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一期一シャッター過去ログ (2012年1月〜12月)
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2012年12月31日 大晦日
一年の終わりの一日と考えれば何らかの感慨があってもいいのですが、無限に続く時の流れのなかでたまたま切り取られた一齣と考えれば何でもないですね。中国に居ると、正月は後者のように過ぎていきます。時は飴がビローンて伸びたようになっていて、本来、何の目盛りもついていないのですよね。2012年とか1月1日とか。そういう原始的な時に身を任せて生きてみるのもいいでしょうね。
2012年12月30日 私の住む街(16)
氷点下7,8度のなかで、野菜は布団の中にしまわれてしまいますが、逆に便利なのが魚売り。凍ったままで並べておけます。イカも鯖も黄魚も。鱈でも買って帰り鱈ちりでも作ろかと思いましが生憎鱈はありませんでした。代わりにイカを2つ。オジサンが秤に乗せるとカチンと音がします。カチンという音のするイカ。どんな味がしますでしょうね?
2012年12月29日 私の住む街(15)
市場に野菜を買いに行ったのですが、いつもとは違い野菜が店先に並べられていません。凍らないように布団が掛けてあります。「トマト」と言うと、布団の中からなかに眠っている赤ちゃんを両手で引き出すようにトマトを出してきます。写真で誰もが向こうむきなのは、風の向きなのですね。風が冷たすぎて顔を当てていられません。冬の北京で暮らすのはたいへんです。
2012年12月28 地下鉄(2)
地下鉄というと都会的な乗り物でサラリーマンやOLがスーツ姿で乗っている光景が浮かびますが、中国の地下鉄には出稼ぎが乗っています。いや、出稼ぎはどこにも居るでしょうし地下鉄にも乗るでしょうが、こちらの出稼ぎは「私は生まれながらの出稼ぎで、今までもこれからもずっと出稼ぎです」と大きな声で言いながら地下鉄に乗っている感じですので目立つということなのでしょうね。洗面器を持っていたりですね。
2012年12月26日 地下鉄
いつからこうなっちゃったんでしょうね。皆が携帯をいじっています。一人でいても、仲間がいても。逆に考えると、携帯が出る前は何をやっていたのでしょうね。中国の人は地下鉄の中であまり新聞や本は読みませんね。とにかく、携帯の出現が地下鉄のなかの様相を一変させたのですが、一つのことがずっと続くなんてことはないですね。その次の地下鉄の中の風景というのはどういうものでしょうね? それが想像できると天才の部類に入るのでしょうね。
2012年12月22日 マイナス9度
午後六時の気温がマイナス9度でした。今年は雪も多いですし、寒さも格別です。その寒さの中でも人々はミカンを売り、ミカンを買います。不思議な気がします。
2012年12月20日 中雪(2)
夕方になり雪が降り始めました。今年はよく降りますね。今度も中雪でしょうか。このお嬢さん、最初はパンダの帽子かと思いましたが、パンダではないですね。イヌでしょうか。それにしても、何故人は動物をモデルにした格好をするのでしょうね。それも女性に限ってね。
2012年12月15日 芸術写真(?)
