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一期一シャッター過去ログ (2008年9月〜7月)
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2008年9月13日
(秋の夜風)
夕方はすっかり涼しくなりました。オリンピックの垂れ幕は夏の熱気の名残。その夏の名残が秋の風に揺れています。
北京でのオリンピックが決定したのは2001年だったでしょうか。北京市民はそれからずっと楽しみに楽しみにしてきたわけですが、終わってみればあっけないものですね。
2008年9月6日
(ブックスタンド)
街角のブックスタンドです。雑誌の数が凄いですね。商売柄旅行の雑誌をたまに買いますが、月刊誌だけで4,5種類あります。A4、200ページぐらいですが、値段は25元から30元でしょうか。発行部数は全国ベースで公称25万部。多いのでしょうか? 少ないのでしょうか? それはともかく、店番が新聞の上で寝ちゃっていますね。買ったらヨダレがついていたりして。時計の針が9時10分を指しています。きっと寝る時間なのでしょう。
2008年8月30日
(ペット?)
街角で子猫を売っています。オリンピックが終わってフツーの生活に戻りつつあると言うことなのでしょう。一匹20元〜40元。飼うんでしょうね? 広州の市場で売られていると……。最後まで確認をしないと思いがけぬことになりますので。何時だったか店先に洒落たTシャツが掛けてありまして。「幾らですか」と訊いたら、「洗って乾しているのだ」、と。
2008年8月24日
(オリンピック-8)
天安門広場でも花火が上がりました。こうしてオリンピックが終わります。そりょそうですよね。いくら面白いからっていつまでもやっていられませんからね。終わりのない祭りはありません。今年の北京の夏もこうして終わります。建物の隙間から、そういう思いでしょうか?ひとりのおじさんが花火を見ていました。
2008年8月22日
(オリンピック-7)
8/20の続きです。男子200メートルの決勝で世界記録が出た時には90,000人の会場が熱狂的に盛り上がりました。ボルトの爆走の凄まじさ。早いの何のって。世界記録を実際に見る機会なんてそんなにあるわけではないですから。そして見ると会場のあちらこちらで緑と黄色の旗が振られているのです。「これがジャマイカの国旗か」と初めて知ったわけですが、それにしても、こんなにジャマイカの人が北京に来ていたのですね。驚きました。ジャマイカの人口って何人でしょうね。2〜300万人でしょうかね。祖国でも皆が興奮していることでしょう。祖国でもこの緑と黄色の旗が振られていることでしょうね。吹く風は潮風、そして熱い風でしょうね。世界記録の熱狂のなかで、行ったことのない、遠くカリブの海に浮かぶ島国をしばし夢見ることになりました。
2008年8月18日
(オリンピック-5)
昨日の続きです。ベルギーとイタリアのサッカーの試合です。「リンゴのようなほっぺ」と言いますね。赤ちゃんの頬の表現でしょうか。これは「五星紅旗のようなほっぺ」。街でも地下鉄でもよく見かけます。まさかオリンピックが終わったら止めるでしょうね。
2008年8月17日
(オリンピック-4)
昨日の続きです。ベルギーとイタリアですと、イタリアを応援する人たちが圧倒的に多いです。前の座席の子供はノートを破った紙に「ITALY WINNER」と書いて応援をしていました。でも、中国の国旗も一緒に振るんですよね。これはどういうわけでしょうね?
