<北京の春は柳の芽から>
北京の春は突然にやってくる。
ある朝、目覚めると、春になっていた。そんな感じだ。
北京の冬は、長く厳しい。北京の寒さは、日本の寒さと少し違う。厳しいということだけではない。乾いている。カーンという寒さだ。身を切るような北風が吹き、人々は綿の入った青色か緑色のコートを、布団で身を包むように、背負い、誰もがうつむきかげんに歩いている。木々は葉を落とし尽くし、灰褐色の幹と枝を晒している。街は色彩を失い、灰色のなかに埋もれてしまったようだ。
それでも、春が来る。
北京で冬を過ごすと、この街はこのままずっと冬なのでは……、何故か、そんな気になって来るが、そうではない。ちゃんと、春が来る。
春は、柳の芽から来る。
誰だこの森を街と呼ぶのは、と北京を讃したのは、芥川龍之介であったか。芥川が北京に滞在し、「北京にある事三日既に北京に惚れこみ候」、と室生犀星に書き送ったのは、大正十年のことだ。彼が見た風景と、私たちが現在見ている風景と、どれほど同じなのか、どれほど違うのか、私には、見当が付かない。ただ言えることは、今見る北京の街路樹はとにかく素晴らしい、ということだ。
しかし、前にも言った、殆どが落葉樹である。葉を落とし尽くし、息をひそめ、死んだように黙している。そこに森のような木々があることを、道行く人々はすっかり忘れている。芥川が北京に滞在したのは、間違いなく、初夏から秋の間のことであったはずだ。
北京の春が、まず最初にやることは、これらの木々に緑の息吹を吹きかけることである。
春は、柳の芽に始まる。
北京の街路樹は主には、槐(えんじゅ)、柳、白楊。槐は、日本語では、ニセアカシアという。白楊は、ポプラと訳されるが、私たちが謂うポプラとは少し違う。木肌が名の通り白っぽく、枝があのように垂直に上に伸びることはない。ただし、「ポプラ」と同じく、幹は太く背丈は直立し、しかも、三十メートルを優に越える高さになる。北京の大通りには、この白楊を街路樹として左右に立ち並べたものが多い。これらのうち、最初に芽吹くのは、柳である。
ある朝、街を歩いていると、裸の木々の枝がボーと煙っているように見える。ほんのかすかに。本当に煙っているのだろうか? それとも、眼の錯覚だろうか? 眼をこすったり、眼鏡を拭いてみたりする。やはり、かすかに霞んでいるように見える。誰かと一緒にいると、聞いてみる。「あの辺の枝、煙って見えない?」 聞かれた方も定かではない。「うん、オレもさっきからそんな気がしてた。でも、錯覚のような気もする……」
数日すると、煙に薄緑の色が付いてくる。こうなると、もはや錯覚でないことがハッキリする。木々の芽が膨らんできているのだ。
ああ、春が来るんだ!
また数日すると、薄緑の煙の中に、紛れもない、今生まれてきたばかりです、と新緑に濡れた葉が顔を出す。それが、柳だ。三月も下旬の頃である。相変わらず空気は冷たい。外の木々は黒い裸のままである。胡同の壁は鈍い灰色だ。その中で、柳だけがみずみずしい緑の葉を吐き出すように枝に付け始める。何とも言えぬ不思議な感動が身体の中から湧き起こる。冬が長かっただけに、今でも吹く風が冷たいだけに、殺伐と乾ききった空気の中だけに、みずみずしさが目にしみる。
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