬことじゃないですか」
「いいんだ」
「いいって……」
「昔からカラスの行水、っていうだろう。カラスは風呂が好きなんだ。雨なんか、シャワーだシャワーだ、ってみんな喜んでいるよ」
 本当だろうか?

〈中国人はカラスを食べるか?〉****4月21日 (月)

 先週までの中国の出張中、気が付いたことがひとつあった。
 それは、カラスの姿を見ないこと。洛陽、鄭州、上海、北京などの街を12日間にわたり旅行をしたが、終に、一羽のカラスに出会うこともなかった。
 今まで中国に行ったことは、百回を超えると思うが、このことに気が付いたのは今回が初めてであった。

 何故、中国ではカラスの姿を見ないのか。
 中国にはカラスは生息しないのか?
 いや、そんなことはない。中国にもカラスはいる。「烏合の衆」などという言葉は、勿論、中国人の発明だ。現代中国語ではカラスのことを「烏鴉」という。
 では、何故、姿を見掛けない。
 考えられるひとつの答えは、人が食べちゃうから。そう言えば、ハトなどはよく料理に出てくる。
 中国の人に聞いてみる。
「中国料理にカラスを使ったものはあります? あるなら食べてみたいんだけど」
 上海でも北京でも答えは同じだった。
 食べない。ありゃ、いかにも縁起が悪い。そういうことだった。

 広州ではどうだろう。何でも食べるというのが広州料理だ。四つ足は机以外は、空飛ぶものは飛行機以外は、海にいるものは潜水艦以外は、食べることになっている。多少縁起が悪くても飛行機よりは食べやすいだろう。
 広州の知り合いに手紙で問い合わせをしてみよう。

〈新緑〉****4月18日 (金)

 12日間の中国出張から帰ってきた。
 出社して、先ず驚いたのは、護国寺の森の新緑。森全体がすっかり緑に覆われている。それも、芽を吹いたばかりのみずみずしい緑だ。
 枯れ木とは違う美しさ。
 枯れ木とは違う生命力。
 一方は緊張した、凝縮した、耐えるような。一方は弾むような、膨らむような。
「やっぱり、常緑樹の緑とは違うね」
 市川支店長が言う。
「ポイントは、死ですね。一度死んでよみがえる。だから美しい。死と新たな生命の誕生。エロスですね」
「やはり、セックスか。<死ぬ死ぬ>なんてよく言うもんな」
 渡辺女史が聞いていて言う。
「どうして、新緑のみずみずしさがそんな話になっていくんでしょうかね」、だって。

〈カラスの視力〉****4月4日 (金)

「和田君、カラスのシリョク知ってるかい」
 シリョク? 資力? 死力? 視力?
「シリョクって何ですか?」
「ほら、1.2とか1.5とか言うだろ」
 視力のことだ。よくそんな疑問が浮かんでくるものだ。
「5から6はあるらしいよ」
「やっぱり、片目をおしゃもじで隠して、<い>とか、<こ>とか読ませるんですかね」
「いや、網膜の細胞の密度から推測するらしい」
 さすが、カラス博士だ。何でもよく知っている。
 確かに、高い空から食べ物を探す。それくらいの視力は必要なのだろう。それにしても、近視のカラスはいないのだろうか。歳をとると老眼にもなるのだろうか?

〈新入社員(2)〉****4月3日 (木)

 朝礼が終わった後、いつものように双眼鏡で護国寺の森を見ていた。この時間は、「出勤後」で残っているカラスはきわめて少ない。
「何が見えるんですか?」
 後ろで声がした。新入社員の濱地さんだ。
「だから、カラスを見ているんだって」
 一瞬、奇妙な雰囲気が流れた。また、不思議そうな、曖昧な、どう反応して好いのか分からない、という顔をしているのだろう。
「カラスを見ると、どうなるんですか?」
「……」
 今度は私が答えに困った。

 どうかなるか、と聞かれたら、そりゃ、どうにもならない。そんなことは、新入社員に教えられなくても、私も知っている。
 で、結局なんなのだろう。
 若い女性から見ると、双眼鏡でカラスを覗いているおじさんは、ほとんど異星人のようなものなのだろうか。交信不可能。危険千万。猥褻隠微。

〈新入社員〉****4月2日 (水)

 昨日から新入社員が入ってきた。
 そのなかの一人にこう尋ねられた。
「それ、何に使うんですか?」
 濱地さん。大妻女子大卒。私に一番近く席を与えられた。大妻女子大というくらいだから、勿論、女性だ。大妻というくらいだから、大柄の姉さん女房みたいな人かというと、そうではない。可憐なお嬢さんだ。その濱地さんが、私の背、窓際においてある双眼鏡を指さしている。
「カラスを見るの……」
 こう答えると、一瞬、可憐な顔が、不思議そうな、曖昧な、どう反応して好いのか分からない、という表情になった。会話はそれで終わった。

 カラスを見るのはおかしいことなのだろうか。いっそう、煙突が見えている「松湯」の女風呂を覗くんだ、と答えたほうが安心してもらえたのだろうか。

〈桜にカラス〉****4月1日 (火)

 事務所のあるビルの前に木が植えてあった。その木は桜であった。咲いて、初めて気が付いた。
 不思議なものだ……。
 年に一度。最高に輝く場が与えられる。風景の中に埋もれていた木が、一度だけ、存在を主張する。
 私たちは、そのことに驚く。
 それとも、少しも不思議なことではないのだろうか。
「旅は舞台 演ずるのはあなた」

 満開のその木に、カラスがとまっていた。
 カラスも花見のつもりだったのか。ところが、桜にカラス、全然似合わない。黒いイブニングドレスを着て、頭を高島田に結ったような。誕生パーティと葬式を一緒にやっているような。

 しかし、そんなことは、カラスの知ったことではない。桜の知ったことでもない。桜は黙って咲き、カラスはその上でガアガアと鳴いていた。


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