昨日、ビルの12階から撮ったものです。ビルの裏が小さな公園になっています。給湯室から見ると、午後の4時頃にいつも公園の中をグルグルと何周も廻っている人がいます、雪のこの日はどうかしら、と思って見ると……ちゃんと昨日も雪の中を歩いていました。
2012年12月14日 中雪
小雪というには降りすぎました。大雪というほどは降りません。中雪でしょうか。こういう天気だと三輪車が繁盛しますね。料金交渉も圧倒的に売り手が有利でしょう。
2012年12月12日 小雪
昨日今日と2日続いて小雪が舞う朝となりました。マイナス3度。寒くはありますが、湿気を含んだ気持ちのよい空気でした。
2012年12月8日 クリスマス
マイナス4度。寒風の吹きすさぶ中でデパートのクリスマスの飾り付けが行われていました。都会的な飾り付けを、いかにも農家農家したおばさんたちがやっていて、毎年違和感を感じるのですが……そんなのは偏見なのだと分かっていても、どうしても違和感が……。農村からの出稼ぎが、その労働で都会の生活を支えていながら、都会の風景に溶け込めていない、ということなのでしょう。そして、それはたまたま溶け込めないのではなく、溶け込めさせないような階級構造としてあるという問題なのでしょう。
2012年12月5日 冬到来(2)
今朝の寒さは格別で。出勤時の気温がマイナス4度。昼間の最高気温が零度でした。写真はバスからみた停留所です。寒いと暗くなりますね。
2012年12月4日 冬到来
日本に帰っていまして20日ぶりに北京に戻ってみると、すっかり冬になっていました。コートは3種類持っていますが、今日からは最も厚いもの。写真は地下鉄の駅で、客待ちの三輪車ですが、オネエさんたちの服装も冬ですね。
2012年11月11日 私の住む街(14)
日曜日にはたいてい近くの露店の市場に行きます。冷たい風が吹き荒んで本格的な冬の到来を感じさせていました。ネギを満載したトラックの到着です。一日でこんなに売るのでしょうか? それにしても、白が印象的です。ネギばかりではありません。露天に並べられている大根も白。冬の色は白だったのですね。
2012年11月8日 束の間の……
大木ですね。楡でしょうか。下は緑ですが、上は黄葉しています。そこに男がひとり。落ち葉が間断なく降り落ちてきます。束の間の小春日和です。明日には木枯らしが吹いて、葉を落とし尽くしてしまうかも知れません。遠からぬ冬を知りながら束の間の秋の日差しを楽しむ。なかなかの風情です。
2012年11月7日 冬の朝
地下鉄の階段を登り外に出たところに屋台があります。朝だけの屋台です。「北京の朝はどんなでしょう?」。もしこう問われたら、「こんな感じです」。こう答えようという気持ちでシャッターを押しました。
2012年11月6日 カンフー教室
街のなかにカンフーの道場があります。子供専用です。歩道からよく見えるように大きなガラスの窓が作ってあります。オープンしたてですが、そこそこ入門者はいるようで。隣にはディズニーの英語教室があり、低学年の小学生で溢れています。子供を対象にしたビジネス。狙い目ですね。 
2012年11月5日 冬来る
昨日の雪と強風で落ちた葉を踏んでの出勤になりました。今朝の最低気温は1度。冬ですね。これからが長いんですよね。柳の新緑が戻ってくるまで4ヶ月。ウーム。
2012年11月4日 初雪
朝起きたら雪でした。風が強く、身を切るように冷たく、昼間の気温で5度。身体がまだ寒さに慣れていないのですね。北京の建物は、オフィスビルも住宅もスチームによる集中暖房なのですね。で、暖房が始まる日を市が決めるのですね。通常なら11月15日でしょうか。新聞の報道では少し早めるようですが……。いずれにしても、暖房が入るまでの何日かが北京では一番寒い日ということになります。
2012年11月3日 「喜迎十八大」
人もめったに通らぬ街の隅にも秋の深まりが忍び寄ってきています。でも、そこに時ならぬ五星紅旗が。国慶節は過ぎたし、春節は未だだし……住人の誕生日? そんなのではありません。共産党の第18回全国代表大会を「十八大」と略します。それを喜んで迎える、という言葉が新聞やテレビで繰り返し登場します。大会は8日からですが、それを待ちきれずに早くも国旗を掲げ祝賀の意を表している住人、というわけです。おかしいですね。10年前の「十七大」では政権が江沢民さんから胡錦濤さんへ渡され、今回は習近平さんへ。中国にとっては、大きな節目なわけです。選挙が有るわけではありませので人々は結果を待っているだけですが、大きな緊張感に包まれていることも確かです。
2012年11月1日 秋深まる(3)
黄葉に光が当たる。それを逆光で見る。美しいですね。でも危うい美しさであって、木枯らしが吹くとアッという間に消えてしまいます。危ういものだけが美しい?
