〈黒いことの意味?(3)〉****8月22日 (金)

「オレも考えたね。何故、カラスは黒いか」
「支店長も、また、詰まらないこと考えますね」
「鳥が幾種類ぐらいあるか知ってるかい」
「五百種ぐらいですか」
「そんなもんじゃない。九千種だよ。で、神様が順番に色を与えていった。ハクチョウに白とか、フラミンゴにピンクとか、おかめインコには黄色とか、チルチル・ミチルの『青い鳥』には青とか。みんな綺麗な色をもらって喜んで帰っていった。ところが、カラスは遅れてやってきた。さすがの神様も、九千もの色を与えた後だ、もう色が残っていない。しょうがない。これしかないや、って黒を渡した」
「すると、何ですか。カラスは嫌々黒いんですか?」
「そういうことになるな」
「それは、私の見解とは大いに異なりますね。いかに支店長でも、これについては譲れませんね。カラスの名誉のためにも。嫌々ながら黒であるなんて……」
 気が付くと、渡辺さんがこちらを見ている。その眼差しは、どうひいき目に見ても、尊敬のこもったそれではない。「何が、カラスの名誉よ」。ほとんど軽蔑の眼差しだ。

〈黒いことの意味?(2)〉****8月21日 (木)

「私は考えましたね。何故、カラスは黒いか」
「和田君、また、詰まらないこと考えているね……で、なんで黒いの?」
「カラスも考えたと思います。カラスという存在の自己同一性を色で表現するとすると、何色が最も適切なのか……」
「すると、なに、カラスが黒いのは自分が黒くあろうとしたから?」
「すべての存在は、自己存在の本質に向かって自己の在り方を収斂させていくものですから。意識するにせよ、しないにせよ。カラスの美意識に黒がピッタリきた。『枯枝に烏のとまりたるや秋の暮れ』。芭蕉の句ですね。この時、カラスが赤色だと、うまくない。やはり、黒くなければならない」
「それ、逆じゃない」
 支店長の言うように、逆かも知れない。しかし、いずれにせよ、世界は黒い鳥を必要としていたんではないか。その役割をカラスが引き受けた、ということではないのか。

〈黒いことの意味?〉****8月18日 (月)

 今日も暑い。その、真夏の日差しの中、たじろぐようすもなく、卒塔婆の上にとまっている。相も変わらず、黒い衣装のままだ。強い光の中で、いつもに増して黒光りしている。
 何故、黒いんだ。夏なのに。
 最初は馬鹿じゃないかと思ったが、この頃は、馬鹿馬鹿しいのを通り越して、強い意志みたいなものを感じる。
 鳥仲間で我慢大会をやっている最中?
 親の遺言を意地で守っている?

 何にしても、やはり、おかしい。
 カラスは、何故、真っ黒なんだろう?  黒いことに、なんらかの意味がないのは、おかしいよ。

〈傘のないパラシュート〉****8月15日 (金)

 どのカラスも同じ格好に見えるが、羽根を広げて飛ぶ様子を下から見上げると、その姿は個体によってかなり異なる。一番目につくのは、羽根の豊かなカラスとそうでないカラス。
 年齢の違いだろうか。
 若々しいのは、広げた翼全体が羽根が密生し、真っ黒である。ところが、全部が全部そうなのではない。羽根が透け透けになっているカラスが少なからずいる。年寄りか。

 今日も支店長と並んで双眼鏡で空飛ぶカラスの群れを見ていると、そんなのが混じっている。
「何であれで飛べるんだろう」
 支店長が驚嘆に似た声をあげる。
 確かに、透け透けを通り越して、ほとんど骨だけで飛んでいるのがいる。
 私も、一瞬、こうもり傘を思い浮かべた。布の覆いがとれて、骨だけになったこうもり傘。そんな傘をさして大雨の中を歩いているような。あるいは、パラシュート。パラシュートを着けて飛び降りたら、実は、傘がなくてヒモしか付いていないような。
 落ちるんじゃないか、落ちるんじゃないか、と心配して見ていたが、本人は平気なもので、悠々と南の空へ消えていった。
「あれは、自分の姿を見たことがないから飛べるんですよ。支店長、何となく身につまされますね……」
「いいじゃない。ちゃんと飛んでいるんだから。他人からどう見えたって」


〈退職金カメラ〉****8月14日 (木)

 久々に戻ってきた夕暮れの群舞を撮ろうと、市川支店長がカメラを構える。
 高級そうなカメラだ。腕は分からない。
 支店長自慢のそのカメラは「退職金カメラ」と呼ばれている。去年、五十五歳を迎え、JTB本体から当社に移籍した。そのときに退職金で買ったものだ。シャッターを押す度に、満足げに、カメラを眺める。機嫌がいい。西部劇で、ガンマンが敵を倒し、銃口にフッーと息を吹きかける、そういう感じだ。

「その退職金カメラ、いくらだったんですか?」
「レンズと併せて定価は十五万だったかな。買ったのは、六万。在庫一掃だったんだね。得をした」
「在庫一掃ネ。退職するサラリーマンと在庫一掃のカメラ。退職金カメラにふさわしいですね」
 どうも、この一言がいけなかったらしい。支店長の機嫌がすっかり悪くなった。今日の教訓。サラリーマンには、言っても良いことと悪いことがある。当たり前か。

〈自分の親を憶えいる?〉****8月5日 (火)

 春から初夏にかけて、つがいごとに、巣作り、子育てと群れを離れていた連中が、再び群れに合流するのが、この時期らしい。  朝や夕方の群舞が、心なしか、一ヶ月まえより派手になっている。  この春に生まれた子ガラスたちを連れて群れに帰る。群れの生活が始まる。子ガラスたちは、社会生活を勉強する。やがて、群れの立派な成員になる。ここまではいい。  ところで、子ガラスは、自分の親を憶えているのだろうか。あるいは、群れのなかで、周囲には、あれとこれは親子、なんて言う認識があるのだろうか。あるいは、兄弟同士。いとこ同士。

〈黒ずくめ……この暑いのに〉****8月4日 (月)

 出張があったり、休暇をとったり。  半月ぶりに出社した。  暑いのなんのって。  先ず、取るものも取り敢えず、護国寺にカラスを見にゆく。  何が驚いたって、この暑いのに、やっぱり、黒ずくめなんだよね。カラスっていうのは、どうかしてんじゃないのかね。


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