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* 食物としての羊 *


<北京のシャブシャブ>(1996.6.2)

 食物としての羊。人間の側から言えばこうなる。羊の側から言えば、食べられる側としての自分。ひどい話だ。

 日本では羊肉というと、必ずしも歓迎をされる食べ物ではない。まして、はやりのグルメなどと言うこととはほど遠い。羊のためには、勿論、喜ぶべきことである。ただ、世界の各地においては、この同じ羊肉に対して、全く別な評価をする人々がいる。一番うまい、などと言う人がいる。まことに遺憾には思うが如何ともしがたい。

 北京に「東来順」という有名なレストランがある。何で有名かというと、羊肉のシャブシャブでである。中国でシャブシャブというと、一般に、羊肉と決まっている。最近では同様の方法で牛肉や豚肉を食べる人もいるのかもしれないが、牛や豚のシャブシャブを示すような言葉は、少なくとも、辞書には載っていない。昔から、シャブシャブと言えば、羊肉と相場が決まっている。
 何故だろう。
 もちろん、そうやって食べるには羊肉が一番うまいからである。
 北京は北を向いた街である。中国を長期にわたり支配した二つの異民族、元の蒙古族と清の満州族が都としたのが北京であった。北京の冬は寒くて過ごしにくい。このことは、よく知られれている。だが、人は知っているだろうか。北京が最も北京らしくなるのも、冬だということを。空は張り詰めたような青になり、故宮の外壁の赭は赭さをまし、甍の瑠璃の黄は黄をます。街全体が凛とした美しさに包まれる。
 食べ物の同じである。食べ物が一番うまくなるのが冬である。北京の二大名物料理と言えば、北京ダックと羊肉のシャブシャブだが、ふたつながらに冬向きの料理であるのは、決して偶然ではないはずだ。北京は冬のための街である。
 その北京で食べる羊のシャブシャブはうまい。
「東来順」で使う羊は、内蒙古の集寧という地区で産するものに限っているという。それも、二歳未満の去勢した雄。尻尾が短い方がうまいという。本当だろうか。
「東来順」はタレへのこだわりでも有名である。ごまみそ、唐辛子油、発酵豆腐汁など幾種類もの調味料を合わせたもので、その作り方は秘伝中の秘伝なのだそうだ。
 冗談じゃない。羊のシャブシャブぐらいのことで、ぜんたい大袈裟すぎるんじゃないか、と言いたくなるところだが、まあ、そこはこらえて席に着いてください。
 さて、丸テーブルの中央には、真ん中に煙突のついた銅製の鍋が置いてある。その周りには、綺麗に薄くスライスされた肉。白菜、豆腐、春雨。鍋が沸き湯気が上がってくるにしたがい、食欲も一緒に沸き立ってくる。鍋が煮立つのを待つ時間も、鍋料理の楽しみのひとつだ。煮立ったところで、肉をつまみ、洗うように湯どおしし、「秘伝」のタレをつけて口に運ぶ。野味のある微妙な味わいが口中に広がり、蒙古の大草原が彷彿と脳裏に浮かんでくる。
 フム、なるほど。シャブシャブは羊に限る。羊は集寧に限る。それも、去勢をした二歳までの雄じゃなけダメだ。食べ較べたわけではなくとも、そんな気になってくる。
 なかなかにたいしたものである。

 もう、七、八年前のことになる。私が北京に駐在していた時のことだ。出張で広州へ飛ぶ飛行機でたまたま、大学の同期で加藤という友人と乗り合わせたことがあった。彼は、卒業後朝日新聞に入り、私と同じ時期に特派員として北京に駐在していた。よもやま話のなかで、話題が食べ物に及んだ。
 で、北京では何が一番うまいと思う、こういう話になったとき、加藤は間髪を置かずに、こう断じた。
「絶対に、シャブシャブ」
 羊のシャブシャブとは言わない。羊に決まっているからである。
 私も、言われてみて、なるほどな、と思った。十分に納得できた。
「確かにあれはうまい」
 もっとも、加藤のシャブシャブ好きは徹底していて、毎週日曜日に「シャブシャブを食べる会」というのを仲間とやっていて、「東来順」の席を一年分予約してある、という。ここまで来ると、少しやりすぎ、というか、芸のなさすぎ、という気もしないではないが、とにかく、羊のシャブシャブがうまいものであることは間違いない。
 私も加藤の言葉の影響があったのだろうか。東京へ帰任する時、多くの中国の友人が送別会を催してくれたが、「お好きなものは」と聞かれてその都度迷わず「シャブシャブ」と答えた。そのために、北京最後の一週間で十回羊のシャブシャブを食べることになった。
 勿論、後悔なんてしなかった。今でもしていない。二月だった。寒い寒い季節だ。友人たちの暖かい気持ちと、羊肉とタレの調和が作り出す独特の風味に、蒙古の大草原に草をなびかせながら吹く風をを思いやり、北京の冬を思う存分に満喫した一週間であった。


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