* 北京胡同物語・毎日がお祭り……天橋の夢 *


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<遊子家を憶わず>

 酒旗戯鼓天橋市 多少游人不憶家

 酒屋の旗がはためき、芝居小屋の太鼓の音が響く
 遊子興じて家を憶わず

 清末から民国にかけての詩人、易順鼎の《天橋曲》の一節である。洛陽の人。この地へ漫遊に来て、彼は驚く。眼に見たものは、路の両側に先の先まで連なる「酒旗」のはためきであった。耳に聞いたものは、胸を高鳴らす「戯鼓」の響きであった。出会ったのは柳腰の妓女たちであった。何という賑やかさ。何というあでやかさ。洛陽の鄙では想像もできない心の高揚。魂を奪われ、夜も日も上げず天橋の入り浸ることになる。そして、なしたのが《天橋曲》だと言う。
 今でもひろく人口に膾炙する。天橋を歌って実に巧みだ。切ないほどだ。北京の人々が未だにこの詩句を忘れないのは、彼らが天橋の嘗ての輝きを忘れていないからだ。

「多少游人不憶家」。
 遊子興じて家を憶わず、と訳してみた。「游人」を「遊子」と訳すのは必ずしも穏当ではないかも知れない。「遊子」と言ったら、故郷を離れた旅人になる。「游人」という中国語の意味はもっと広いだろう。旅人であろうが北京の人であろうが、とにかく、そこで遊んでいる人、そういう意味だろう。
 それでも、やはり、「遊子」と訳したい。そこが、この詩句の切なさだと思う。天橋では、誰もが、エトランゼになる。それが、非権力の混沌。
「不憶家」。しかし、本当にまったく家を憶わないならこの句は要らない。あるいは、想い浮かばない。憶うのだが帰ろうとしない。それが、「不憶家」。そこが、切なさ、エトランゼ。


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