〈ダチョウの溜息〉****5月29日 (木)

「何を考えているんだ?」
「ええ、いろいろ」
「また、カラスのことだろう」
「いえ、ダチョウのことです」

 ダチョウは、何故、飛ぶことを止めてしまったのだろう。せっかく鳥に生まれたものをもったいないではないか。
 飛ぶのが怖くなった?
 飛ぶための苦労が惜しくなった?
 飛ぶのに飽きた?
 太りすぎて飛べなくなった?
 二本足でいかに速く走っても、どこか空しい。速く走れば走るほど、空しさは大きくなる。彼らは、空を見上げ、高々と飛ぶ鳥を見やる。思わず溜息をつく。もう一度、飛んでみたい。あの大空を。もう、イヤだ。走るのは。

「そうかな。ダチョウの溜息なんか聞いたことないな」
「昔、森新一の歌にあったじゃないですか、女の溜息。女の溜息があるくらいですから、ダチョウの溜息ぐらいあったって不思議じゃないですよ」
「そういうもんかな」
「そう。そういうもんですよ」

〈鳥の特権〉****5月27日 (火)

 雲ひとつない青空をバックに、真っ黒なカラスが五羽、羽をゆっくりと動かしながら、大きな輪を描いて飛んでいる。
 実にカッコいい。


 窓の下の道で、はとが四、五羽餌を漁っている。通行人が蹴りそうになるまで近づいても、逃げようとしない。
「一日じゅう何かを食ってるね。あれもチャイムは関係ないや。気楽なもんだ」
「支店長は知らないでしょうけど、大変なんですよ。空を飛ぶって。エネルギーが要るんですから。空を飛ぶ身の苦労も知らないで、そんなこと言ってはハトさんに失礼ですよ」
 体も大きく漆黒の輝きを持つカラスに較べれば、ハトなんかは惨めなものだ。それでも、引力に逆らって空を飛ぶ。並のことではない。私も飛んだことはないが、おそらく、大変なことなのだろうと思う。空を飛ぶことの凄さに較べれば、始終何かを食べ続けているぶざまさなんか、たいしたことではない。
 最初に空を飛んでみた鳥のことを想う。エライ奴だ。よくぞ、思い切ったものだ。
「始終何かを食っていると言えば、モンゴルの羊ね……。あれも始終、顔もあげないで草を食い続けているけど、ありゃ、空を飛ばないね」
 何で羊が出てくるんだ。
「羊が空を飛んだら、羊飼いも、牧羊犬も空を飛ばなければならなくなるじゃないですか」
 飛翔。それは、鳥の特権なのだ。羊なんかが、空を飛べるわけがない。

〈チャイムとカラス〉****5月26日 (月)

 昨日の激しい雨とは一転、晴れ渡った空が広がっている。護国寺の森は、瑞々しい緑が、膨らみ、盛り上がって、揺れている。
 今朝の烏の飛翔は、実に、気持ちよさげだ。見ている私の方も胸がスーとする。
 スーとする分、いつもより早くお腹が空く。
「支店長、食事行きません?」
「食事って、まだチャイムなってないよ」
「私はチャイムを分かっているんですけどね、お腹の方が、必ずしもチャイムと折り合いが悪いようで……。チャイムに従うべきか、自分のお腹の声に、謙虚に、耳を傾けるべきか……。それにしても、チャイムを待って一斉に食事を始めるサラリーマンて何でしょうね。カラスは自由だ。見てください。大空を風に乗り飛び回るカラスたち。人の一生って何なのでしょう」
「何を言ってるんだ……昼メシぐらいで」

〈一将功なりて……〉****5月22日 (木)

 人事異動が発表になった。
 市川さんが、取締役東京支店長から常務取締役東京支店長に昇格した。
 よかった、よかった。
「おめでとうございます。ところで、常務って何ですか?」
「何だろうね。やることは、今までと同じだろう」
「今まと同じって、今まで何もやってないじゃないですか……」
「そうだよなあ……」
「会社は何を見てるんですかね……」
「おかしいよな。でもオレに文句言っても、しょうがないだろう」
 確かに。

