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<ニセ札はババ>

 北京に暮らしていて、よく、こんなふうに思う。ニセモノに対する感覚は、日本人と中国人ではかな違うな、と。また、その感覚の違いは、このふたつの民族の資質の決定的な差に繋がっているのではないだろうか、と。そして、こうも思う。その違いが最も明確に出るのは、ニセ札を巡る両民族の反応の違いではないか、と。

 日本人にとってニセモノとは、外来の異文化みたいなもの。あるいは、町内でガイジンに出会うようなもの。そういって、さほど的外れではないのではないだろうか。純血な共同体に紛れ込んできた異物、そんなふうに見える、という意味で。だから、ニセモノに対しては非常に敏感だ。獲物を追う猟犬の鼻のように。あるいは、排斥的だ。身体組織が体内に侵入しようとする異物に対して免疫機能を発揮し排除を試みるように。
 中国には、おそらく、異物というのはない。純血がないから。四千年の歴史のなかで、中国という大地のなかで、幾多の民族が興っては滅び滅んでは興り、支配しては倒され支配されては倒してきた。眼の色が少し変わっていても、寸法が多少違っていても、たいして、気に留めるほどのことはないのだ。ニセモノとかホンモノとか言い出したら、自分がニセモノかも知れないのだ。問題はホンモノかニセモノかではない。役に立つかどうか、だ。

 千円札でもいい。一万円札でもいい。ニセ札を手にしたら、日本人なら、どうするだろう? 簡単だ。警察に届ける。これ以外の反応は考えられない。それは、ニセ札が、日本人にとって事件だからだ。突然に国家的大事件の主人公になる。英雄だ。
 中国ならどうだ? 普通なら公安などには届けない。なぜって、取られてしまうだけだから。替わりに、「ハイ交換」なんて言って、正札をくれるわけではない。損するだけだ。日本人にとっては事件でも、中国人にとっては、トランプをしていてババが廻ってきたようなものだ。

 北京のいたるところでニセ札判別器を見かける。百貨店やスーパーは勿論、最近は、レストランや街角の小さな商店にも置いてある。左の写真の機械は、広州で製造されたものだ。ニセ札を上に置くと、「ニセ札です」、って声を出す。可愛いような憎らしいような機械だ。で、機械が「ニセ札です」と言ったとする。日本なら大騒ぎになるだろう。でも、こちらでは、金を出した方も店の人も特には慌てない。店の人は黙ってニセ札を返す。もう機械がしゃべったのだから自分がしゃべることはない。「ババを引かずに良かったな」。それだけのことだ。出した方は、「しょうがねえなあ」と別な札を出す。それだけのことだ。「ニセ札です」って声を出す機械は、自己防衛のための機械だ。ニセ札犯を検挙するためのものではない。
 ニセ札と知って払う場合もあるだろう。知らずに出した場合もあるだろう。でも、突っ返されて、次に考えることは同じだ。このババをどううまく次の誰かに取らせるかだ。タクシーで使ってみる。それでもダメなら、「小さく折り畳んでカラオケのチップに使おう。暗くて分からねえだろう」、ってなもんだ。


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