《チベットは
  高いところにある》

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(3) 夢

 チベットではよく夢を見る。

 高度障害で頭が重い。気分もすぐれない。だから、普段より早くベッドに潜り込む。ところが、眠れない。眠りに落ちていけない。浅いところをウトウトするだけだ。何度も何度も目を覚ます。そして、よく夢を見る。
 私だけのことかとも思ったがそうではない。翌朝その話をすると、同行の人たちの誰もが、日本人であれ中国人であれ、皆自分も同じだったと言う。

 シガツェという街がある。ラサに次ぐチベット第二の都市だ。ここでの朝食の時のこと。ガイドの胥さんにこう言われた。 「和田さん、昨日の夜は特別に眠れなかったでしょう」
 確かにそうだ。その時の旅行は、すでにラサ、ギャンツェと廻ってきておりシガツェに着いた頃には高度障害はすっかり消えていた。ところが、言われてみるとその通り。前の晩は眠りが浅くほとんど寝た気がしていなかった。
「なぜ、分かるの?」
「シガツェは眠れない街なのです」
 不夜城とか「眠らない街」というのは聞いたことがあるが、「眠れない街」というのは初めて聞いた。そんな街があるのだろうか?
 胥さんの説明はこうだ。
 ここに来るお客さんは、翌朝みな言う、昨夜は眠れなかった、と。自分はチベットで日本語ガイドをはじめて三年になるが、シガツェにきてよく眠れたなんて言う日本人を見たことがない。
「日本人だけなの?」
「いや、中国人に聞いても同じです」
 胥さん自身そうなのだそうだ。四川省の中国人。大学で勉強をした日本語を生かすためにチベットでガイドをしている。もちろん、もう高度障害なんておきない。どこでもよく眠れる。ただ、シガツェだけでは眠れない。
「なぜ?」
 シガツェの高度は3800メートル。高いか低いかと言えば、もちろん、高い。それでも、我々が前日に泊まったギャンツェは4000メートルを超えている。チベットにあっては驚くほど高地にある街というわけではない。
「私も不思議に思ってこちらの何人かのお医者さんに聞いたことがあります。特別な理由があるだろうか、って。でも、誰にも思い当たる理由はないと……」
「……」
 では、チベット人はどうなのだろう?
 さっそく私たちのドライバーに尋ねる。「昨日はよく眠れた?」。バカみたいな質問だ。答えは、よく眠れた、と。

   シガツェ、「眠れぬ街の謎」はともかくとして、チベットというのは眠れぬところだ。そして、ブツブツと切断される眠りの間に次から次へと夢を見るところだ。それも、私の経験では、何か暗い夢を見続ける。竜宮城で美女に囲まれて暮らす夢も、三億円の宝籤に当たる夢も見なかった。うなされるように夢を見続ける。ラマ教寺院の奇怪な顔の馬頭観音。暗がりのなかで揺れる燈明の列。暗い堂内に響く勤行僧の読経の声。五体投地の巡礼の群。……。こういったものが経絡もないまま頭のなかをグルグル回っている。浅い眠り。睡眠と覚醒の間が薄い。あるいは、睡眠と覚醒が混じり合っている。昼間見たものを思い出していたのか。それとも夢で見ていたのか。その区別が判然としない。夢うつつのなか、判然としないなあ、と思っている。それにしても、そう思っているのは、覚醒のなかで思っているのか、夢のなかで思っているのか? 眠りが浅い? 浅いのは夢ではなく、覚めていること? こう思っているのは夢? うつつ? ……。また燈明が一列になって揺れている。老婆がマニ車を回しながら燈明に祈りを捧げる。

 チベットは高いところにある。気圧が低い。酸素が薄い。それが私たちをボーッとさせる。眠りを浅くする。夢を見させる。その通りだ。しかし、それにしても、そこにラマ教の寺院があり、壁には原色の仏画が描かれ、仏像が黄金に輝き、燈明が揺られ、読経の声が響く。それと、夢にうなされるように浅い眠りの夜を過ごすことは無関係だろうか? 高地にあること。酸素が薄いこと。そして、そこが「チベット」であること。これらは、一つの糸で結ばれているのではないだろうか。偶然ではなく、そうなるべくしてなっている。眠りが浅いこと。夢を見ること。それが、「チベット」なのではないだろうか。


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