<胡同の朝はなぜ早い?>
胡同の朝は早い。その早いなかでも一番早いのは、何といってもお年寄りだ。暗いうちに起き出し近くの公園に太極拳をしに行く。
老人が早いのは北京の住宅事情のせいだ、という人がいる。若夫婦と同居している、しかし、家が狭い。殆ど全員が肩を並べて寝ている。そこで、若い二人に夫婦の性愛の時を提供するために老人は朝早く家を出る、と。本当だろうか?
前に北京城街の中軸線について書いた。その中軸線の北端にどっしりと構えているのが鼓楼と鐘楼だ。手前が鼓楼。大きな体躯。赤銅色の壁と黄色い瓦。後ろが鐘楼。控えめな細身。灰色の壁と緑の瓦。明・清の時代を通じ、そしてほんの七十年程前まで、鐘と太鼓で北京の人々に時を知らせていたという。
鼓楼は太鼓を打って人々に時を告げた。では、太鼓を打つ役人はどうやって時を知ったか?
腕時計を見て太鼓を打った。そんなことはない。水時計で時を測った計ったという。細い管から垂れ落ちる水滴の料で。冬は凍るだろうに、どうしたのだろう? とにかく、大変なこった。
鼓楼に上ると、眼下に家々の瓦が海のように広がっている。整ったそれではない。下町の、貧しいと言っていいのかも知れない、庶民のそれだ。不規則にごちゃごちゃと。決して美しいわけではない。それでも、私の北京で最も好きな場所のひとつだ。鼓楼の周りには露天の市場が、楼の裾に取り付くように軒を並べる。物売りの喧噪と食べ物の匂いが、沸き立つように、辺りを包む。そんなものを身いっぱいに纏いながら鼓楼の木の階段を昇る。不規則な瓦の波が見える。そこから、何とも言えぬ、民衆のエネルギーが立ち昇ってくるのを感じる。
春ともなると、燕の群が鼓楼の周りを飛び交う。北京は古くは「燕の国」。北京の人は、今でも洒落て「燕京」などと呼ぶ。「燕京」。綺麗な言葉だ。北京で一番人気のあるビールは「燕京ビール」だ。燕京飯店というホテルもある。この燕の大群。なるほど「燕の国」だ。鼓楼は、遠く飛来する燕たちにねぐらを提供する。
鼓楼が時を告げなくなったのは一九〇〇年。義和団事件が起き、八カ国連合が北京に入ったとき、大太鼓は日本軍の軍刀で切り裂かれた。それ以来だ。鼓楼が人々に時を告げなくなったのは。爾来、九十有余年。日毎に鼓楼が時を告げる音を聴きつつ暮らした人は、もう殆ど、この世にはいない、ということだ。
その鼓楼からほど近いところに大きな池がある。北京の人は、これを「池」だなどとケチな呼び方をしない。「海」と呼ぶ。ちょっとオーバーがすぎる。什刹海。その岸辺には柳が植えられ市民の憩いの場所になっている。柳の下では、朝、何時に行っても何人ものお年寄りが、思い思いの場所で、太極拳をしている。若夫婦のために家を抜け出した(?)人たちだ。ふと、思った。早い人は、一体、何時にきているのだろう? 試しに、六時に行ってみた。もう沢山の人がいる。次の日曜日、よしっとばかり、地下鉄の始発に乗って行った。五時過ぎに着いたが、私などは早い部類に入らない。どうなってるんだ。こうなれば意地だと、次の日曜日、目覚ましを三時半に合わせて、タクシーでやってきた。何と、沢山とは言えないまでも、もう何人もの人たちが、殆ど暗闇のなかで、太極拳をやっているではないか。これは、朝が早いと言うより、夜遊びだ。
いや……。ふと、妙な疑問が湧いた。
鼓楼の朝を告げる太鼓は、何時に鳴ったんだ、と。
ひょっとして、えらい早かったのではないだろうか?
調べると、その通り。夜の間、鼓楼は五回太鼓を鳴らした。初更は夜の八時。二更は十時。三更は十二時。四更は二時。五更は明け方の四時。このうち、四更の太鼓を「亮鼓」と呼び、特別な打ち方をした。「亮」は夜明け。即ち、これが、朝の合図であった。つまり、鼓楼の告げる時によれば、朝は二時なのだ。
鼓楼が黙して百年。人々は、未だに、聞こえぬ太鼓に合わせて生活をしているのではないだろうか?
と、いうわけで、胡同の朝は早い。
什刹海は真ん中が細くくびれていて、前海と後海に分かれる。そのくびれたところに小さな石の橋が架かっている。銀錠橋という。そのたもとに、毎朝、露天の店が出る。円いあげパンを揚げている。その隣では、豆腐脳を売っている。豆腐脳というのは、にがりを入れない軟らかい豆腐で、どんぶりに入れ、汁をかけ、ネギとか辣醤を自分の好みで混ぜ合わせる。近くの胡同から人々が入れ替わり立ち替わりやってくる。先ず、揚げパンを買い、隣で豆腐脳を買い、その隣に、五、六個、置かれている椅子に腰掛けて食べる。年寄りもいる。子供連れもいる。椅子が足りなくなると、立ったまま食べる。別にどうってことはない。髪を綺麗にとかし赤い口紅の娘さんも、その赤い唇で円い揚げパンに食らいついている。ちょっと変だ。でも、変でも何でもないのだろう。ひとつ発見をした。人が夢中になって食べている姿は美しい、と。見上げると、鼓楼が、荘重たる姿で人々を見下ろしている。「どうだ、うまいか」。そんなところか。
銀錠橋のたもとに限らない。鼓楼から下に家々の瓦が波のように見えた。その波の下には、幾つもの胡同が繋がっている。鐘鋳胡同、小石橋胡同、後馬廠胡同、双寺胡同、鐘庫胡同、豆腐池胡同、浄土胡同、郎家胡同……。どこにも人々の暮らしが息づいている。どの胡同にも、朝には、煙が流れ、パンが揚げられ、豆腐脳が売られ、小龍包を蒸かす湯気が立ち昇る。人々は、それに夢中に食らいつく。如何にも美味そうに食べる。本当にうまいのだろう。見上げると、鼓楼。その黄色い甍をかすめて燕が飛び交う。アッと、驚くほどの燕の数だ。春だ……。燕が遠く飛び来たりて北京の人々に春を告げる。太鼓は鳴らない。それでも、大きな意味では、鼓楼はいまだに人々に時を告げていることになるのかも知れない。
朝の胡同には、何とも言えぬ活気がある。
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