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一期一シャッター過去ログ (2008年10月〜12月)
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2008年12月30日
(寒波-3)
今日も昼間の最高気温がマイナスでした。そのなかを派手な格好のお嬢さんが元気に歩いています。葉も落ち尽くした灰色の街ですので余計目立ちますね。近くの東北料理のレストランのウエイトレスです。
2008年12月21日
(寒波-2)
恐ろしく寒い日でした。昼間でもマイナス10度。その上風が強く、道行く人はほとんど泣きながら歩いている感じでした。
2008年12月17日
(ロバの落花生屋さん)
数日前にロバの栗屋さんの写真を掲載しましたが、今日は落花生屋さんです。同じロバでしょうか? いくら見比べても残念ながらロバの顔の見分けが付きません。
2008年12月15日
(蕭蕭)
木枯らしが葉を落とし尽くし、街は蕭蕭たる景色になってきました。蕭蕭には蕭蕭なりの楽しさがあります。春になり新緑の芽が吹くまでは、北京の人はこの蕭蕭を抱きしめながら暮らすことになります。
2008年12月12日
(栗売り)
街角にロバがいまして。寒い中、ロバが何の用事で街に来たのかと思いましたら、荷台に栗が積んでありました。何年か前、確か10月だと思うのですが、北京の近郊、河北省の山のなかを車で走っていましたら一面の栗林でイガのままの栗の実があちこちに山と積まれていたことを思い出しました。ずーと栗の葉のにおいがしましてね。そんな山のなかの村からトコトコトコトコ来たのでしょうね。
2008年12月11日
(寒波)
乞食がレストランの中を覗いています。中を見ると、従業員がテーブルのお皿を片づけています。こう寒いと乞食も大変です。広州とか海南島あたりに転勤をするほうが良いと思うのですが……。乞食なりに北京を去りがたいワケがあるのでしょうか。
2008年12月7日
(通学)
お父さんお母さんに自転車やオートバイで送ってもらいます。朝の7時半。マイナス3度。送る方も大変ですが、子供も大変。眠いし寒いし。でも本当の冬はこれから。もっともっと寒くなります。
2008年12月5日
(クリスマスツリー-2)
これは相当に高いクリスマスツリーです。木に取り付いて何か作業をしている人も腰が引けた様子ですね。「クリスマスツリー高きがゆえに貴からず」と昔からの諺に言うように(?)高ければいいというわけではないでしょうが。
2008年12月4日
(寒い朝)
この冬一番の寒波の到来だそうです。新聞の天気予報では今日の最高気温はマイナス2度。寒いです。新聞の予報を見ていてあれと思ったのが、「今天」「下班」「明天」の三つの欄があります。最初と最後はわかります。「今日」と「明日」。真ん中は何でしょう。「下班」とは退勤のことですが……。中国のスタッフに尋ねると、「退勤です」。「退勤て何よ」。「会社が終わって家に帰るときの天気予報です」。「なるほど」。関心をしましたね。5時に帰る人も7時に帰る人もいるじゃない、というのはつまらぬ理屈で、何とも人間的、親身な天気予報ではありませんか。
2008年12月3日
(トランプ)
中国の人はなんでこれほどトランプが好きなのでしょうね。一日のある一瞬をとると、その時トランプをしている人は中国全体で5000万人ぐらいいるのではと思うほどです。無駄って言えば無駄ですが……。中国の定年は男が55歳、女が50歳、それまでは仕事とトランプの兼業ですが、定年になるとトランプ専業になって死ぬまで打ち込む……無駄と言うより天職みたいなものでしょうか。
2008年12月2日
(冬支度-2)
数日前に低木の植え込みの冬支度をお伝えしましたが、これは一本の樹木の冬支度です。北側と西側に風を防ぐための布を張ってもらいます。この木はこちらでいう柏でしょうか? 日本で謂う柏は落葉樹ですね。でも中国では、「松柏の操」とか「厳冬からざれば以て松柏を知る無し」などと言いますね。常緑樹です。夏はどの木も葉を付けています。冬になると初めて松柏の価値が分かる。その柏ですが、やはり寒いのは嫌なようで、できれば風当てが欲しいと。可笑しいですね。
2008年12月1日
(柳も黄色に)
北京の市内、東北部に亮馬河という川が流れます。その両岸の柳もすっかり黄色くなりました。銀杏、槐樹、楡と季節は順に街の木を黄に染めてきましたが、この柳で最後でしょうか。あとは蕭条たる冬の風景に変わっていきます。
2008年11月28日
(クリスマスツリー)
