<前門だよ、お母っさん>
地下鉄を降りて地上に出る。出た時の街の雰囲気が、前門は、他の地下鉄の駅とは違う。たちまち客引きに囲まれる。旅館。三輪車こぎ。北京版はとバスといった市内観光バス。うかうかしていると、すぐにでも腕を取られて引っ張って行かれそうな勢いだ。
ほかの駅ではこんなことはない。
地下鉄の出口から商店街へ出るには、もうひとつ地下道をくぐらなければならない。この地下道が、また、滅茶苦茶だ。灯りもない薄暗がりのなか、本を四、五冊、段ボールの台に並べて売っている男がいる。表紙を見ると、「毛沢東と彼の女たち」とか「毛沢東最後の女性」とか、そんなヤツだ。発禁本なのだろう。その隣では、「日本製カメラ、198元から98元へ投げ売り」と書かれた幟をたててコンパクト・カメラを山のように積み上げて売っている。オモチャ売りもいる。ピアス売りもいる。階段に腰掛け二弦の楽器を弾いている老人もいる。側には金を投げ込ませるための茶碗が置かれている。
どこかいかがわしい地下道を通って商店街で出ると、前に書いたように、安物とニセ物の店がビッシリと並び、人々が押し合いへし合いをして歩いている。歩いている人は、大抵がお上りさんだ。歩いている人ばかりではない。大声を張り上げ、お上りさんに自分の店のモノを売りつけようとしている方も北京の人ではない。地方から出てきた人だ。今のお上りさんと、かつてのお上りさんが喧嘩をしながら売ったり買ったりしている。
この街の活気はそういう活気だ。この街のいかがわしさはそういういかがわしさだ。
前門には停車場があった。北京と瀋陽を結ぶ京奉線。北京と漢口を結ぶ京漢線。北京と張家口を結ぶ京張線。清朝末から鉄道の敷設が始められた。これらの鉄道の北京側の終点は前門であった。この鉄道を伝わって多くのお上りさんが北京へやってきた。地方の人にとって、北京の入口は前門であった。人々の北京への憧れは、前門への憧れでもあった。地方で食い詰めた農民も、青雲立志の熱に燃えた青年も、彼らが北京で最初に見たものは前門にそびえる正陽門であり箭楼であり、雑踏であった。
四十年ほど前、駅は現在の北京駅へと移っていったが、田舎の人たちは、いまだに、前門に集まってくる。旅館や北京版はとバスの客引きが多いのもそのためだ。
ふと、振り返ると、箭楼が堂々と聳えている。人々を見守るように。
どこかインチキな街だが、人々の活気は本物だ。人々の生きることへの情熱は本物だ。金を稼ぐことへのどん欲さは本物だ。そんな感じの街だ。
箭楼が目に入った瞬間だ。「前門だよ、お母っさん」、声を出してこう言ってみたいような衝動に襲われた。
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