2012年10月31日 デモ(13)
「国貿」という地下鉄の大きな乗換駅があります。そのホームの壁という壁を塗りつぶすかのように携帯電話の広告が貼られています。ソニーです。イベント会社の友人は、「11月までの仕事はすべてなくなっちゃった。新製品の発売イベントも秋冬商品の発表会も日系企業の催しはすべてキャンセル」と嘆いています。その中でソニー。緩和の雰囲気を先取りした先見の明なのか、空気が読めない愚挙なのか。(半袖の男性が写っていますが、これは正しい服装ではありません。最高気温が13度ですので。他の人はみなジャンパーを着込んでいますネ。)
2012年10月22日 秋深まる(2)
今日はコートを着た人がほとんどでした。昨日の雨で、気温が急に下がりました。秋にはよく雨が降ります。一雨ごとに気温が下がり、一雨ごとに葉が黄色くなっていきます。
2012年10月21日 デモ(12)
北京では毎年10月に大型の「教育展」が開催されます。これは当社のブース。日本の栄陽子さんと一緒にやっているアメリカ留学が私のビジネスのひとつです。それはいいのですが、今年は、この教育展に日本の大学の出展がありませんでした。毎年何校かの大学がブースを出していまして私も挨拶に行きます。「今年はどの大学来たかなア」、と会場を探したのですが一校もありません。中国の留学生を獲得しようと三十数カ国から600を超える大学がブースを構えているなか……。これって、主催者が参加を断ったのでしょうか? それとも、大学サイドが参加を取り止めたのでしょうか? いずれにしても、まだデモは続いている。そういうことなのでしょう。
2012年10月20日 ナツメ
この季節果物屋さんの店先で目立つのはナツメです。こちらでは「冬棗」と言っています。乾かして赤くなったものは一年中ありますが青いのはこの季節だけですね。甘いです。そして、食感は瑞々しいというよりは、バサバサとした感じがします。そう。いかにも黄土高原に産した野生の果物。そういう味わいがあります。私は好きで食べます。今日のは、500グラムで4元でした。
2012年10月19日 秋深まる
今年初めて気がついたのですが、北京の秋は空から来るのですね。まず、空が高くなり青くなる。やがて、風が冷たくなる。そして、葉が黄色くなる。今は、その葉が黄色くなる時期のようです。上海ではカニ、北京では火鍋の季節ですね。
2012年10月18日 シーツは道端で買うに限る?
「因幡の白兎」には大国主のミコトが登場します。大きな袋を背負っていますね。今日、私の前を大きな袋を背負った男が歩いていました。それを見ながら、「白兎はどうして皮を剥かれちゃったのだっけ」などと考えていましたら、男が突然その袋をワッと道に投げ出しました。兎が出てくるかと思ったところ、出てきたのはシーツの山。それだけでも驚いたのですが、それを見て人が集まって来るんですよね。みんな手にとって……更に驚いたのは、それを買うんですよね。安いんでしょうかね。それにしても、シーツが絶対的に不足しているわけじゃないでしょうし、道に広げられたシーツを争うように買うというのはどういう心理でしょうね。
2012年10月16日 レンタル自転車
真新しい自転車が突然街に登場してきました。地下鉄やバスはプリペイドの共通ICカードで乗りますが、どうも、その共通ICカードでレンタルできるようです。こういうステーションが街なかにいくつもできています。どのステーションで借りどのステーションで返すのも自由、ということでしょうか? 画期的ですね。
2012年10月14日 糖葫芦
北京の冬の風物詩の代表ですね。街角でこれを見つけると、毎年、「ああ冬がそこまで来たんだな」と思い、同時に一年の歳を重ねたことを想います。近代的なビルが建ち並んでも、糖葫芦が売り買いされる光景は残リ、そこにスポットライトが当たるように季節が息づいている。そういうことなのでしょう。