2008年8月16日
(オリンピック-3)
サッカーの準準決勝を見てきました。よくチケットが手に入りました。昨年の3月だったでしょうか、最初の抽選の時に上限の8種目の申し込みましたが、これだけが当たりました。場所は工人体育場。6万人が席が満席でした。試合はイタリアとベルギー。中国が絡んでいないだけに会場は和気藹々とした雰囲気で、どっちが攻めても「加油加油」。何のためだか、ウエーブも起こったりして。せっかくオリンピックの会場に来たのですから楽しまなければ損、ということなのでしょう。
2008年8月15日
(雲は秋)
朝、一歩外へ出ると、秋でした。熱く湿った夏の風ではなく、秋の風。驚いて見上げると空は秋の雲です。そういえば立秋は8月7日。強い日差しのなかでも、秋はちゃんと風となり雲となってやってきているのですね。
(写真は会社の近く、建物はオリンピックに来京したブッシュ大統領が泊まったウエスティンホテルです)
2008年8月14日
(オリンピック-2)
昨日の続きです。隣はオランダの大応援団の席でした。自国の選手が登場すると全員立ち上がり声を揃えての応援でした。オランダと言えばヘーシング。柔道が盛んなのでしょうね。勝っても負けても大騒ぎで、いかにもオリンピックを楽しんでいる風情でした。いや、会場に身を置く気分というのは実際格別なもので、私もこんな楽しいものとは来て初めて知りました。
2008年8月13日
(オリンピック)
柔道のチケットが手に入りました。券面は50元、売価は110元。上野雅恵が中国の選手と戦ったときには会場全体が盛り上がりました。圧倒的に中国人の応援が大きいわけですが、そのなかで見事に一本勝ちしたときには快感でしたネ。やはり、国別の対抗戦というのが最も人を熱くするのでしょうね。つまり、これ以上に帰属意識を刺激する枠組みというのを人が発明していないということなのでしょうね。
2008年8月12日
(お稽古)
バレー教室に通うのですね。前回教わったステップを復習しながら、と言ったところでしょうか。朝食にマクドナルドかどこかのハンバーガーを食べながら……。中国の人は大人も子供も実に嬉しそうに食べますから、見ているこちらも幸せになります。
2008年8月11日
(槐樹の花)
街を歩いていて、フト、甘いにおいを嗅いだ気がしました。見上げると白く小さな花が咲いています。槐樹の並木だったのですね。街中が槐樹なのですが……暑くて上を見上げる余裕がなかったのでしょうか?
2008年8月07日
(ジャパンハウス)
誰がお金を出しているのでしょうね。長富宮飯店の大宴会場を「ジャパンハウス」と呼んでいましてみんなで集まって日本を応援しようと。今日はサッカーの初戦。小旗も振られ、あれはなんて言うのですか、ビニールの棒も敲かれたのですが……。一人でテレビを見るよりみんなで集まる方が楽しい? 私の場合は単に家のテレビが中国の放送しか入らないもので中国のテレビは「日本対アメリカ」なんて放送しないだろうな、と思いましてね。でも、負けたときの悔しさは、みんなで見ているときの方がより増幅されると知りました。
2008年8月05日
(オリンピック気分-5)
北京飯店の日本料理屋に行こうとして驚きました。警官が警備を固めていて入れてもらえません。入れないどころか前の歩道を歩くことさえ許されません。前を歩くなら車道を歩けって言うんです。変でしょ。オリンピックの政府関係の宿として使われているのでしょうね。装甲車も真っ黒な車体を鈍く光らせています。北京の市民にとってオリンピック気分とは緊張感でもあります。
2008年8月03日
(オリンピック気分-4)
天安門広場はどうなっているのか? 行ってみました。オリンピックの飾り付けになっていて、何かイベントの準備中なのでしょう、太鼓や笛の音が聞こえてきます。何十台ものバスが並んでいてお祭り気分。ところが、一般の人は入れません。遠く地方から列車に乗ってきたお上りさんには気の毒です。警備の警官と掛け合う人もいますが、もちろんダメです。街中が過剰警備? とにかく今の北京は「安全第一」。ふと気がつくと空の雲はいつの間にか秋がそこまで来ていることを告げています。
2008年8月01日
(オリンピック気分-3)
地下鉄のすべての駅で荷物の安全検査が行われています。女性のハンドバッグも通させます。日本大使館ではサイトで常時パスポートを携行するように案内をしています。毎朝、パスポートを持って、安全検査を受けて、飛行機に乗って通勤している気分です。
2008年7月30日
(オリンピック気分-2)
磁器口の地下鉄の駅の前にもボランティアのステーションができていました。見るとお嬢さんが薬を整理しています。訊くと20種類ほどの薬が常備されているとのこと。「十滴水」は胃腸の薬。そのほか風邪薬、捻挫、喉の痛み、バンドエイドなど大抵の薬は揃っているとのこと。なかなかやりますね。しばらくは薬を買わなくてもすみそうです。
2008年7月29日
(オリンピック気分)
街にオリンピックの雰囲気が次第にたかまってきました。街のあちこちにボランティアのステーションができてきまして揃いのシャツのお嬢さんたちが詰めています。私がそばで見ていると物欲しそうに見えたのでしょうかお嬢さんのひとりが「はい、どうぞ」と50ページほどの冊子をくれました。『ボランティアのための法律豆知識』。私はこれをもらってどうすればいいのでしょう?
