(3) 白いテントは夜這いへの誘い
5月から9月、夏の放牧地は山の高いところにある。冬になると、山を下りる。
夏の放牧地は豊かな感じで見ていて心地よい。冬の寒さの厳しさもなく、草原は一面の緑、チーズもバターも豊富にある。牧民が羊の毛を刈るのもこの季節だ。走っていると馬車に出会う、馬車には羊の毛が積んである、町に売りに行くのだ。毛を刈れるのは年に一度、この暖かい時期に限る。生命力に溢れた歓びの季節、それが夏だ。
大草原にポツンポツンとテントがある。テントは黒。ヤクの毛で作るからだ。その黒いテントの隣に小さい白いテントがあることもある。ガイドの王さんが言う。
「和田さん、あの白いテントは何だと思います?」
何かの目印?
交通標識ではないよね。ここは車もほとんど通らない。ヤクか羊しかいないのだから。何だろう。
若い娘がいるよ、という印なのだそうだ。
未婚の娘がそこに一人で寝起きし、王子様が現れるのを待っている。
何ともうるわしい話ではないか。
昼間に放牧をしながらどこかで出会う。気が合うとテントを教え、合図を決めておく。外にロープを出しておくから三回引くのよ、とか。
夜になると、若者が馬に乗ってやって来る。はやる気持ちを抑えながら、ロープを引くのだが、その前にやらねばならぬことがある。放牧地では夜になると、犬を放す。オオカミを防ぐためだ。チベット犬。大きく、黒い。勇猛でオオカミにも立ち向かってゆく。そのチベット犬が放たれている。ロープを引く前にその犬を何とかしないと食われちゃう。命がけだ。エサをやっててなづけるとか、ウマいことをいってどこかに行ってもらうとか……。そうやってロープを引く。
現代の文明のなかの婚姻とは違う姿の婚姻がある。
出会いの姿も違う。また、かつては子供を産まない結婚はあり得なかった。だから、少し以前までは、先ず子供を産む。それから結婚をしたのだそうだ。今は大分「文明化」した。それでも、四十%ぐらいは子供を産んでから結婚をするという。
果てのない大草原。そこでヤクを放牧して暮らす人々。娘のために白いテントを建ててやる親。そこで一人で寝起きする娘。そこに馬に乗って訪れる若者。それを待ちかまえる犬。
夏の青海の草原で綿々と繰り返されてきた物語なのである。