* 北京胡同物語・胡同を歩く *


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<最古の胡同?>

 三千あるという。どの胡同から始めてもよい……。
 そう、三廟街。こんなのはどうだろう? 何かというと、北京にある最古の胡同……。この国のことは、何に限らず、黙っていてもそもそもが古いのだ。まして、「古い」とか「昔」とか言い始めたら、余程昔のことだと覚悟した方がいい。で、この胡同、どのくらい古いかというと、九百年前の胡同だという。本当だろうか?

 柳絮が飛んでいた。四月最後の日曜日。最盛期を過ぎたとはいえ、折からの風にあおられて白い綿の群れが、三廟街を西へ西へと流れていた。
 地図を頼りにやってきた。街の西南。宣武門大街は街を東西に貫く大通り。その宣武門大街から長椿街を南へ下る。ほんの数十メートル。標識を見付けて東に折れると、そこが三廟街。
 なんの変哲もない道だ。道の幅は、四、五メートル。北側には五階建てぐらいの古びたアパートが建ち並んでいる。南側には商店が。肉屋。皮を剥いだ羊や大きな塊の牛の肉が大きな鉄の鈎で吊されている。「山西面食」という看板を掲げたソバ屋。服の仕立屋。前を通るときミシンを踏む音が聞こえてきた。お茶屋。「新茶」の貼り紙がガラス戸に張られている。小龍包の蒸籠が湯気を立てている小料理屋。五、六人も入ればいっぱいになる。どの店も、一、二間ほどの狭い間口だ。おお、美容院もある。「鳳凰美容」。ちょっと大袈裟すぎない? イスはひとつしかないのに。
 商店街というには、さびれすぎている。裏道というには、人通りが多すぎる。要は、北京中に何百とある当たり前の道だ。
 歩いてみる。西から東へ。ほんの百メートル。もう出口だ。出口というのか入口というのか、とにかく、別な胡同との境にきてしまう。引き返す。東から西へ。「九百年前の胡同……」。巧く感慨が整理できない。というより、感慨が湧いてこない。「何をどう感じるのが歴史に対する正しい感受性なのだ……」。答えがないまま、ぶつぶつぶつ、と三往復した。くたびれて、槐の木陰の石段に腰掛ける。

 現在の北京の街の大体の姿は明代に造営されたものだ。十四世紀から十五世紀にかけて。故宮もそうだし、鼓楼も景山も天安門も正陽門も永定門も。環状道路である二環路は、明代に造られた内城壁を取り払って造られたものだ。
 明の前は蒙古族の元。元も都を北京(当時の名は大都)に置いていた。ただし、城全体がもっと北寄りに造られていたという。中心は現在の鼓楼の辺りだったという。つまり、明の皇城や城壁は元のものを解体し、新たに造り直された。
 その元に滅ぼされたのが女真族の金。金の時代、北京は中都と呼ばれていた。金はここから南宋に睨みをきかせていたのだが、その時の街の中心は、現在の北京から見れば西南の街のはずれに位置していた。元の都も、また、金の城を放棄する形で新たに造られたものであった。
 その金が、この地で、滅ぼしたのが、遼。北方民族である契丹の建てた国である。当時の北京の人口は三十万だったというが、その時代に賑やかだったのが、今私がいるこの付近であったという。それが、九百年前。
 契丹の遼が滅び、女真族の金が滅び、蒙古族の元が滅び、漢族の明が滅び、満州族の清が滅び、中華民国が倒れて、中華人民共和国になった。戦役もあり破壊もあり城街の変遷もあり街路の統廃合もあり……。その間、九百年。唯この一本の道だけは、そのまま道として残った。名前は変わった。遼代の呼称は壇州街と言ったという。街はすっかり姿を変えた。建物は建て替えられ、道は造り替えられた。ただ、この、幅四、五メートル長さ百メートルの胡同だけは、胡同として残った。
 エライ? いや、別にエラかない。
 不思議? いや、別に不思議ということでもない。

 槐の下に腰掛け道行く人を、見るともなく見ている。うららかな春の陽が降り注ぐ。年寄りにも。若いカップルにも。親子連れにも……。春の光のなかを柳絮が飛ぶ。右へ右へと流れるように飛ぶ。道行く人の髪にも顔にも降りかかる。カップルは迷惑気に振り払う。子供は手に掴もうと追いかける。老人は、昔を回想するように、白い綿の群れのうちのひとつを目で追い続ける。
 柳絮は九百年前から飛んでいたのだろうか?
 九百年前にも、若い夫婦や子供連れや老人がこの道を歩いていたのだろうか? 柳絮は同じように彼らに降りかかっていただろうか? 子供は手で掴もうとしていただろうか? 年寄りは、昔を回想しながら、白い綿のひとつを目で追いかけていただろうか?
 そんなこと、分かるわけない。その通り。
 それにしても……心なしか、この街には老人が多い気がする。気のせいだろう。街が古いことが、年寄りが多いことの原因になるだろうか? ならないだろう。九百年前から生きているわけではないのだから。

 とにかく、分かった。誰も、九百年前のことなんか考えていない。柳絮が舞っているだけだ。春の気が、惜しげもなく、降り注いでいるだけだ。そのなかで、人々は、肉を割き、ミシンを踏み、茶を売り、小龍包を蒸かし、道を歩く。それだけのことだ。九百年、九百年……。そんかことをブツブツ言っているのは私だけだ。
 そう。何も不思議なことはない。私がここにいて、槐の木陰に腰掛け、降り注ぐ陽と流れる柳絮と道行く人を眺めていることの方が余程不思議なのだ。
 いや、それとも、九百年前にも、誰かが槐の木の下に腰掛けて、道行く人を見ながらブツブツ世迷いごとをつぶやいていただろうか。それは、もしかしたら、私?

 何気なく掌に目をやると、槐の葉を通した木漏れ日が掌のうえで揺れている。そう、九百年前からそうあるように。
 三廟街。フーム、なかなか良い街だ。


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