<四合院という精神構造>
四合院、というのをご存じだろうか?
北京を中心とした、中国北方の建築様式である。
以前こう書いたことがある。
シーメトリーは、中国人が見ようとしている夢の、ひとつの形なのだろうか?
あるいは、中国人の眼には、世界の構造がそういう姿で映っているのだろうか?
全く同様の言い方が、四合院についても可能だと思う。四合院という建築様式は、中国人が見ようとしている夢の、ひとつの形なのだろうか、と。
四合院とは何かという話をする前に、ひとつ、クイズを出してみようか。
北京の街は、よく、「碁盤の目のように」、と表現される。大きな通りはその通りだ。東西と南北の線が、キチッとした四角形を描く。そこで、クイズだ。胡同のような細い道はどうだろう。東西に伸びる胡同と南北の胡同は、どちらが多いだろうか?
答えは、あとにしよう。四合院が分かると、答えが分かることになっている。
四合院とは、簡単に言えば、真ん中に庭を囲んで、東西南北に建物を持つ、そういう住宅である。母屋は、勿論、北の建物になる。陽当たりがよい、一番居心地のよい部屋であるからである。主人の居間として使われる。東西の建物は主人の書斎や子女の部屋となり、南の建物は客間や下僕の部屋である。
この四方を建物に囲まれた中庭を「院子」という。大きな四合院は、母屋の北に、また、「院子」を抱え、その後ろにもうひとつ建物を持つこともある。とにかくも、四合院とは、なかに「院子」を抱えた住宅である、と定義できる。そして、四合院のなかのすべての部屋は、「院子」に向かって在ることになる。
「院子」。日本語では「庭」と訳す。しかし、日本の庭とは違う。大きく言えば、世界観が違う。日本の庭の先には、例えば、生け垣があり、生け垣の向こうには「家」とは別な世界が広がっている。「院子」の先はない。敢えて言えば、「院子」の向こ側は、やはり自分たちの家である。自分の家ではない。自分たちの家なのだ。
ここが、先ほど述べた、「四合院という建築様式は、中国人が見ようとしている夢の、ひとつの形なのだろうか」、というところである。
なかに閉じようとする。
中国人は万里の長城を築いて自分たちの世界に閉じこもろうとした。長城の内側に、街を造るときは、城を築いた。外城で世界を区切り、そのなかに、もうひとつ、内城を造る。そして、その内城のなかに、四合院を造った。その四合院は「院子」を中核にして、完全に閉じた空間であった。
どうだろう? 中国人の夢の形を象徴していないだろうか?
大きな敷居は、中華という世界なのだ。小さな敷居は、家族という単位なのだ。
これが、四合院である。
最後に、先ほどのクイズの答えを言っておこう。
北京という街は四合院が集まって出来た街だ、といっても言い過ぎにはならない。四合院が幾つも並んで街衢が出来る。さて、その時、四合院は東西に並ぶだろうか南北に並ぶだろうか。答えは簡単だ。東西に並ぶに決まっている。入口を、南の道に面して造ることになる。壁が、隣どおし繋がって行く。それが胡同になる。
そう、胡同とは、ひとつひとつが閉じた世界である四合院を繋いで、もうひとつ大きな世界へと通じさせる道だ。逆から言うこともできる。大きな世界から、閉じた家族という空間へ辿るための道でもある。
前の章で、「憩い」と言った。懐かしい、と言った。胡同というものが、そうあるのは、ある意味では当然なのだ。特に夕暮れはそうだ。自分の空間へ帰って行く道だからである。
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