* 北京胡同物語・春は黙って駆け抜けて *


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<春の市場>

 柳が芽を吹く。春になる。市場が、俄然、活気だす。街中至る所に胡同があるように、街中至る所に露天の市場がある。その市場に新鮮な野菜が溢れるように並べられる。人々はそれを求めて、これまた溢れるように、市場に繰り出してくる。
 昔、冬の野菜といえば白菜しかなかった。昔といっても、ほんの二、三年ほど前までのことだ。毎年十一月になると街角に白菜専門の市が立った。人々は山のような白菜を買い、それを大八車で運んでいた。それを初めて見たときなど、北京中の人が白菜屋を始めるのかと驚いたものだ。それが、家族の一冬中の野菜であった。今は違う。冬でも青い野菜を市場で売っている。温室ものもあれば、南方から運んでくるものもある。経済の仕組みも、人々の暮らしも大いに変わった。もう、誰も大八車で白菜など買いに行かないに違いない。
 それでも、春の市場の活気は、やはり、格別だ。
「椿」が市に出る。日本の椿とは違う。日本の椿は「茶花」という。「椿」の新芽を食べる。春の新芽しか食べない。「香椿」という。湯をさっと通して塩をまぶしたり、千切りにして豆腐の上に置いたりする。味は、少し苦い。「確かに、木の芽の味だ」。木の芽など食べたことのない私たちでも、そう感じる。そんな味だ。北京の人々は、味よりも香りを楽しむ。だから、「香椿」だ。市場で初めて見かけると、誰もが足を止め、手にとって香りを嗅ぐ。買ってもいい。買わなくともいい。とにかく鼻に近づける。息を吸い込む。間違いない。一年振りの春の香りだ。誰もがそんな顔をする。安堵といったら良いだろうか? 喜びといったら良いだろうか?
 日本人にはない表情だ。
 芽といえば、柳や白楊の新芽も食べる。さっとゆがく。これも春だけの味だ。市場で売ってるわけではない。街中に柳や白楊の街路樹があり、葉っぱが溢れているのだ。金を払って買う人がいるわけがない。しかし、いくらただだと言ったって、どんぶりいっぱい食べる人はいまい。ほんの一口、ほんの一口食べれば良いのだ。少し苦く、そして生命力に溢れた復活の味がする。
 それから青ニンニク。根が膨らむ前の、葉の付いたニンニクをいう。あるいは、小ネギ。ニラみたいに細いネギだ。根の部分を生のまま、大豆の味噌をつけてかじる。
 そう。考えてみれば、どれもこれも、香りを楽しむ食材ばかりだ。春の市場には、ほのかに青苦い香りが並ぶことになる、ということらしい。きっと、それが北京の春なのだ。それが、人々が待っていたものなんだ。そうでなければ、何で、柳の葉など食べるものか。

 食べ物ではないが、この頃市場に出てくるものに、金魚がある。
 日本の俳句でいう季語としては夏なのだろうが、北京では「香椿」と同じ時期に露天の市場に並び、人々に春の到来を知らせる。昔は天秤棒にたらいを担ぎ、独特の抑揚の売り声で胡同を売り歩いたという。北京の冬は氷に閉ざされる。故宮の周りのお堀にも厚い氷が張る。その氷が溶け、水がぬるむ。金魚売りは、その象徴なのだろう。人々は金魚売りの売り声に、むるんだ水の感触を思い出す……。今、その声はない。それでも、金魚売りの周りには大勢の人がたかる。誰もが、どこか嬉しそうに水槽のなかの金魚を、いつまででも飽きずに、見ている。
 金魚たちも、心なしか、水のむるんだ感触を楽しんでいるかのように、これまたいつまででも飽きずに、尾ビレをヒラヒラ、ユラユラさせている。金魚の上では、柳の葉が風に揺られ、春の光も、水槽のなかで揺れている。


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