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* 何故、私たちは羊飼いにならなければならないのか *
私が、羊飼いになりたいと思いはじめたのはいつの頃からだろうか。
そう、もうかれこれ三、四年前のことになる。
シルクロードを旅行している時のことだった。河西回廊と呼ばれる区域、中国の蘭州から武威、張掖、酒泉を経て敦煌にいたる千二百キロをバスで走った時のことだ。
三泊四日。沙漠の中を走り続けた。
何という荒漠さ。何という広漠さ。
真っ平らな砂礫の大地が、どこまでも続いている。砂礫、というものが分かっていただけるだろうか。この辺りは沙漠と言っても、王子様とお姫様が駱駝に揺られて行くような砂の沙漠ではない。砂利だと思っていただければよい。角っぽい砂利が見渡す限り続いている。そういう光景を想像していただければよい。
砂礫の原野というのは、恐ろしいところだ。
砂の沙漠には、アンジュレーションがあり、風紋があり、微妙な陰影がある。神秘を幻想したり、ロマンを夢見る余地がある。ところが、砂利の大地には、そんなものはない。ただの平らである。あくまで平らである。太陽は満遍なく大地を照らす。起伏も木立もない大地には、如何なる陰も生じない。あるとすれば、自分の陰だけだ。自分が自分の陰に隠れることはできない。砂礫の大地は、如何なる幻想も許さない。光に満ちた、余りにあからさまで、それでいて、恐ろしいところだ。
そこを三日間、走り続ける。
とにかく、広い。走っても走っても風景は変わらない。
それでも、酒泉辺りまでは、右手に土で作られた万里の長城が一部併走したり、左手には雪を頂いた祁連山脈が見えたりしている。
凄いのは、酒泉から敦煌の四百キロだ。
長城も途切れ、祁連山脈も終わる。すると、前後左右、東西南北、砂礫の大地しかなくなる。しかも、既に述べたとおり、真っ平らだ。三百六十度が全部地平線ということになる。光が満ちているだけに、そして、空気が乾燥しているだけに、視力の限りさえぎるものがない。
これは、凄い。
そこを、アスファルトの道が一本、定規で直線を引いたように、真っ直ぐに真っ直ぐに、あくまでも、真っ直ぐに延びている。
唖然とする広さ。唖然とする荒々しさ。唖然とする真っ直ぐさ。後から思い出してても、この世のことではないような気がする。
そこで、羊の群を追う羊飼いを見た。
彼らは、その広い広い砂礫の原に、ポツン、ポツン、といた。
彼らは、ただひとりでいた。
一日に何人ぐらいの羊飼いを見ただろう。三、四百キロ走って、七、八人だろうか。思い出したように、ポツン、ポツンと姿を現す。羊の群を追って、地平線の彼方へ向かって歩いている羊飼いもいた。群の真ん中で、「ロダンの考える人」の格好で石に腰掛けている羊飼いもいた。彼らは一様に赤黒く日に焼けていた。一様に深い皺を刻んでいた。一様に痩せていた。一様にゆったりと歩いていた。
その姿が、強く印象に残った。
私たちは、その側を、時速八十キロのスピードで駆け抜けた。
彼らは何をやっているんだろう。いや、羊を追っていることは分かる。それにしても、何を考えているのだろう。彼らの頭のなかには何があるのだろう。
そして、私は何をやっているのだろう。何を考えているのだろう。私の頭のなかには何があるのだろう。
そんな光景の中、こんなふうに思った。
そうなんだ。日本の風景というのは、羊を欠いた風景なのだ、と。日本の文化というのは、羊を欠いた文化なのだ、と。日本人とは、羊飼いを欠いた民族なのだ、と。
羊飼いとは誰なんだ。私たちとは誰なんだ。
私たちが羊飼いでない、ということは、畢竟、どういうことなんだ。私たちは、羊飼いでないことで、何を得たんだ。何を失ったんだ、と。
あの時からだ。
私たちの生の在り様を相対化するものとしての羊飼いの存在を意識し始めたのは。現代人、特に日本人は、は誰でも、一度は、羊飼いになったほうがよいと考え始めたのは。そして、私も、いつか、羊飼いになろうと思い始めたのは。
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