(4) 死の向こう側
前世も信じられない。来世も信じられない。それでも、チベットから帰ってからというもの、死の向こう側にあるものを、目を凝らして、見ようとするようになった。そう、死の向こう側……。
何もないのであれば、それはそれでよいのだが、何かがあるとしたら、それはどんなものだろう。もうひとつ、別な生がある? その生には、やはり地球があって太陽があって月があって、日本があって山があって河があって街があって人が住んでいる? そうだろうか。そうだとすると、そこに住んでいる人は誰? どこから来たのだろう。その人の前の生から来た?
しかし、こういうことはスゴク考えにくいことだ。
私の父は十二年前に死んだが、その父親の「死の向こう側」と、やがて死ぬ私の「死の向こう側」が同じ「場所」であるというのは、私には、想像できない。「場所」という意味は、この世と同様の「時間」と「空間」に縛られた社会性のある磁場、ということであるが……。
もし、死の向こう側というのがあるとすれば、それは「時間」のない世界ではないだろうか。なぜか、そんな気がしてならない。
死の向こう側は、生まれてくる前の向こう側と同じだろうか。どうだろう……。死の向こうを未来だとする。生まれる前は過去だとする。この場合、この未来とは、次のオリンピックが西暦二〇〇四年にアテネで開催されているであろうという意味の未来や、かつて関ヶ原で徳川家康と石田三成が合戦をしたという意味での過去と同じだろうか。違うのではないだろうか。それにしても、時間とは何だろう。過去とは何だろう、未来とは何だろう。
私たちが過去を想起するからといって、過去が実在した証拠にはならない、と言ったのはバートランド・ラッセルだっただろうか。彼は言う。世界は五分前から存在を始めた、という仮説にいかなる論理的不可能性もない、と。五分前! そんなことはない。昨日飲み過ぎて朝から頭が痛いんだから……。ラッセルはこう言う。あなたは、昨日飲み過ぎたという記憶と、頭痛をもって五分前から存在したのかも知れないではないか、と。先週奈良で、聖徳太子が建立したという法隆寺を見てきたんだけど、たしか西暦六〇七年……。だから、聖徳太子が存在したという知識と古びた法隆寺をもって五分前から世界は始まったのかも知れないではないか、と。
そう。だとすれば、五分前の必要はない。三秒前でもよいことになる。一秒前でも。三島幼稚園に通ったこと。父親が十二年前に死んだこと。チベットへ行って高山病で苦しんだこと。そういうさまざまな記憶をもって、一秒前から、私は存在を始めた。
もしそうなら、「一秒間」という時間の長さに意味がなくなる。死の向こうに側に何かがあるとすれば、そういう世界ではないだろうか。時間も空間もないような。
ここまで考えてくると、自ずと、荘子の「胡蝶の夢」の逸話が連想される。夢で胡蝶になった。ひらひらと飛んで実に愉快であった。その間、すっかり胡蝶になりきり自分であることを忘れていた。ふと、覚めると自分だ。はて、夢のなかで胡蝶になったのか、胡蝶の夢のなかでの自分なのか。
蝶々でなくとも、自分が誰かの夢のなかの登場人物である可能性はある。「誰かの夢」という表現の捉え方にもよるが、これは相当の可能性があるのではないか。夢は、自分の誕生とともに始まった、としてもよい。しなくともよい。五十年の夢? 長すぎる? そのように考える必要はない。五十年というのは、登場人物である私が考えている時間であって、「実際」の時間は、一瞬かも知れない。長い夢を見たようだが、実際には一瞬のまどろみにすぎぬことがあるように。
この場合、問題は、他者だ。私は、その夢のなかの、いわば、主役だ。では、私の隣人は? 彼なり彼女は、その夢のなかでは脇役だが、彼らが主役である夢もあってもよい。なくともよいが、あってもよい。あるとすると、登場人物の数だけの夢が同時並行的に演じられていることになる。あり得ることではないだろうか。
嗚呼、いつの間にか、インド人のようになってきた。個別的存在は全て仮象である。真の実在はただ一つしかないのだ。「ウパニシャッド」は、各個人の本体であるアートマンと、宇宙の根本原理であるブラフマンの存在を説くのだそうだ。そして、この二つは、結局、同一にして不異であるのだそうだ。
前世・来世を信ずるも信ぜられずも、瞑して想念せよ、死の向こう側にあるものを。