* 北京胡同物語・胡同の夏 *


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<夏の果物>

 近頃の蝉の鳴き方。狂ったように鳴いている。聞いているだけで暑くなる。

 以前、西瓜のことを書いたが、この時期西瓜の外にもさまざまな果物が街に溢れる。
 先ず、目に付くのは桃。荷車に桃を山のように積み上げて、「甘い桃だよー甘い桃」、と道行く人に声を掛ける桃売りがどの街角にも立っている。場所によっては、四台も五台も連なってそれぞれに大声を上げている。蝉よりもうるさい。それにしても、見ていると、人がよく買って行く。
「中国人は桃が好きなんだ……」
 いや、単に好きということを超えて、何か特別な果物であるのかも知れない。
 孫悟空が天上に盗みに行ったのも桃だ。西王母が育てている桃で、三千年に一度実を結び、それを食べると不老長寿になれるという。
 お父さんやお爺さんの誕生日のお祝いにみんなで食べるのは、桃の形をした饅頭だ。結納の時に好んで送られるのも桃だという。『三国志』のなかで劉備、関羽、張飛の三人が義兄弟の契りを結ぶのも「桃園」だ。俗世間を離れた別天地は「桃源郷」だ。
 年画というのがある。正月に室内に飾る版画だが、勿論おめでたいものが描かれる。それに、よく桃が描かれている。丸々と太った男の赤ん坊に抱かれていたり、白い顎ヒゲのお爺さんの掌に乗っていたり。日本人から見ると少しも美的な感じはしないが中国の人には大変好ましいものに見えるらしい。
「なぜだろう」
 馬慶明さんは言う。
「お母さんの乳房の形だからですよ」
「忘れちゃったな。もう五十年も前のことだから。吸ったのは」
「いや、和田所長のお母さんのじゃなくてもいいんですよ。お母さん一般の」
「乳房というより、お尻に見えるけどね。割れていて」
 とにかく中国人には豊穣さ、生命力、そういったものの象徴に見えるらしい。
 そんなものだろうか。桃をじっくり見てみる。なるほど。読者諸氏も試みられたらよい。ジーと見つめる。フムフム……。次第に、当たり前の桃の形が当たり前でなくなってくる。頭が斜めにとんがって、身はふくよかに、そして膨らむことで割れ目をつくった。確かに張っている。内から張っている。乳を満タンにした乳房のように。美しい、というのではないかも知れない。それにしても、何か奇跡のような姿である。豊かさってこういうことを言うのだろうか……こんな感じになってくる。
 とにかく、桃は中国人にとって特別な果物であるらしい。

 茘枝。勿論北京ではとれない。広州あたりから運んでくるのだろう。楊貴妃が好んだ果物として有名だ。デリケートな果実で味が落ちやすい。新鮮な茘枝を長安に届けるのは容易なことではない。早馬で日に夜を継いで運ばせたという。
 大きさは梅の実ほど。赤褐色の固い外皮に包まれている。外見はお世辞にも優雅とは言えない。ただ、その皮をひとたびむけば、乳白色のツルンとした果肉があらわれる。白い肌の美女が裸で出てきたような。嘘のように美しい。口に含むとヒヤッと心地よい。噛むと芳醇な果汁が口の中にひろがる。なるほど。楊貴妃だ。

 ハミ瓜もこの季節だ。ハミ、漢字で書くと哈密。地名である。遙か西の方。新疆ウイグル自治区の砂漠の真っ只中。
 ラグビーボールを思い浮かべていただければよい。形といい大きさといい。色は黄緑色。包丁で切ると、薄橙の中身があらわれる。西瓜のようには水っぽくない。しまっていて噛むとサクッと音がする。そして、甘い。実のところ、私が一年を通して北京で食べる果物のうち最も好きなのが、このハミ瓜である。一夏に一人で二十個も三十個も食べる。みずみずしい甘さのなかに、いつも、このラグビーボールに惜しみなく降り注いだ灼熱の太陽を想う。砂漠に吹く熱く、乾いた風の音を想う。


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