「ところで、一将功なりて万骨枯る、って知ってます?」
「知ってるけど、それがどうした?」 「支店長の出世の陰には、私を始めとする社員の累々たる死体の山が築かれていることを忘れてはいけませんよ。その死体を求めて、ホラ、窓の外にはカラスが群をなしている」
「少なくとも、和田君の死体はないと思うよ。下克上だからね。いつかオレの寝首を取ってやろうと狙っている。カラスが待っているのは、オレの死体じゃないの」

 どっちが先でも同じことだ。早いか遅いかだけの違いで、いづれ、カラスの餌になる。人生なんてはかないものだ。
 でも、どうせ同じなら、常務でも専務でもなった方がよい。と、いうわけで、市川さん、おめでとうございます。

〈下っ端は楽じゃない〉****5月21日 (水)

 カラスに限らず、集団でねぐらを形成する鳥が多くいる。何故だろう。
 カラス博士はこう言う。
「敵がきてもそれだけ早く発見できる」
 私はこう反論する。
「集まっているだけ、敵に狙われやすいじゃないですか」
「それでも、少数の犠牲で、全体が得をする」。

 問題は、誰がねぐらの中心にいて、誰がねぐらの周辺にいるか、だ。
 一番外側にいるヤツは、一番危ない。彼が敵に襲われ騒ぐことで、全体が助かる。全体が良くても、食われる本人は面白くもなんともない。木の下に泊まっているヤツは、上からボタボタ糞が落ちてくる。黒いカラスが上役の白い糞で白ガラスになっちゃう。寒い冬には身を寄せ合って暖を保つ。真ん中にいるヤツはホカホカ暖かい。端っこにいるヤツには、北風が冷たい。
 下っ端はカラスも人もたいへんだ。

 アナーキストとして、独りで生きるのも生き方だ。権力の中枢を目指して出世闘争に身を投ずるも生き方だ。ギャアギャアと鳴きながら、カラスもカラスなりに悩んでいる。きっと。

〈カラスの卵は黒い?〉****5月19日 (月)

 青みがかった緑色の卵から孵る雛は、どんなのだろう。
「黒いですかね?」
「和田君ね、カラスが黒いのは、羽が黒いんだよ。生まれたてのカラスは羽がはえていないんだから、黒かないだろう」
「何色ですかね」
「ピンクだろう」
「ピンクのカラスね……」
「それにしても、不思議に思っていることがあるんですけど……」
「何でも聞いてくれよ。カラスのことなら」
「五センチの卵から産まれてくるくらいですから、最初は小さいですよね。で、なぜ、小さいカラスは飛んでいないんですかね。スズメぐらいの大きさの黒い子ガラスが春の終わりにいっぱい飛んでてもよさそうなものなのに、見たことない。おかしいじゃないですか」

 少しもおかしくないのだそうだ。
 殻を破って出てきてから、巣立つまで一ヶ月かかるという。その間、母鳥はせっせせっせと餌を運ぶ。一度に、三羽から六羽の子が孵るというから、たいへんだ。その一ヶ月で、ほとんど成鳥と同じ大きさに育つ。空を飛ぶのはそれからだ。
 だから、スズメの大きさのカラスが飛んでいる姿を見ないのだそうだ。
 母親ゾウについてちょこちょこ歩く子ゾウを思い浮かべた。母親についてよちよち歩く、カルガモの赤ちゃんでもいい。
「つまらないですね。母親カラスといっしょに、よちよち飛ぶカラスがいてもいいのに」
「そんなの、みんな、トンビに食われちゃうよ」
 なるほど。子ガラスも大変なんだ。

〈カラスの卵は黒い?〉****5月16日 (金)

 市川支店長に聞いてみる。
「カラスの卵ですけどねぇ……」
「分かった。言うな。……。カラスの卵は黒いか、っていうんだろう」
「当たり。よく分かりましたね」
「糞の前例があるからな。それにしても、カラスが視力がどうだとか、糞の色とか、卵の色とか、ほかに考えること、ないの?」
「ないですねぇ」