2008年7月26日
(空港への電車開通)
市内と空港を結ぶ鉄道も走り始めました。これは空港の駅です。待つことしばし、やがて真っ赤な車体が現れました。東直門まで16分。相当に便利になります。今の高速道路ができたのは10年ぐらい前でしょうか。これで市内まで25分ぐらいになりました。その前は……高速道路が出来る前の道というのは、これが実に良い道でして柳の並木でした。両脇から緑の葉が覆い重なっていて、しかも道はまっすぐ、緑のトンネルを悠然と抜けていく快感がありました。1986年から88年まで最初の駐在をしたのですが、その時の一番の楽しみはこの道を走ることでした。40分の快感。でも、時は後ろには戻りませんので赤い電車をせいぜい楽しみましょう。おっと、忘れていました。料金は25元です。そう、当時、緑のトンネルを空港までタクシーで行くと60元ぐらいでした。時間もお金も半分以下になったわけですから文句があるはずはありません。それにしてもあの道はよかった。
2008年7月25日
(庶民の足-4)
商売用の三輪車を前から撮った写真です。無骨ですね。とても都会の街を走るようには思えません。昨日まで田んぼで耕作をしていたような感じですね。運転手さんの前に紙ばさみがあってそこに札がとじられています。これが何とも印象的でした。
2008年7月22日
(庶民の足-3)
お年寄りの夫婦御用達の三輪車です。通学の時間帯にはお祖父ちゃんが孫を乗せて走っています。特注するのでしょうかね。それともどこかでこのままの姿で売られているのでしょうか。
2008年7月20日
(高校三年生)
中国の中学生高校生はこういうジャージ姿で登校下校をするのですよね。授業もこの格好で受けているのでしょうか? それはともかく、「若いだけで楽しい」、そういう写真ですね。舟木一夫の「高校三年生」を思い出しました。
2008年7月16日
(綱渡り)
公園で見かけた光景です。大学生とおぼしき女性が綱渡りの練習をしています。落ちても落ちても繰り返し挑みます。何でしょう。「人生は綱渡り」、そういう覚悟を学ぼうとしてしている? 就職難につきフツーの仕事をあきらめ雑伎団に就職しようとしている? どれも違うようで、「身体のバランスを身につけようとしているのです」とのこと。いずれにしてもいろんな遊びがあるもので。
2008年7月09日
(噴霧装置)
煙でもなく朝霧でもありません。何と道路脇の花壇に噴霧装置が付けられています。以前にも書きましたが、ホンの二三年前まで街に花壇なんてなかったのですから。街路樹や植え込みはありましたが。環状2号線に沿ってバラの花が植えられたのを見て、ホンモノだろうか造花だろうかって手で触ってみたのが二年前。それが、いまや噴霧装置が取り付けられているのです。驚くべき変化です。オリンピックが大きな要因なのでしょうかしらね。
2008年7月05日
(庶民の足-2)
これは昔からある三輪車。昔と言っても1980年代にはなかったと思います。90年代半ば、国有企業が民営化され大規模なリストラがおこなわれそれぞれが自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなってからのことでしょう。ともあれ、槐樹の木陰のなかをこれに揺られていくのは楽しいのものです。毎回料金の交渉をしなければいけないのが面倒ですが。

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