2012年10月12日 秋は黄色
朝通勤の路上、後ろから「ブーブー」と車の警笛音。「なんで歩道に車が入ってくるんだ」と腹立たしく思いながらも轢かれちゃつまりませんので道を開けると、追い抜いていったのは……。ミカンとザボンを積んだ小型トラック。ワッと目の中に黄色が飛び込んできました。ああ、秋は黄色、と。
2012年10月6日 大人の凧揚げ
夕暮れがせまる頃、歩道橋で凧揚げをしている人がいます。連凧というのでしょうか。何十枚も繋がった凧です。綺麗に揚がっています。それにしても、皆家に帰ろうかという時刻にひとりで凧揚げをして楽しいだろうか? でも、趣味ではないようで……売っているのですね。場所は紅橋市場。ご存知でしょうかパールマーケットと呼ばれ淡水真珠や怪しげな時計やバッグで白人に人気の場所です。
2012年10月5日 デモ(11)
駐車してある車に五星紅旗が挿してありまして、何かなと寄ってみると、これがヤッパリトヨタなんですね。日本料理屋は大きな五星紅旗を掲げ、日本車は小さな五星紅旗を挿して……そう言えばベオグラードの中国大使館がアメリカの誤爆を受けた時、1999年のことですが、いろんな国の白人が「アメリカ人ではありません」と書いたシャツを着ていた、と友人が言っていたのを思い出しました。本当でしょうか? こういうのって笑い話のようで深刻であり、深刻のようで笑い話ですよね。
2012年10月2日 焼き芋
焼きイモの季節になりました。おじさんは寝ちゃっていますね。天気は爽やかですし、木陰は涼しいし。平和ですね。
2012年10月1日 デモ(10)
こちらをジロッと見たお兄さんはどうでもよくて、問題は上の看板です。「HOTEL」とあって右端に韓国語が書かれていますね。この韓国語の意味は、おそらく、ホテルなんですね。で、つい最近までこの間に日本語で「ホテル」という文字が入っていました。それが、今日気がついたらなくなっているのです。何故でしょう? デモでしょうね。オーナーが、日本語で表示するのを嫌になったのか? あるいは、見られるのが嫌だったのか? どちらにしても、日本語の表示が剥ぎ取られたのですね。目の前にあるものだけがニュースなのではないですね。なくなったものもニュースです。
2012年9月29日 デモ(9)
久しぶりに日本料理屋に行きました。そしたら、いつも満席の繁盛ぶりの店なのですが一人のお客さんもいないのですよね。店の人の話を聞いて驚きました。9月15日頃から中国人も日本人も来なくなってしまった、と。店をやっているのは中国人ですが、「中国人は日本料理の店に行くのが嫌になっちゃったんでしょうねえ」、ですって。だとすれば相当の重症ですね。「日本人は?」。「日本人が来ない理由はわかりませんね。ただ、来ないんですよ」。二時間ぐらいいましたけれど、その間確かに中国人も日本人も来ない。帰る間際になってドヤドヤといっぱい入ってきて、良かったなと思ったら、何とこれがアメリカ人。北京の日本料理屋の危機を救うのはアメリカ人しかいない?
2012年9月28日 落ち葉
驚きましたね。清掃の人が落ち葉を掃いているのですよね。落ち葉を。一見、木の葉は緑のままなのですが、自ずと秋がそこまで忍び寄っているのでしょう。これから木の葉が落ちつきるまでの数ヶ月清掃の人たちは忙しくなりますね。ということは、夏の間は何をやっていたのでしょうね。季節で雇用されているのでしょうか?
2012年9月23日 私の住む街(13)
金魚売りの季語は夏でしょうね。初夏の風物詩と言いたいところですが、秋風が吹き始めた街角で見かけました。最後の追い込み? 金魚売りなんて、日本ではもう見ることはないでしょうね。生計が立たないのでしょうか? 中国では商売になる。何が違うのでしょうか? 稼ぐお金が違うのか、それとも、生活に必要なお金が違うのか? それとも両方なのか?