電線を架ける作業のようです。もちろん作業が終わったら降りるのでして、中国のクリスマスツリーには白玉や赤玉の飾りと一緒に人も張り付いているというわけではありません。
2008年11月27日
(信号が変わる前に)
車の間を若い女性が走り回っています。信号待ちの間に運転手にパンフレットを渡そうとしているのですね。配っているのは別荘の広告。車に乗っている人はお金持ち、ということなのでしょう。指でトントンと窓のガラスを叩きます。殆ど無視をされます。窓を下ろしてくれるのは5人に一人といったとこでしょうか。それでも元気に次の車に走ります。信号が赤の間が勝負です。逞しいです。
2008年11月26日
(魔法瓶)
何をしているかと言いますと、灌木を木の枠で囲みその上から布で覆いをしています。寒さに耐えず枯れてしまいますので。北京中の植え込みを布で覆うわけですので大変な作業です。木も大変ですが、人もご苦労です。過保護? もともと北京では育たない木を持ってきているわけで木の方でも迷惑がっているのでしょうから……。では人が悪い? 北京を緑化するのは大変だ、と言うことなのでしょう。
2008年11月23日
(冬支度)
何をしているかと言いますと、灌木を木の枠で囲みその上から布で覆いをしています。寒さに耐えず枯れてしまいますので。北京中の植え込みを布で覆うわけですので大変な作業です。木も大変ですが、人もご苦労です。過保護? もともと北京では育たない木を持ってきているわけで木の方でも迷惑がっているのでしょうから……。では人が悪い? 北京を緑化するのは大変だ、と言うことなのでしょう。
2008年11月17日
(糖葫芦)
寒くなると寒いなりの楽しみはあるもので、糖葫芦などはその代表でしょうか。よく「北京の冬の風物詩」などと表現されますね。もともとは「山査子(サンザシ)」という甘酸っぱい果実を10個ほど串で刺し、それを飴で固めたものですが、最近はミカンやらリンゴ、パナナといろいろあります。北京ッ子はこれが大好きで老いも若きもこの季節になるとこれを囓りながら街を歩きます。そんな好きなら夏も食べなさいよ、と言いたくなるわけですが、夏はダメなんです。飴が固まりませんので。それで冬の風物詩になるわけでして……。寒くなると糖葫芦。
2008年11月14日
(縄跳び)
風は冷たくとも子どもたちは元気です。縄跳びの後ろにかかっている看板は、英語や計算の試験を採点する権威を国や北京市から認定されていることの証です。このほか「文明単位」とか「先進単位」「模範学校」など。数えると20以上掛かっています。看板が多いほど良い学校、ということでしょうか。ところで、この学校は「回民小学」、回族の学校なのですね。これもちょっと日本と違いますね。
2008年11月12日
(北風)
冷たい風が吹きました。暑い暑いといいながらオリンピックに夢中になっていたのはついこの間なのですが……。11月になるとチャンと寒くなり、チャンと冷たい風が吹くというのは当たり前のようでもあり不思議なようでもありますね。
2008年11月11日
(練炭売り)
練炭売りが三輪車で練炭を売り歩く季節になりました。寂れた胡同のなかだと絵になりますね。ただ、この胡同も殆どの人が立ち退いていてほどなく取り壊される運命です。高層マンションのビルの間を練炭売りの三輪車が経巡ることはありません。
2008年11月10日
(それぞれの黄葉)
北京で最初に葉を黄色くするのは銀杏です。もう二週間も前から真っ黄色になっています。次は槐樹。写真の右の列の木ですね。左の列は楊樹。まだ夏の緑のままです。街のなかに紅葉する木はありません。緑と黄色がまだらを描きながら次第に全体が黄に染まっていくのが北京の秋です。
2008年11月06日
(地下鉄)
日本の地下鉄と一番違うのは、大きな荷物を持った出稼ぎの人がたくさん乗っていることでしょうか。
2008年11月04日
(落ち葉)
掃いても掃いても葉が落ちてきます。拾っても拾っても尽きることはなさそうです。でも、いつかはチャンとなくなります。
2008年10月31日
(初冬の朝)
7時。朝の通勤風景です。服装も少しずつ冬らしくなってきました。
2008年10月29日
(ギンナン)
北京で最初に色づくのは銀杏。陽を浴びる銀杏はいかにも鮮やかです。ただ、その鮮やかさに背を向けひたすら下を向いて歩いている人たちがいます。ギンナンを拾っているのですね。銀杏よりギンナン。
2008年10月28日
(麻雀)
昼下がりの団地。お年寄りが卓を囲んでマージャンに興じています。小春日和の陽差しがやさしく降り注いでいます。
2008年10月23日
(木枯らし?)
