《玉樹への道》 | |||
道に沿ってポツンポツンと幾つかの集落がある。その集落には、必ずチベット仏教のお寺がある。お寺では、必ず、老婆が経堂の周りをコルラ(巡礼)している。時計回りに。口には、ブツブツブツブツ、オムマニベネフム、ブツブツブツと真言を唱えながら。手には、数珠を繰りながら。
そして、経堂のなかでは、少年僧たちが修行をしている。薄暗いなか。声をそろえお経を唱えていることもある。老師の授業を聴講していることもある。
青海省全般に言えることなのだそうだが、例えば家に三人の男の子がいると、一人は家業の牧畜を、一人は小学校へ、そしてもう一人は僧にするというのが普通のパターンなのだそうだ。寺に来たかった子もいるだろう、来たくなかった子もいるだろう。立派な僧になる子もいるだろう、修行が我慢できない子もいるだろう。
つまり、百人のうち一人ぐらいしかラマになれない。すると、残りの九十九名はどうなるのだろう。いつまでもアカのままで修行を続ける? ラマになれなくとも、ゲシになれなくとも、寺にいる間は食べさせてもらえるのだろう。
何世紀に及ぶチベットの自然条件から来る現実、あるいは制約というのは、牧畜の財産を子どもたちに分けない。分家をしないで一人に継がせる、ということであった。そこから、子供を寺に出すということ、あるいは、一妻多夫という風習が生まれてくるのである。
と、いうわけで、次回は、一妻多夫の話。
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