《玉樹への道》

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(4) 少年僧

 道に沿ってポツンポツンと幾つかの集落がある。その集落には、必ずチベット仏教のお寺がある。お寺では、必ず、老婆が経堂の周りをコルラ(巡礼)している。時計回りに。口には、ブツブツブツブツ、オムマニベネフム、ブツブツブツと真言を唱えながら。手には、数珠を繰りながら。

 そして、経堂のなかでは、少年僧たちが修行をしている。薄暗いなか。声をそろえお経を唱えていることもある。老師の授業を聴講していることもある。
 青海省だけで、今でも、八百の寺があるという。以前ほどではないのだろう。それでも、寺の多さ、修行をする少年僧の多さには驚かされる。
 この子たちは何を考えているのだろう。何をしようとしているのだろう。何を学び、何を信じ、何を祈ろうとしているのだろう。

 青海省全般に言えることなのだそうだが、例えば家に三人の男の子がいると、一人は家業の牧畜を、一人は小学校へ、そしてもう一人は僧にするというのが普通のパターンなのだそうだ。寺に来たかった子もいるだろう、来たくなかった子もいるだろう。立派な僧になる子もいるだろう、修行が我慢できない子もいるだろう。
 これは、玉樹への途中立ち寄った竹節寺で聞いた話。寺に入るには、両親が村長に申請をし、村長が寺へ申請をする。そうやってお坊さんになる。このお坊さんをアカという。毎日修行をし読経し問答を繰り返し年を経る。試験は問答。受かると級が上がる。十五年から二十年かかかってゲシという位になる。さらに修行を積み認められるとラマになる。
 修行は楽ではない。むしろ厳しい。アカからゲシに上がれるのは、十パーセントから二十パーセントというから、試験もかなり厳しい。ゲシからラマは更に狭き門で、ゲシのなかの五から十パーセントいう。ラマと呼ばれるようになるのは大変だ。
 現在の竹節寺を例に取ると、アカが二百二十名、ゲシは八名、ラマが三名、という構成になるのだそうだ。 

 つまり、百人のうち一人ぐらいしかラマになれない。すると、残りの九十九名はどうなるのだろう。いつまでもアカのままで修行を続ける? ラマになれなくとも、ゲシになれなくとも、寺にいる間は食べさせてもらえるのだろう。
 一家から少なくとも一人、百人のアカが存在することの意味は、一人のラマを輩出するためには百人のアカが必要である。信教の水準がそうやって保たれるということでもあろう。同時に、家庭では食えない、寺に出すしかない、という現実もあるのだろう。

 何世紀に及ぶチベットの自然条件から来る現実、あるいは制約というのは、牧畜の財産を子どもたちに分けない。分家をしないで一人に継がせる、ということであった。そこから、子供を寺に出すということ、あるいは、一妻多夫という風習が生まれてくるのである。
 とにかく、チベットに来ると、自然と社会と人がゴチャゴチャッとなってチベットになっている、ということがよくわかる。

   と、いうわけで、次回は、一妻多夫の話。


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