2012年9月22日 窓拭き
空は真っ青。ビルの窓ガラスに青い空と白い雲が映っています。その青い空と白い雲を拭きとろうとするかのように、作業員が窓に張り付いています。「拭いても拭いてもこの青は落ちないな」。作業員は訝しく思っているでしょうか。(そんなことはないですね)
2012年9月21日 デモ(8)
もはや、「今日はデモがありません」という情報はニュースではなくなってしまいました。街には「治安ボランティア」の腕章をした人が3人、5人とみなお揃いの折りたたみの椅子に腰掛けています。「デモ」の季節は終わり「治安」の季節に移ったようです。
2012年9月20日 デモ(7)
今日もデモはありません。好運街の日本料理屋さんがどうなっているかと行ってみました。14日の時と較べると……「江戸前寿司」の看板が五星紅旗で覆われていますね。そして、入り口の横には「領土は神聖にして侵犯を許さず」「釣魚島は中国の領土」というステーカーが対聯みたいに貼られていますね。
2012年9月19日 デモ(6)
今日は一転、ひとつのデモ隊も大使館前にはいませんでした。というか、許されませんでした。道路の大使館側の歩道は完全に封鎖されていました。日の丸が何事もなかったかのように、秋の風に吹かれ翩翻と翻っていました。取り敢えずはこれで終わりということでしょうか。ただ、領土問題が解決したわけではありませんので……。お互い、とんでもない奴が隣にいるなあ、と。隣国どうしのお付き合いのひとつの形なのでしょうね。
2012年9月17日 デモ(5)
どの店にも五星紅旗が掲げられています。国慶節にはまだ早いですね。大使館から100メートルほどにある好運街という飲食街です。中国の国旗が掛かっているのはみな日本料理屋さんなんですね。店を守りたいという必死さが伝わってきます。一方、従業員なのか通行人なのか、中国の人の朗らかさ屈託のなさが対照的です。(撮影は14日です。今は様子が変わっているかも知れません。店の名前が何かで覆われていたりですね)
2012年9月16日 デモ(4)
槐(エンジュ)の木は枝分かれをしていて登ってデモを見物をするにはピッタリですね。日陰でもありますし。大使館の前の槐はどれも人が実っているようでした。
2012年9月15日 デモ(3)
今日の人数は凄いです。道に溢れました。万の単位でしょうね。溢れた上にさらに刻々と増えていきます。地から湧いてくるように。完全に制御不能になったのだと思います。武装警察を投入してきました。辺り一帯は騒然とした雰囲気に包まれています。そこから30メートルほどのところです。デモにもいろいろな参加の仕方があるのでしょうがこういうのもひとつの参加の形なのでしょうね。自分で撮りながら自分でポーズをつけるというのも難しいのでしょう。
2012年9月14日 デモ(2)
一昨日よりも人数の面で格段の変化がありました。公安が統制をしていて、スタートラインが決まっていましてそこで列を作り一定の人数が溜まると、100名とかですね、出発させる。そこから30メールとほど歩いて大使館の正面に来る。そこで立ち止まって声を上げる。時間が来ると先へ進んで解散。15分ほどの間に2つぐらいの塊が出発していました。同じ人が何回も回っているのでしょうが。ただ殺気立った雰囲気ではなく赤ちゃんを連れたママの参加もありのんびりしたものです。
2012年9月13日 外人
朝の出勤時です。白人の親子。学校に送るのでしょうか? どこかとぼけた味わいがありますね。尖閣の問題がない分、日本人よりも気が楽でしょうね。
2012年9月12日 デモ
日本大使館の前を通りましたら丁度デモ隊がやってきました。デモ隊といっても20人〜30人ぐらいでしょうか。日の丸の国旗を持っていまして、オヤッ日本の応援かなと思いましたが、そんなことはあり得ないですね。旗に「小日本」と書いてありました。写真を撮っていましたら私服の公安から「何をやっている」と。「写真を撮っています」。「早くあっちへ行きなさい」。日本人と分かったのでしょうかね?
