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<VCD(ビデオCD)>

 四月の下旬、こんな記事が香港の新聞に載った。
「香港の映画スター、レスリー・チャンと日本の常磐貴子が共演した日本と香港の合作映画『星月童話』は4月1日に香港でロードショー公開されたが、その3日後に海賊版VCDが市場で販売された」、と。そして、このことに対し日本側の制作者一瀬隆重氏は激しい怒りを表明している、とも付け加えてある。
 確かに、制作者側の怒りはいかほどだろうか。公開の三日後に海賊版が出たとあっては。それにしても、どうしてこういうことが起こり得るのか?
 そういえば、先日、こんな記事が新聞に出ていた。ビデオカメラを持って映画館へ入場するのを禁止することになった、と。確か、広州でのことだ。と、いうことは今まではおおっぴらにビデオカメラが持ち込まれていたということだ。ひどい話だ。DCV を買ったら前の席の人の頭が映っていたりして……。映像だけではない。音もそうだ。隣の人も話し声、煎餅をかじる音も聞こえる。その方が臨場感があっていい、なんて言う人もいるのかも知れないが……。

 これらは、香港や広州で公開された映画の話だ。アメリカ映画などで、中国に入るまでに時間が掛かっているものにはもっとひどいことも起る。映画館での公開前に海賊版が出てしまう。
『タイタニック』は、去年、中国でも話題になった。それにしても、この国で面白いのは、公開前にこの映画を見た人が沢山いること。あるパーティで知り合いの中国人が三人、なにやら楽しそうに話をしている。輪に加わってみると『タイタニック』の話だ。
「エッ、まだ北京ではやってないじゃないの……」
 ところが、この三人が三人とも既に映画を見ている。見ているからこそ話に花が咲いている。
「VCD ですよ」
 なるほど。勿論、海賊版だ。
 中国ではVCD は、どういうわけか、日本よりずっと普及している。1998年の時点で、全国に四千万台のVCD デッキが販売されているという。大変な台数だ。「どういうわけか」、と書いたが、実のところそのわけははっきりしていて、それは、海賊版の映画を見るためだ。そして、それこそ無数の海賊版のVCDが街に出回っている。普通、AV機器は日本の製品が喜ばれるのだが、VCDのデッキに関しては、ちょっと、違う。むしろ、逆とも言える。特に、一時、某社の機器はひどく敬遠されたことがあった。それは、作りが精巧すぎて海賊版のVCDをみなはじいてしまうからなのだそうだ。
 ある中国の友人が怒っていた。「何考えてんだ、あの会社は。海賊版のVCDが見られないデッキなんか造って。どうかしているわ……」、だって。そうじゃないんだ。「どうかしている」のはおまえの方なのだ。と、言いたいところだが、そんな機械は誰も買わない、誰も買わないモノを造っても損をするだけだ、と言うわけで、最近は某社のデッキも「進歩」して海賊版もよく見えるようになったという。かの友人も、「近頃ようやく良くなってきたわ」、と褒めていた。めでたしめでたし、と言うところか?

 さて、『タイタニック』の公開は、それから三カ月も後のことだった。そして、正式版の『タイタニック』のVCD の発売は、当然のことながら、それから更に数ヶ月後のことだった。
 私も友人から、後学のために、海賊版の『タイタニック』を借りて見てみた。これが実に良くできている。上の写真が外装なのだが、少しもチャチイところがない。むしろ、豪華に見える。開けると三枚組。画質もよい、ちゃんと中国語の字幕も付いている。正規版と言っても誰も疑うまい。それでも、正規版を見たこともない中国の友人たちが、これを称して「海賊版」と言っているかというと、その根拠はただひとつ。売値が安すぎることだ。三枚組で三十元。これではホンモノのはずがない。では、これを百五十元で売ったら? 良心のかたまりみたいな人が、ホンモノと信じて買う? 要は、ホンモノが出るまでニセモノであることの確たる証拠はどこにもないのだ。でも、実際には三十元。で、買う方はニセモノと信じて買った。映画の公開の三カ月も前に。

 してみると、公開後三日で海賊版が出回ったなんていうのは、まだ良い方かも知れない。勿論こんなことを言っても『星月童話』の制作者には何の慰めにもならない。慰めにならないばかりか、怒りに油を注ぐだけだろう。「犯罪なんだぞ」、と。その通りなのだろう。ただ、ここで分かっていることは、売り手が買い手を騙しているわけではないということ。売る方は、最初から海賊版と言って売っている。買う方は、それを承知で買っている。だから、問題は、ちょっと難しい。

 そう、それでも犯罪は犯罪である。
 それは、私も知っている。先ほどの『タイタニック』の話をしていた三人の中国人。彼らも、少なくとも、売っている方が法を犯していることは分かっている。だが、……。その時、こんな会話になった。
「買う方に罪の意識はないだろうか?」
 三人が声をそろえて答える。
「ないですよ、少しも。売っているんだから」
「買う人がいるから売るんでしょう。少なくとも買うことで犯罪に荷担をしている……」
「でもね、和田さん……」
 ひとりがこう言う。
「十元で売れるものを五十元で売る方がけしからんじゃないですか。その意味では海賊版は庶民の味方ですよ」
「庶民の味方ね……。円盤の原価がいくらか知らないけど、ソフトの問題だから。五十元がけしからんとは言えないし、だから安いコピーを買うことが正当化されることには……」
「ソフトだか知的所有権だか知らないけど、VCD なんていうのは所詮コピーですからね。原価三元で何万枚でもコピーできる。世界に絶対にひとつしかない故宮博物院秘蔵の『清明上河図』とはわけが違う。コピーコピーって大騒ぎすることはないですよ。正規の製品自体がコピーなんですから」
 そうだろうか……。
 また、別なひとりが、全然違うことを言い出す。こういうことを想像してみてください、と。店で二種類のVCD が売られている。一方は正規版の五十元。一方は海賊版の十元。中身は同じ。そして、客は皆ニコニコしながら五十元の正規版を買ってゆく。そういう社会があるとして……。
「今の中国はそういう社会ではないですよね。でもね、和田さん、そういう社会って、果たして、本当に、良い社会でしょうかね……」
「……」
「それじゃ、十三億人が雷鋒になっちゃう」
 雷鋒ってご存じだろうか? 毛沢東思想の申し子みたいな人で、解放軍の軍人なのだが、「宿舎のトイレ掃除を当番でもないのに自分からするし、つぎはぎだらけの服を着て、靴も自分でつくり、アイスキャンデーなどという贅沢は慎み、節約して貯めた金はすべて貧しい人に贈った」という英雄だ。「雷鋒に学べ」という官製のキャンペーンが文革の時も行われた、天安門事件の直後にも行われた。
 そう? 正規版のVCD を買うことは、ほとんど、国家的な模範人物になること? ともかくも、正規版と海賊版、そこにまつわる中国人の感情のなかには、中国人ならではの、一種の偽善に対する嫌悪、偽悪に対するシンパシーがからんでいるのだろうか? それとも、こんな言い方は、後ろめたさから来る言い訳に過ぎないのだろうか?



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