 残念ながら、黒くないのだそうだ。
 カラス博士によると、青みがかった緑色。それに灰色や褐色の斑点がついているのだそうだ。大きさは、タテ、いや、どっちがタテか分からないが、長い方が五センチ、短い方が三センチ。
「ふーん……」
 青みがかった緑。
 黒いカラスが神秘的な色の卵を産むものだ。
 母親は自分が産んだ卵をしげしげと見て思うだろう。
「わたしゃ、どうしてこんな不思議な色の卵を産んじゃったのだろう」、と。

〈卵はなぜ卵形なのか?〉****5月14日 (水)

 カラスの巣でのピヨピヨ、ギャアギャアの続きである。

 ところで、卵は、なぜ、卵形なのだろうか?
 真ん丸。立方体。いろいろあってもいいはずだ。ところが、不思議なことに、卵は卵形でしかない。何故なんだ。
 産みやすい? 温めやすい? 転がりにくい? 壊れにくい? 中から殻を割りやすい? ゆで卵にしやすい? 目玉焼きを作るときフライパンの角にぶつけるのに握りやすい?
 しかし、それにしてもあくまで結果だ。親鳥が転がりにくくするために、一生懸命卵形にして産んでいるとは考えにくい。そこには、神の如何なる摂理が……?
 世の中分からないことが多すぎる。と、言うより、殆ど何も分かっていない。私たちは何と無知なんだ。

 そう言えば、中国河南省の博物館で恐竜の卵を見たことがあるが、それも、同じ形をしていた。もっとも、あれでゆで卵を作ったら、食べるのに大変だ。ラクビーボールぐらいはあるのだから。

〈ハンガー泥棒は罪?〉****5月12日 (月)

 普段は群棲するカラスも繁殖の時期は、つがいとなって自分のテリトリーを守って暮らすと言う。
 丁度今がその時期だ。
 ものの本によると、こうだ。
 つがいはだいたい三月中には巣を完成させ、四月の初めには、三個から六個の卵を産む。抱卵は二十日間。つまり、今頃、カラスの巣では雛がピヨピヨだか、ギャアギャアだか知らないが、新しい生命を誕生させつつある。
 何はともあれ、おめでたいことだ。

 市川支店長がこんなことを言う。
 一ヶ月ほど前のこと。電車で隣に乗り合わせた老人が独り言にぶつぶつ言っている。どうも、カラス、カラスと言っているようだ。普段なら無視するところ、カラスのこととあってはほっておけないと、「何ですか?」と、聞いてみた。その老人はカラスを怒っている。庭の物干し竿に掛けてある針金のハンガーを口にくわえてどこかへ持っていくのだそうだ。黒いうえにハンガーまで盗んでいく。フテエ奴だ、と。
「ところが、この頃は巣作りの時期で、丈夫な巣を作るためにカラスも必死なんだよね。針金のハンガーはなかなかの材料だ。どうしたもんかね、和田君……」
「黒いことを文句言われちゃ、カラスも浮かばれないですよ。昔から、ポストは赤。公衆電話は緑。降伏は白旗、カラスは黒、って決まっているんですから」
「そうかな。公衆電話の色は、昔から緑って決まっていたかな。で、ハンガーはどうする」
「盗むっていうけど、カラスは盗んでいるつもりはないだしょう。そこにあるから持っていっているだけで。日本国の法規に基づいた所有権の主張をカラスにしてもねぇ。逮捕状を出して、手錠を掛けて、裁判をするのかなぁ。カラスの答弁を翻訳する通訳を用意しないと公正な裁判にはなりませんけどね……」
「そうはいっても、盗まれた方も困るだろう。カラスの巣作りに協力しようとしてハンガーを吊しているわけじゃないんだから」
「……」
 どう考えればいいのか。
 それとも、考える必要なんかないのか。

〈過去って何?〉****5月8日 (木)

