* 北京胡同物語・雑踏は北京の味わい *


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<前門へは地下鉄に乗って>

 賑わいにもまれたい。人の波に揺られたい。そのために前門へ行くのなら、地下鉄に乗って行くのがよい。
 理由はふたつある。
 ひとつは、地下鉄に乗ること自体が面白い。と、いっても、地下鉄の姿形が日本のそれと違うわけではない。北京の地下鉄はディズニーランドのジェットコースターみたいに宙返りをする、というわけではない。乗っている人が、どこか、日本とは違う、という意味だ。
 真っ先に気が付くのは、乗客がよくモノを食べている、ということ。トウモロコシとか、アイスクリームとか。男も女も老も若も。地下鉄のなかで食べると美味いのかね。この間なんか、弁当を食べている人がいた。発泡スチロールの包みの、街でよく売っている。地下鉄ですよ。食堂車じゃないんだから。
 それから、車内で新聞を売り歩いている人がいる。混んだ車内をかき分けながら新聞を売る。人の迷惑なんか関係ない。一部二元(一元は、今は、約18円)。いくら手元に残るのか知らないが、大した根性だと思うよ。勿論、地下鉄当局の許可なんか取っているはずはない。勝手に売って、勝手に稼ぐ。
 根性と言えば、もっと凄いのは、子供の物乞い。小学二、三年の男の子が車内を歩いてきた。何となく見ていた。私の隣に腰掛けていた中年の男性の前まで来ると、突然、足下にひざまづいて額を床にすりつけながら、呪文みたいに何かを言いだした。驚きのあまり、思わず、アッと、声あげていた。額を床にすりつけたまま、両手を頭の上に挙げ、明らかに何かをくれ、という恰好をする。
 隣の男は、慣れていたのか、驚いた様子も見せず、しっしっとハエでも追い払うように手の甲を動かした。すると、子供は、諦めよくさっと立ち上がって、今度は、向かい側に腰掛けていた若い男に足下にひざまづいた。その若い男は、機嫌が良かったのか、何を思ったのか、胸のポケットから二つ折りにしてあった金を出し、一元札を与えた。
 これだって地下鉄当局の許可を取っているわけではない。あの子は、ああやっていくら稼ぐのだろう。嫌なものが残る。嫌なものが残るが、光景そのものは、あっけらかんとしている。どうしようもないくらいに、あっけらかんとしている。

 弁当を食っている人と、新聞売りと、子供の物乞いがいつもいるわけではない。三つが揃っている場面などには、余程運が良くないと出くわせないだろう。それにしても、私が日本人だからだろう、何か滅茶苦茶だなあ、と感じる。秩序ってものがないなあ、と思う。だから、前門に人の波にもまれに行くときには、地下鉄で行くのがよい。


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