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* 北京・街角の歌ごえ *


<小鳥を飼う>

 北京には公園が多い。朝の公園には、必ず、お年寄りがいる。お年寄りのそばの木立には、まず間違いなく、鳥籠が掛けてある。鳥籠のなかでは、小鳥が一羽、朝日を受けて、気持ちよさそうにさえずっている。
 北京の街には、どういうわけか、お年寄りが多い。独り子政策が浸透する一方で長寿の傾向が進んでいる? その年寄りがみな鳥籠をぶら下げて歩いている。その鳥の数たるや相当のものだ。
 小鳥のさえずりを楽しむ。悪い趣味では、勿論、ない。「耳福」と言うのだろうか。長い間生きてきた。嫌なことをいっぱい聞いて生きてきた。人生終わりのひとときぐらい心地よい音だけを聞いていたいよ。俗を忘れてね。
 こんなところか。

 しかし、そんなふうに想像するのは日本人のセンチメンタリズムに過ぎないようだ。
 清代末、北京における鳥飼フィーバーがこんなふうに書き残されている。
「下はいたずら小僧、貧乏人より上は紳士、金持ちに至るまで、手に一鳥を下げ街を逍遥せざる者なし。国を挙げて狂えるがごとし」。
「狂って」いるのは、「耳福」に対してではない。小鳥の声を競うことにおいてであり、他人を負かすことにおいてである。
 その状況は、おそらく、現代においても変わってはいまい。
 公園のお年寄りは一人でいるよりも二人でいることが多い。二人でいるよりも三人でいることが多い。彼らは、ひとに自慢の鳥の声を聞かせるために集まってくる。「勝ったな」。にっこりほくそ笑む。「畜生、向こうの声の方がいいや」。執念を燃やし、日夜鳥の訓練に励む。

「耳福」にしても執念にしても、どちらにしても、楽しんでいることに変わりはない。そう。鳥籠の下で、彼らは実に愉しそうにしている。でも、本当は鳥なんてどうでもいいのかも知れない。清代末も現代も。


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