目次
貴陽
凱里
榕江

 
===貴州省===
旅チャイナ・トップ |  青海チベット鉄道・入域許可書 | 

《貴陽市》(きよう)
 貴州省の省都。貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三分の銀なし」という。雨が多く、山が多く、貧しいことを言う。
 それでも観光という点からいえば、山々を削って造られた棚田の美しさ、そこでコツコツと田を耕すミアオ族、ブイ族、トン族、イ族などの少数民族の人々。風雨橋と呼ばれる雨から橋を守るために上に楼閣のような屋根をつけた橋。尽きることのない魅力に溢れたところである。

<花渓公園>(かけいこうえん)
 貴陽市の南17キロ。公園の真ん中を花渓河が流れる。河あり滝あり池あり。それが全体緑の山の中にあり、小径と橋で散策路が繋がっている。 春には百花繚乱となる。公園の正面には大将山がそびえる。緑の屏風のようである。山麓に点在する村落は、ミャオ(苗)、プイ(布依)などの少数民族が多い。
 なお、花渓河とは、南明河の一部、竜山峡から済番橋までを言う。

<甲秀楼>(こうしゅうろう)
 南明河岸に立つ美しい楼閣。三層で高さは20メートル。明の万暦年間(1573〜1620)に巡撫の江東之が堰堤を築くとともに、楼を建てて科挙の試験に優秀であることを目指せとの意で甲秀楼と名付けたとされる。

<黔霊山>(けんれいざん)
 貴陽市の西北1.5キロ。象王嶺、檀山、白象山、大羅嶺などの嶺が連なる。標高1300メートル。古木や奇岩が多い。
 山頂には1672年に赤松和尚によって建てられた宏福寺が残っている。山頂とはリフトで繋がるが、勿論、登山の道もある。
 登山路の九曲径は清の時代に切り開かれたもので、全部で380段の石段になっているが、地形に沿って曲がりくねる。
 公園内にある麒麟洞には、国共内戦中、楊虎城や張学良らが幽閉されていた。

<黄果樹瀑布>(こうかじゅばくふ)
 貴陽から西へ160キロ。カルスト地帯が広がる一帯に鎮寧ブイ族ミャオ族自治区がある。その県城の西南15キロ。白水河に懸かる滝が黄果樹瀑布。
 カルスト地形の大地が段をなし、白水河は黄果樹で九段の瀑布を作るが、そのうち最も大きいものが黄果樹瀑布である。高さは66メートル。幅は水量によって異なるが通常で81メートル。
 轟音が耳を聾し、水しぶきが舞い上がり、光の角度によって幾重にも虹が懸かり、風の向きでしぶきが光のなかをキラキラしながら流れて行く。
 この辺りに多いのはブイ族。「石頭房」といって壁も屋根も石を使った家に住む。カルストの台地で土地が狭く木も少ない。その狭い土地に、トウモロコシを植えて暮らしをたてている。

↑ ページのトップへ

《凱里》(がいり)
 貴州省の黔東南ミヤオ族トン族自治州の州都。人口は80万人。このうち60万人が少数民族。ミアオ族が主である。
 山には杉の木が多く、中国の人が「凱里」から連想するものは、杉とミヤオ族、トン族、漢方薬と言われる。漢方薬は山で採れる天麻(高山で採れる芋のようなもの)と杜仲(木の皮)が有名である。
 海抜1000メートルから1200メートルの高地にあり、唐時代には流刑の場所であった。
「黔」という文字が元々示す意味は黒であり、同時に貴州の別名になっている。唐の文人・柳宗元に「黔之驢」という文章があり、これが中国の中学の教科書に採られていることから中国の人には親しい字になっている。

<自治州博物館>(じちしゅうはくぶつかん)
 貴州省の人口は3000万人。そのうち三分の一が少数民族である。ミアオ族が一番多く300万人。ブイ族が次いで多く200万人、更にはトン族が100万人……。省には16の少数民族が暮らしている。
 そのミアオ(苗)族にも種類があり、青苗、白苗、黒苗、花苗、山苗、川苗、高坡苗、長角苗など服装の色や住んでいる場所などで更に分けられるという。
 そういうことが、写真などを使い分かりやすく説明されているのが、ここ自治州博物館である。

<市場>  凱里に限ったことではないが、日を決めて市が立つ。凱里の場合は、毎週日曜日。山を越えて少数民族の人たちが集まってくる。野菜やアヒル、ブタ、ウシなどを連れてきては売ってあるく。服に刺繍を施し、それを売って人もいる。それぞれの民族衣装や髪の形。行き交う人々を見ているだけでも楽しい。

↑ ページのトップへ

《榕江》(ようこう)
 黔東南ミヤオ族トン族自治州の南部。都江の流域にあたる。トン族の町。村落には大きな榕樹の木があり、その下に市が立つ。凱里からの道は深い山のなか。杉の山が多い。従江、榕江、玉屏のトン族は娘が生まれると18本の杉の木を植える。娘が結婚するときにその杉の何本かを伐って家や家具を造る。「十八歳杉」と言う。
 山深いなか、「十里不同天」(十里違えば天気が違う)という。道は登っては下り、下っては登る。ある時は雲海の中を走り、ある時は光の中を走る。
 トン族は、川に風雨橋を架け村に鼓楼を建てる。鼓楼の下では、祭りには、若者たちが集まり男は琵琶を弾き、女は琵琶歌を歌う。こうして恋人を探す。結婚式を挙げてから一年か一年半は娘は実家に帰り別々に暮らす。忙しいときには農作業を手伝ったりしながら。この間に子供が出来れば結婚をするし、出来なければ双方相手を変えてもよい。これは、トン族のみならず、ミアオ族、ブイ族にも共通した風習であるという。
 また、「姉妹飯」と呼ばれる風習も面白い。祭りの日は二日にわたり若い男女が踊り歌う。祭りが終わると男は何キロも山を越え家に帰るが、別れに女はいろいろな色のお餅を渡す。途中、餅を食べるのだが、糸が入っていれば、「糸を買ってください。その糸で刺繍をして帯を作ってあげます」。糸のように長くおつきあいをしましょう、という意味になる。
 木の枝が二本入っていれば、「結婚しましょう」。唐辛子が入っていれば、「友達のままでいましょう」。

↑ ページのトップへ