<西瓜の山>
初めて北京に来たのは何年前のことだろう? 二十三、四年経っていることは確かだが、実際の年は定かではない。ただ、それが夏であったことだけは間違いない。
街角で西瓜を山のように積んで売っているのを見た。「山のよう」。比喩ではなく、本当に、三百個とか四百個とか、路上に山にして売っていた。売る方も大声で罵るように売り声をかける。道行く人も、立ち止まり、罵るように品定めをする。ポンポンポンポン、遠慮なく西瓜を叩く。年寄りも、若い男も。赤ん坊を抱えた女の人も。景気良く叩いているけど、間違って赤ん坊の頭を叩かないだろうか? こっちが余計な心配をしてしまう。
見ていると、大抵が、叩いただけで買わずに行ってしまう。西瓜は叩かれ損だ。買う人は買う人で、二つも三つも買って行く。あんなに買ってどうするんだろう。今日の夕食は西瓜だろうか。また余計な心配をする、頼まれもしないのに。
そんな西瓜の山が街のあちこちに出来ていた。
夜になって、また、驚いた。夜更けに街を歩いたら、その西瓜の山の脇で人が寝ている。番をしているのだ。朝になると、起き出してまた大声で罵るように売るのだろう。あの山のような西瓜を売り切るまでは帰らない?
山の裾に段ボールの切れ端に「鄭州三号」と書いてある。
「鄭州から来た人?」
ガイドさんに聞いてみる。
「南京豆が南京、天津甘栗が天津で穫れるわけじゃないですよ」
なるほど。南の郊外の宛平県とか大興県の農民だと言う。
それらの光景が、二十数年経った今でも鮮やかに思い出される。初めて肌で出会った中国、そんなところか……。
今では冬でも西瓜がある。海南島あたりから持って来るという。それでも、夏になり、街に西瓜の山が出来ると、なぜか嬉しい気分になる。
街角で西瓜の山を見て、たまたま一緒にいた馬慶明さんに言ってみる。
「確か、鄭州三号と言ったよね」
彼は馬鹿にするように笑う。
「和田さん、古いですね……」
品種改良が重ねられ、今の流行は「京欣」というのだそうだ。シャレた名前だ。しかし、名前がシャレただけで、西瓜の山があって、罵りあって、ポンポン叩いて、夜には西瓜の山の麓で寝ていることには変わりがない。
西瓜というものがなければ、きっと、北京の夏は少し寂しい。
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