〈カラスを撮るなんて……(2)〉****9月25日 (木)
今日も声を掛けられた。初老の男性。彼も花と桶を持っている。奥さんの墓参り?
「ひょっとして、あなた、カラスを撮ってる?」
ひょっとしなくても、カラスだ。
「はあ」
また、奇特とか危篤とか、褒められるのかな?
「カラスを撮って何になりますか?」
詰問とか、責めてる、とかではない。本当に不思議だ、という顔だ。
「はあ……」
何になるか、と聞かれましても、私としても特に何になると思って撮っているわけではないので、困ったな。
「趣味ですから……」
「趣味ね。趣味。変な趣味ですな……」
そういって立ち去って行った。
世の中には、色んな人がいるということだ。おそらく、色んな人じゃない人はいないんだ。自分を含めて。
〈カラスを撮るなんて……〉****9月25日 (木)
前にも書いたが、カラスの飛翔する姿は素晴らしい。
何とかカメラに収めたいと思うが、なかなか難しい。そもそも、生まれて四十七年間。写真などに興味を抱いたことはなかった。それが、つい数ヶ月前、初めてカメラというものを買った。カラスの写真を撮るためだ。従って、経験が余りに浅い、ということもあるだろう。
それでも、本人はそうは思わない。
「カメラが悪いんじゃないか」。
こう思うようにできている。
と、いうわけで、昨日の帰りに池袋のビックカメラで、200oまで伸びる望遠レンズを買った。大枚三万円。
さっそく護国寺へ出向いた。
新兵器を手に入れた嬉しさに、熱中して、パチリパチリとやっていると、見知らぬ人に声を掛けられた。
「カラスをお撮りになってるんですか……」
見ると品のよい、五十過ぎと思われる女性。左手に花束、右手に桶を持っている。ご主人のお墓参りとおぼしい。
「はあ……」
「それは、お珍しい。キトクな方ですね……」
そういって、ニコッっと微笑み、スタスタスタ、と歩いていった。
キトクって何だ。奇特。オレは褒められたのだろうか。カラスの写真を就業時間中に撮っていて、何で褒められるんだ。キトク。危篤、じゃないよな。とにかく、珍しい、ってことかな。よく分からない。
〈キンモクセイ〉****9月24日 (水)
護国寺の境内を歩いていて、甘い花の香りをかいだ。振り返ると、キンモクセイ。花の赤黄色と葉の濃い緑の組み合わせは、どこか、陽当たりの良い豊かさを連想させる。不思議なもので、花を見たことで、香りは更に濃くなった。酔うような匂いだ。妖艶。年上の女の人。そんな感じか。
気が付くと、花の向こうにはカラス。
「フーム……」。この世ならざる甘い香りに、カラスも我を忘れ、ボーッとしている。そんなポーズだった。
〈空は秋〉****9月22日 (月)
久々にカメラを持って護国寺に出掛けた。
高い木のてっぺんにとまっているカラスを撮ろうとファインダーを覗いて驚いた。空は、すっかり秋だ。
空気が違う。雲が違う。カラスたちも心なしか、涼しげな顔をしている。思えば、一月前は、首筋に滝のように流れる汗を手拭いで一生懸命に拭っている、そんな顔をしていた。
季節は、自ずと、巡るものだ。
思わぬところで、思わぬ感慨を得た。
〈私のホームページにも読者がいる?〉****9月19日 (金)
「和田部長、驚かないで下さい……」
朝顔を合わせると、渡辺さんが、少々興奮気味に声を掛けてきた。
「どうした。結婚でもするのか。そりゃ、驚くよ」
そうではないらしい。
「何と、和田部長のホームページを見ている人がいるんです……」
昨日大学時代の友人から電話があり、あのホームページの和田某はひょっとして同じ会社の人か、と聞いてきたという。
「何で、そんなことに驚かなきゃいけないんだ。インターネットだよ。日本全国、いや、全世界の何千万という人たちにオレはメッセージを送っているんだ。読んでいる人が一人いたからって、いちいち、驚いていられますかってんだ」
「なんだ。喜ぶかと思ったのに……それにしても、不思議ですね。そんな人がいるなんて……」
会話はこれで終わった。でも、考えてみると確かに不思議かも知れない。そもそも、ホームページというのは、無限に多くの人に呼びかけているようでいて、その実というか、だからこそというか、非常に虚しいところがあるのは事実だ。一生懸命に書いても、誰も読む人がいないのではないか、と。無人の沙漠の掲示板に、「手袋拾いました。お心当たりの方は……」、などという貼り紙をピンで留めているような。
午後、渡辺さんに聞いてみた。
「さっきの話。それでその友達、何て言ってた?」
「全世界の何千万の人たちに発言しているんでしょ。それでも、一人が気に掛かります?」
「だめだよ。大人をからかっちゃ」
「『カラス日記』は面白い、ですって」
「その、『は』っていうのが気になるな。他のはつまらない、ってこと?」
「いいじゃないですか。ひとりぐらい。何千万なんですから。でも、最近は更新されないから寂しいって、言ってました」
確かにここ暫く書いていない。出張が重なったこともあるが、それだけではない。書けないのだ。そう、書く材料が見当たらないこと。読み手の姿が見えないこと。
「芥川賞を獲った新人作家が、第二作目を書けずに苦しむ。そんな心境かな……」
「芥川賞とカラス日記って、違いすぎません?」
「比喩だから……」
「それにしても違いすぎますよ」
渡辺さんは怒ったように言う。そればかりか、仕事に没頭していたはずの濱地さんも加わってくる。
「比喩にしても、例が不適切過ぎますよね」、だって。
それにしても、「カラス日記」に少なくともひとりの読者がいることが分かった。今日は良い日だ。そのひとりに感謝状を出したいくらいだ。明日から頑張ろう。その一人の人を寂しがらせないためにも。第二作が書けない芥川賞作家の苦しみを乗り越えて。いえ、冗談です。