2012年9月4日 宝帯橋(4)
宝帯橋から上海に戻る途中の蘇州市内のスナップです。北京では見かけませんが、3人乗り4に乗りは当たり前……。でも、言いたかったのはそれではなく、上を覆っているカバーです。日除けなんですね。一緒にいた上海の友人が二人、「なぜこんなに便利なものが上海にはないのだろうか?」という議論を始めました。新幹線なら30分の距離ですから。結論は、どうも、上海市内では交通ルールに引っかかるのだろう。スクーターとして許容される高さを超えてしまうとか……当たっていますでしょうか?
2012年9月3日 宝帯橋(3)
人がいない、いないと思っていましたが……いましたね。橋の上ではなく、水の中に。何をやっていますかね? タニシを採っているのだそうです。宝帯橋タニシ? 潜って手で掴んできます。そういえば上海料理にタニシはよく出てきますね。私も大好きです。でも、こんなところで採っているのでしょうか。どう贔屓目にみても衛生的ではないですね。それはいいとして、この人は、タニシを持って帰ってこれをサカナに一杯やるのでしょうね。今回の旅の思い出は、宝帯橋と運河とタニシ。
2012年9月2日 宝帯橋(2)
アーチ型ですので勾配があります。ゆるやかに登りながら渡ります。ここが一番高い地点。おそらく、真ん中なのでしょう。花を彫った大きな石が敷かれています。ここからは下り。「最近になって自分が橋が好きなことを知りました」、という言葉に刺激されて何年も前に見た京杭運河の終点の風景を思い出していました。京杭運河とは北京と杭州を繋ぐ運河。全長千八百キロと言います。この宝帯橋が架かっているのは京杭運河の支流です。「私は、運河が好きなんですよね」。北京の終点は積水潭。で、杭州の終点は? それが見たくてノコノコ出かけたことがありました。そういえば、それを文章にしたことがあります。探しましたら2003年に書いた<運河の詩情・運河の終点>という文章でした。
2012年9月1日 宝帯橋
蘇州に宝帯橋という橋があります。上海の友人に誘われて行って来ました。唐の時代の創建。アーチ型としては中国で一番長い317メートル。有名な橋ですので、私はてっきり以前にも来たことがあると思っていました。来てみて、初めてであることを知りました。ひとりの観光客もいない、観光客だけではなく、通行人もいない。「昔は賑わっていたのでしょうけどね」。一緒にいた中国の友人がそう言います。そもそも、今では行き止まりなんですね。行き止まりの橋は渡ってもしょうがない。そういうことなんでしょうね。「私、最近になって自分が橋が好きであることを知ったんです」。誘ってくれた友人がそういいます。「なるほど」。アーチ型の美しさと一緒にこの言葉が私の心に残りました。 
2012年8月31日 中秋節
もう中秋節の時期なのですね。地下鉄の通路で月餅の広告を見ました。帰って調べて見ましたら今年の中秋節は9月30日とのこと。中秋節と言えば月餅。月餅といえば中秋節。月餅を贈り合います。月は円く、贈り物も円く、両者の関係も円くあいますよう。この広告の香港製造100%というのが気になりました。日本人からみると香港製造というのは「まがい物」の印象が有りますでしょうか? こちらでは「売り」の言葉になるのでしょうか?  
