<大柵欄の見た夢は……>
「珠宝市街」を抜けると、そこは「大柵欄」の入口。「珠宝市街」は南北に、「大柵欄」は東西に、それぞれ延びている。「珠宝市街」の南の端と「大柵欄」の東の端が、直角に交わる。
勿論、「大柵欄」の人混みも大変なものである。「珠宝市街」に負けない。ただ、この二つの通りが醸し出す雰囲気は、ちょっと違う。足を踏み入れればすぐに感じる。店の構えが違う。一方は、いかにも、安物とニセ物しか売らないことにしています、という顔をしている。一方は、私たちは本格派です、という顔つきをしている。一方は、せいぜい三、四メートルしかない間口の店が長屋のように繋がっている。一方は、寺だか廟だかと見間違うような、赤い柱に瑠璃の瓦の四階建て、という建物が建ち並ぶ。
シルクの「瑞フ(虫編に夫)祥」であり、お茶の「張一元」であり、薬の「同仁堂」であり、靴の「内聯陞」である。みな、老舗中の老舗といってよい。
解放前、北京の人々の間でこんな言い方が流行ったという。
「頭にかぶるのは馬聚源、身に纏うのは瑞フ祥、足に穿くのは内聯陞、腰に巻き付けるのは四大恒」。四大恒というのには解説が要るかも知れない。正式には四大恒銭荘。当時有力だった銀行の名前である。「腰に巻き付ける」というのは、そこが発行した銀兌換券のびっしり詰まった財布を下腹に巻くことを意味した。帽子と、服と、靴と、銀票。ともに上流階級のステイタス・シンボルであった。そのうちの、瑞フ祥と内聯陞は、当時、「大柵欄」にあった。今もある。
因みに、馬聚源は、「大柵欄」からほんの数百メートル、前門大街を横切った鮮魚口街にある。銀票は、勿論、もうない。
「大柵欄」というのは、そういうところだった。上流階級が上流階級であることを示す材料が道いっぱいに詰まっている……。
門構えが違う。
店にはいると、売り子の表情も、どこか、違う。
お客の顔つきも、どこか、違う。同じ客が、「珠宝市街」から流れてきたに決まっている。だが、老舗の店のなかでは、みんなが大人しい。さっきまで、「珠宝市街」で地方での売り子と怒鳴りあっていた人も、ここでは、ちょっとすまして買い物をする。
「『大柵欄』の老舗は北京の誇り」。そんなところか。そんな雰囲気も、また、悪くはない。
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