《玉樹への道》

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(1) 青海湖の菜の花畑と養蜂の人々

 この八月、西寧から玉樹を目指して走った。八百キロ。三日間走り続けてようやく辿り着く。玉樹はチベット語でジュクドという。ジュクドというのは、人が集まる、という意味なのだそうだ。四川省のお茶、青海省の塩、こういった物産の取引が行われ昔から交易の街として栄えた。
 また、いまは青海省であるが、かつてはカム地方であった。カムに住むチベットの男はカムパと呼ばれ気が荒いことで知られる。背も高い。彫りも深い美丈夫が多い。玉樹は人口の九十七%がチベット人であり、なおかつ、そのカムパが多い。ラサよりもチベットらしさの漂う街といえるかもしれない。その玉樹への旅であった。

 日月峠はひとつの境である。西寧からこの辺りまでは耕作がなされている。八月の初旬、ちょうど小麦や裸麦の収穫の季節であった。北京の付近から比べると二ヶ月おくれていることになる。ここを過ぎると、見渡す限りの大草原がうち続く、遊牧のチベット的風景のなかに一挙に入ってゆくことになる。
 さて、その日月峠を下ったところに、ひとつの湖がある。
 名を青海湖という。モンゴル語で「ココノール」。青い湖という意味だそうだ。チベット語では「ツォ・ンゴンボ」。これも青い湖。つまり、誰が名付けても「青い湖」。
 よほど青いのだろうと思って行ってみると、これが、本当に青い。さらに驚いたことには、湖畔は一面の菜の花に覆われていた。八月である。黄色い絨毯を敷き詰めたように菜の花畑が広がり、その向こうには青い青い青海湖。さらにその先には五千メートルを超える青海の山々。それらが透き通った空気のなかで、一度にワッと視界に入ってくる。呆然とするほど美しい。

 その菜の花畑で、風景に背を向け、忙しげに立ち働いている男たちがいた。
 養蜂を生業とする、人懐こい五人組であった。
 湖北省の咸寧から来たという。春にはレンゲが田畑を薄紫に染め尽くす。「故郷のレンゲからは良い蜂蜜ができるのさ」。四月の半ば、レンゲが終わると旅にでる。それ以来ずっと菜の花を追ってきた。甘粛省の隴西。同じく臨トウ。そして、青海湖。その菜の花も青海湖が最後。それもいよいよ終わりだ。明日にはテントを畳む。
「家に帰るの?」「いや、次は陝西省の定辺」。ソバの花がまだ一ヶ月咲くと言う。
 蜜蜂の箱とテントを積んだオンボロトラックがソバの白い花を目指して東に走ってゆく。そんな様子が瞼に浮かぶ。

 花を追い旅から旅の人生。気楽なようでもあり、切ないようでもある。話を聞いているうちに、胸がキュッと鳴った。どちらにしも、羨ましいな。人類が本能的に持っている旅心が否応もなく掻き立てられる。そんな、一瞬の出会いであった。


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