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<VCD はお祭りだ>

「店」を広げない売り方もある。
 特定の通行人に狙いを定め、スーと近づいて、「いいVCD があるけど、どう?」って声を掛け、革のジャンバーの懐から意味ありげにサッと見せる。
 単身赴任で夜の暇を持て余した日本人の駐在員などが引っかかるのは、この手のものが多い。「いいVCD 」、って何だ。教養を身につけるのに「いい」、という意味だなんて、勿論、誰も思っちゃいない。カバーもそれらしくできている。裸の女の子がこっちを向いて笑っていたりする。
「いくら?」
「十枚一セットで百五十元(一元は約15円)」
 十枚一セット? リンガフォンの英語の教材じゃないんだから。
「オレは一枚でいいんだよ」
「ダメだ。セットでないと。続きもんだから」
 あんなものは続きも何もないだろうに。もともと筋だってどうでもいいんだから。
「よしや、二枚買おう。二枚で三十元」
「いや、ダメだ。とにかく、これは価値がある。オレを信じろ。損はしないから。十枚のセットだ」
 こんな押し問答では、大抵、日本人が負けることになっている。粘りが違うんだから。ええい面倒くさい、十枚買っても、日本円にすれば二千円ちょっとじゃないか、ということになる。
 買ってみると嬉しいものだ。期待に胸を膨らませ、二歩のところを一歩にして飛んで帰り唾を呑み込みながらデッキにかけてみると……何とこれが……日本のテレビアニメ「一休さん」全十巻の海賊版だったりする。
 腹は立つもののどうしようもない。何が「いいVCD 」だ、何が「オレを信じろ」だ、などとブツブツ言いながら、ひとりで膝を抱え、一晩かけて「一休さん」全十巻を見通した駐在員を私は知っている。

 赤ちゃんを抱いた若い女が、道端で、VCD を売っているのをよく見掛ける。冬なんか大変だ。北京の風は冷たい。垢じみたおくるみを大切そうに抱えながらの商売だ。北京の夏は暑い。喉にあせもが沢山できた赤ちゃんを負ぶっての商売だ。寒くとも暑くとも道行く人に声を掛ける。「VCD 、VCD 」。場所によってはそういう赤ちゃん連れの女が三人も四人もかたまってVCD を売っている。その様は、ちょっと異様だ。
 中国の友人に尋ねてみる。「なぜ、赤ん坊を抱いてVCD なのだろう?」。答えはまちまちだ。ただ共通しているのは、「彼女が売っているのはアダルト専門だ」、ということ。
 ある中国の友人曰わく、赤ちゃんを連れていると逮捕されないんだよ、法律で。フーン、そうなのだろうか。
 ある中国の友人曰わく、可哀想でついつい買いたくなるじゃない。私だって買っちゃいますよ、可哀想で。フーン。そうなの。
 日本語では「ピンク」と言う。こちらでは「黄色」。どういうわけだろう。国によって色が違うのは……。彼女たちはこう声を掛ける。「どう、黄色いVCD 」。可哀想でついつい買いたくなる心優しいかの中国の友人が足を止める。
「白人がいい? 黒人もあるよ」。
「ところがね、和田さん……」。心優しい友人は続ける。「家に帰って見ると、何も写っていないんですよね。これが。空なんですよ。カラ」
「いいじゃない。可哀想で買ったのだから」
「いいですよ。いいですけど、それにしてもね。黄色とか白とか黒とか、売っているときにはあれだけいろいろな色が出てきたんだから、何か、どんな色でもいいから出てき欲しいですよね」、だって。
「でもね……」。彼の結論はこうだ。「十五元だからいいか。その分ぐらい楽しんだでしょう。あの円盤、夏にはウチワがわりになるし……」

 地下鉄の入口、昼食時のオフィス街、繁華な商店街。北京では、およそ街角という街角、人が通るところには海賊版のVCD 売りがいると思って間違いない。それだけ多くの売り手がいる。それだけ多くの買い手がいる。そして、まいにち何万という売り買いが成立している。私には、その有様が一種のゲームにみえる。騙したり騙されたり。騙されていることを承知で騙されたり、騙していることがバレていると承知の上で、まだ、騙したり。ゲームなんだから楽しめばいいのだ。売る方も買う方も。お祭りの夜店みたいに。踊る阿呆に踊らぬ阿、同じ阿呆なら……。
 そう、中国人に海賊版VCD はよく似合っている。海賊版VCD はお祭りのようなものだから。そして、中国人の生き方はお祭りみたいなものだから。


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