一日冷たい北風が吹きました。これは木枯らしと言いますでしょうか? 本当は、もうちょっとあとのもっと冷たい風を言うのでしょうね。それにしても、道行く人には冬の到来を予感させる風でした。葉も音と立てて散っていきます。
2008年10月22日
(秋ですね)
街が黄色く色づいてきました。秋ですね。停留所でバスを待つ人々の肩にも葉が落ちかかります。
2008年10月18日
(天壇公園-4)
天壇公園には何十回と来ていますが初めて見た光景でした。ある区画にいくつもの人の輪が出来ています。ファイルをめくっています。求人案内? 違いました。配偶者探しなのですね。写真は組織的な「案内所」で、写真右の赤い紙には黒い字で「鳳求凰」という書かれています。別な一角では、ワープロで打たれた「個人情況」がベンチに並べられていました。曰く「当方、専門学校卒。女性。78年4月生まれ。身長1.68メートル。短い結婚歴あり。子供はなし。趣味は読書、音楽、旅行。求める基準は、身長1.74メートル以上。専門学校卒以上。独立した部屋を持ち、固定的な仕事があること。給与は3000元以上。婚姻情況は問わず(子供はないこと)……」。婚姻情況問わずと言うのは過去のことを言ってるのであって現在のことを言っているのではないでしょうね。中国の友人に、「結婚するのは難しい?」と訊いたら、「離婚率が高くなっていますから、その次がね」。なるほど。
2008年10月15日
(天壇公園-3)
すっかり成りきった感じですね。視線の向け方、手の位置指の形、足の組み方がですね。中国人というのはたいした民族だと思います。堂々と演じきる、と言いましょうか。
2008年10月14日
(天壇公園-2)
こちらは将棋。これだけの人に取り囲まれて将棋を打つというのはたいへんな快楽でしょう。ですから、将棋なんぞ二人でするわけですから家で静かにやってればいいことなのですが、わざわざ入場券を払ってまで天壇公園に来るのですね。この快楽のために。そして、ちゃんと見てくれる人がいるというのも旨く出来ているわけで、そこが中国なんでしょうね。
2008年10月12日
(天壇公園)
秋の青空に誘われて天壇公園に行っていました。天壇公園というのは大変面白いところでして。何が面白いかといいますと、老人たちが集まって歌を歌ったり踊りを踊ったりトランプをしたりしていまして……それが面白いか?といわれると……それは全然面白くないのですが……では、何が面白いのだと……どう言いましょうか、中国人の自己表現欲といいましょうか、自己顕示欲といいましょうか「人に見てもらいたい」「人に見られたい」という中国人の願望が横溢しているところが面白いわけです。
どんな演技も観衆がいないとやっている方はバカみたいなもんですが、観衆のなかに外国人が入ると更に燃えるわけです。
2008年10月5日
(ポンチェ)
一日冷たい雨が降りました。秋の雨の季節です。さて、この母子を見て考えました。親子二人がバイクに乗るためのポンチョを作ったらどうでしょう? 背中にもう一つ穴が開いていてそこから子供が顔を出せる……。売れないでしょうね。
2008年10月4日
(兵隊さんと記念写真)
天安門広場には警備の兵士が山のようにいて物々しい雰囲気です。でもお上りさん達はそれを楽しんでいて、チャッカリ記念写真の背景にしたりして……。どんなものにもそれなりの使い道がある、ということでしょうか。面白いですね。
2008年10月3日
(天安門広場に日は暮れて)
夕日が人民大会堂の屋根に消えようとしています。その屋根の五星紅旗が緩い南風にゆっくりと揺れています。国慶節の休みを利用して地方から来たお上りさん達は歩き疲れて花壇の縁に腰掛けています。元気に歩いているのは警備の兵隊さんです。こうして天安門広場の一日は暮れようとしています。まあ、平穏で良い一日だったということでしょう。
2008年10月2日
(釣り灯籠)
天安門広場に行ってきました。国慶節ですから。驚いたことに広場の真ん中に巨大な釣り灯籠が出来ていました。「共産党に導かれた農民や無産階級が地主や資本家を壮絶な戦いを経て倒したのが中国革命。それによって成立したのが中華人民共和国。その建国を毛沢東が天安門から宣言した記念日が国慶節」なのですが、なぜその記念日に釣り灯籠なのでしょうね。少なくとも「革命的」ではないですね。オリンピックの開幕式の演出もそうですね。「伝統への回帰」・「民族の誇り」こそが今のテーマ、ということなのでしょうか?

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