<蝉はいつ鳴く?>
「今年、蝉が少なくない?」
馬慶明さんに聞いてみる。
昼間に外を歩いていてふと思った。三十六度の炎天。風に、白い葉裏を浪のように揺らす白楊の並木。マメ科特有の葉から木漏れ日を路上に投げかけ、さらにはそれを光の漣のようにくゆらす槐の並木。それらの木陰で腰掛け、暑さを凌ぐ人々。自転車に乗ったアイスキャンデーの売り声。北京の夏だ。何もかもが、いつもの夏だ。
でも、ふと思った。蝉の声が聞こえない、と。私の脳裏に染みついている北京の夏には、今述べた光景に加え、蝉がワンワン鳴いていなければならない。暑い。暑いところに蝉が鳴く。世界中の蝉がいっぺんに鳴いるかのように。耳のなかでも鳴いているかのように。何か、マゾヒステックな喜びに浸りながら歩く。
ところが、今年は、蝉の声が聞こえない。どうしちゃったのだろう。
異変の前触れ? 大発見? 世界の大事件に遭遇したかのような気分で馬慶明さんに訊ねたが、彼の答えは、実に、素っ気ないものだった。
「まだ、大暑になってないじゃないですか」
二十四節気というのがあるのだそうだ。小寒、大寒、立春、雨水、啓蟄、春分……と。季節の変わり目を二十四に分けて言葉にする。雨水。勿論、春の雨の降り始めを言う。啓蟄というのは、土のなかの虫が冬ごもりから覚め這い出してくることを言う。いかにも農耕民族が生み出した知恵、という感じで、なかなか、味わいがある。
大暑。文字通り一年中で最も暑い時期を言う。今年でいうと、七月二十三日にあたる、という。
「昔から、蝉が鳴くのは大暑から、って決まっているんですよ。中国の蝉は時間には正確ですから……」
なるほど。今鳴いている奴は、中国の伝統的な暦を理解していない。フライングで失格だ。
私は昨日の出来事を思い出した。
朝の八時半に関係先の中国の会社に電話をした。
「李さんをお願いできます?」
未だ来ていない、と言う。
「王さんは?」
王さんもまだだ。
「あれ、始業は何時だったけ?」
「八時半です」
六、七人いる事務所で時間通りに出社しているのは、電話を取ってくれた女性だけだった。
「みんな、何時頃くるのだろう?」
「八時半のはじまりですからね。九時頃でしょう」
夕方、用事があって別な会社に電話をした。
「陳さんいます?」
退社したという。
「時間はなんじだったけ?」
「五時です」
「五時って、まだ、十分以上あるじゃない」
「でも、とにかく、帰ったのです」
「じゃあ、劉さんは?……張さんは?……郭さんは?……」
どうなってるんだ。
そうか。中国の蝉は時間に忠実なのか……。
大暑には、北京中の蝉が一斉に鳴き出すだろうか?
七月二十三日を楽しみに待て。
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