 謎は解決した。それでも、私の心にミステリーのかけらが残った。

 私は家に帰り古いアルバムを調べた。「伊藤嘉彦」は私のアルバムには写っていなかった。当然のことだ。
 でも、もし、「伊藤嘉彦」が、お前は間違いなく俺の同級生だ、と主張したらどうなったのだろう。私は書くだろう。私のアルバムにあなたは載っていません、と。もし、彼が、自分のアルバムにはお前が写っている、こう言って、そのアルバムを送ってきたらどうなるんだ。そして、三十数年前の私が、本当に、写っている。
 そうしたら、どうなるんだ。
 私の記憶の保証は、アルバムだけだ。余りに頼りないではないか。もし、アルバムがなかったら、私の過去はどうなるのだ。そもそも、過去ってなんなのだろう。過去の記憶とは何なのだろう。過去とは過去の記憶のことだろうか。

 私は、子供の時のことを思い出し、分からなくなることがしばしばある。
 あの場面は、過去そのものだろうか。それとも、こういうことがあったはずだという記憶なのだろうか。それとも、こういうことがあったという記憶を記憶しているのだろうか、と。

〈「判明」〉****5月7日 (水)

 本日早速に返事を受け取った。もちろん、「伊藤嘉彦」さんからだ。

<判明!!!

生年月日を"昭和"と勘違いしていました。
私は昭和48年生まれです。

大変申し訳ありません。
どうりで,中学時代の友達に話を聞いても「外語大」の人はいないというし,おかしいと思いました。

ホームページは大変グラフィカルですばらしかったです。
中学校の大後輩ということで,今回の失態をお許しください。
結局,ミステリアスな推理もすべてはずれ(1つめの推理に近いのかなあ)でしたが、決して2つ目の推理のようなことではないので,お気を悪くしないでください。>

 馬鹿馬鹿しいやら。情けないやら。なにが「判明」だ。なにが「大後輩」だ。
 それにしても、見も知らぬヤツだが、不思議なもので、中学の後輩というだけで親近感が湧くし、可愛い人間に思えてくる。この馬鹿馬鹿しさは、「大後輩」伊藤某に属する馬鹿馬鹿しさではなく、過去を妄想し、空虚な言葉を操る人間全般の馬鹿馬鹿しさであるのかも知れない。私自身、ミステリアスな夢想。あるいは、三十数年前の薄れかけた記憶への遡及。突然に舞い込んだ言葉足らずのメイルで、しばし、楽しませてもらった。でも、そのこと自体が、本当は馬鹿馬鹿しいのだ。

 気が付けば、今日も、外ではカラスが鳴いている。
 そう、カラスの話。カラスたちには、こんな曖昧な言葉のやりとりは想像もできまい。彼らの鳴き交わすだみ声は、もっと切実だろう。もっと真剣だろう。もっと確固たるものだろう。

〈Long long time ago, I was a boy.〉****5月6日 (火)

 ゴールデンウィークの休みを、伊藤某とは誰か。あのメイルは何なのかを考えて過ごした。念のために、押入の奥から中学校の卒業アルバムを引っぱり出して、調べた。
 やはり、ない。
 休み明け、気を取り直して、「伊藤嘉彦」さんにメイルを送った。

<随分考えました。私の中学の同級生に伊藤さんという人がいただろうか、と。
いたことはいましたね。ただ、伊藤猛といいました。では、学年全体ならどうだろう。いただろうか?古い卒業アルバムを引っぱり出してきました。だけど、伊藤嘉彦という人はいませんでした。

どう考えたらいいのでしょう。
ミステリィ小説の主人公みたいですね。

<一つ目の可能性>
そもそも、このメイルは私が受け取るべきものではなかった。何かの間違いで着いてしまった。
私の名は、和田。ユーザー名はhitsujikai。私のホームページは「旅は舞台 演じるのはあなた」。
どうですか。そのつもりでメイルしましたか。

<二つ目の可能性>
あなたの、まったくの、冗談で送られた。

<三つ目の可能性>
東深沢中学のひとつ下の学年に伊藤さんはいました。ひとつ上にもいました。二人は兄弟でした。この二人とはバスケット部で一緒でした。その伊藤さんなら分かります。

