一妻多夫は自然な制度
玉樹では、まだ、一妻多夫の風習が残っていると聞いた。
チベットで言う一妻多夫というのは、何人かの兄弟が一人の妻を共有することをいう。かつては、特別なことではなくごく当たり前の婚姻の形であった。なぜ、こういう風習になったかというと、戸数を増やさぬため、言葉を換えれば、分家を避けるためであるという。
自然の環境は余りに厳しい。飼えるヤクの数は決まっている。オヤジの財産を三人の息子に分けたら、皆食えない。だから分けない。チベットでは何世紀もこうしてきた。家も家族も増やさない。そこから、一妻多夫がこの地における一般の婚姻の形になった。長男が嫁をとり財産を引く継ぐ。次男も、その家に留まりひとつの家計のなかで暮らす。嫁はとれない。その代わり、長男の嫁をセックスの対象として共有させてもらう。三男も。四男も……。
と言うことは、チベットでは女が余ってる? どうもそうはならないらしい。逆のケースがあるからだ。娘が三人いる。その場合は、長女だけに婿をもらい、他の二人の娘も、その婿を使わせてもらう。一夫多妻。
差が大きすぎない? そう憤慨する向きもあるかも知れぬ。三人の女に囲まれた婿と、二人の兄のお古を遠慮しながら使わしてもらう三人兄弟の三男。確かにエライ違いだ。でも、とにかくしょうがない。
せっかくその玉樹へ来たのだから一妻多夫の家庭を覗いてみたいものだ、と思うのは人情。しかし、どうも、大声で「私のウチは一妻多夫でっせ」と自慢するようなものではないらしい。それだけに、「どこかこの辺に一妻多夫の家庭はないですか」と尋ねて歩くようなものではないらしい。
それでも、願う心あれば天の助けはあるもので、その機会が訪れた。
(写真は玉樹市内のマーケットで)