私の生年を1973年といっていますが、私は1949年生まれ。それは、「履歴書」の中では正しく表示されています。どこで、私の生年を73年と思ったのでしょうか。実は、このことが、私に<一つ目の可能性>を真っ先に思い浮かべさせた理由です。

いづれにしても、ご反応を期待しています。>

 どうだろう。どんな返事が来るだろう。

〈Who are you ?〉****5月2日 (金)

 5月だ。外では、相変わらずカラスが群をなして旋回している。そして、相変わらず、「カァカァ」と鳴いている。
 あれは独り言だろうか。それとも、他人に聞かせるために鳴いているのだろうか。

 少なくとも、鳴き声には意味があるのだろう。
 何らかのメッセージが含まれているのだろう。「敵が来た」とか、「旨い食べ物が見つかった」とか、「帰りがけに一杯やろうか」とか、「この群もあきた。ひとりで遠くへ旅に出ようかな」とか。
 そうでないと、群れることの意味がない。鳴くことの意味がない。

 こんなふうにも想像する。
 彼らのコミュニケーションは非常に明確で、相互に何の誤解もない、と。曖昧さに悩んだり、他人の言葉に傷ついたりすることは、ない、と。昨日の言葉に苦しむこともなく、明日の言葉に思い煩うこともない、と。
 今しかない。今、この時の風はどこまでも明快である。今、この時の光の輝きはどこまでも単純である。そのなかで、生まれてくる言葉はどこまでも透明である。

 今日インターネット経由こんなメイルを受け取った。
 題名は、「Who are you ? 」

<暇つぶしににうろうろしてたら,たどりついたのですが・・・。なかなか、きれいなページですね。で、君いったい誰?。作者の履歴を見たら,恐らく同じ中学の同級生だと思うのですが仕事は生まれる前からやってるのる人だし見当が付きません。というよりも、なんで1972年から働いているのに、生まれたのが1973年ってどういう事よ。>

 差出人は「伊藤嘉彦」。
 中学の同級生! 何という懐かしさ! インターネットはたいしたものだ! 三十五年も昔の同級生から突然のメイルがくる!

 そうではない。私は「伊藤嘉彦」を知らない。どう記憶をひっくり返しても、私の三年間の中学時代に、「伊藤嘉彦」と同じクラスであったことはない。他のクラスにも、いなかったはずだ。

 では、何なんだ。
 誰が何のために、こんなメイルを送ってきたんだ。時がたつにつれて、次第に不気味な気がしてきた。

〈カラスの白糞〉****5月1日 (木)

「カラスの白糞」という言葉がある。意外な事実、というようなことを表す言葉だ。
 これは本当だ。勿論護国寺に来てから知ったことだが、カラスの糞はきれいな真っ白である。
 支店長に聞いてみる。
「カラスの糞はどうして白いんですかね。何か変ですね」
「変も何も、何色ならいいんだ。ピンクとかブルーよりいいだろう」
「いや、特に好みの糞の色があるわけじゃないんですけど……」
「黒いカラスだから黒い糞でなければならないなんて、平凡すぎて、そんな発想じゃいい企画はできないな」
「糞の色と企画と関係ありますかねぇ……」

 身体の色と糞の色が同じでなければならない、と言いたいのではない。それでは、白人は白い便、黒人は黒い便。パンダなんか白と黒のまだらの糞をしなければいけなくなる。それも大変だろう。
 カラスは何でも食べると言う。生ゴミを漁ったり、動物の死体をつついたり、ネズミを襲ったり。そのカラスが、しかも怖いくらいに真っ黒なカラスが、何を食べても出てくるときには白くなっている。カラスの体内のどの器官をどのように通るとそうなるのか。
 何か、奇跡のような、皮肉のような、とにかく、不思議な気がする。


ご意見でも。質問でも。お便りお待ちしていますメイルの宛先は:
hitsujikai@tabichina.comで す。


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