2012年8月30日 院前に市をなす
協和病院の前を通りましたら市場のような賑わいで。焼き芋を売る人。とうもろこしを買う人。昔はお寺の前に市がたって門前町。今は病院の前の院前町? なんでこんなことが起きるか分かりますか? 病院に行くのが一日仕事なんですね。病院の混み方と言ったら通勤時の地下鉄みたいなものでして。滅茶苦茶なんですね。順番を取るのに徹夜で並ぶ人が何人もいます。中にその混乱があるので外に市が立つのですね。 
2012年7月23日 60年ぶり
空は秋。秋は空から来るのですね。今年の夏を振り返ると、暑かったというよりも、雨が降ったという印象ですね。長く北京にいますが、これだけ雨が降ったのは初めてです。そして、北京の夏の雨は豪快ですから。本当にバケツをひっくり返したように振ります。今年の夏はバケツの思い出。その思い出をサラサラと吹き流すように秋の雲から風が吹いてきます。
2012年7月22日 60年ぶり
北京は60年ぶりの大雨だったそうです。上海から北京に帰ってくるところでした。22時の最終便。北京着00:20の予定でしたが……。上海の空港で2時間待たされ、午前2時半ごろに北京到着。軒並みの遅れで到着ロビーには人が溢れていました。ここまでは良いのですが……想定外であったのが、タクシーがない。道路が水浸しで車が通れないと、と。空港のベンチで待つこと3時間。6時頃にようやくタクシーが。重い頭に、オールナイトの映画を見て始発で家に帰った学生時代を思い出しました。
2012年7月11日 私の住む街(12)
屋台が一軒、「蓮で包んで蒸した鶏」というのを売っていました。杭州名物と書いてあります。西湖の蓮ということなのでしょう。「乞食鶏」を連想しますね。値段を聞くと、一斤(500グラム)16元。一羽は何斤かと尋ねると、ほぼ一斤とのこと。買ってみようかしら……。
2012年7月09日 スイカ
夕暮れのためピントが合わず申し訳ありません。それでも出したかったのは、スイカなんですね。この人の生業は刃物研ぎなんですね。鉄片を切り合わせたものをチャランチャランと鳴らしながら流します。そのチャランチャランを聞いて、包丁なりハサミなりを研いで欲しい人が声をかけます。何とものどかですね。それはいいのですが、すれ違った時に前の籠のスイカと麦藁帽が目に入り……。チャランチャランの真夏の行商とスイカ。どこかに腰掛け、額の汗を拭いながらスイカを食べる様子が浮かんで来まして、そこでパチリ。
2012年7月07日 海水浴場?
天安門広場に行って驚きました。人が多いこと。一瞬、海水浴かと。人の波の向こうには青い海が広がっているような気がしました。
2012年7月06日 ニューファッション?
後ろをヒラヒラさせながら歩いています。新しいファッションなのでしょうか? 邪魔なような気もするし。でも月光仮面もマントをヒラヒラさせていましたしね。数が吹くとユラユラ揺れまして。風の向きと強さを知るには役に立ちますね。
2012年7月03日 網戸張り
日本でもこういう商売はあるでしょうね。ただ、少なくとも、自転車で街を流しながらお客さんを探すことはないでしょうね。それにしても、これで、網戸を張り替えようとしている人とうまく出会うことができますでしょうか。確率的にですね。よほど人口密度が濃いのか……あるいは、よほど中国の網戸は破れやすいのか……。
2012年6月25日 桃
桃の季節なのですね。真夜中、小型のトラックで山のようにして売っていました。「10元で3斤」。つまり1.5キロで10元です。10元を払って家に帰り、朝になって数えたら、小振りなのですが8個ありました。安いのでしょうか? 酔った勢いで買っただけで安いも高いもないのですが。
2012年6月23日 ダンクシュートコンテスト
3連休のなか日。デパートの前でダンクシュートコンテストをやっていました。飛び入りで参加者を募り。写真左の座っているのが審査員でして、ウチワみたいので点数を付けます。NBAをそのまま真似をしているのですね。それはいいとして、いつも思うのですが、こういうものに見物人が沢山集まるのですよね。日本だとどうでしょう? 物見高い。または、群れていたい。あるいは、それらの混合したもの。これが今の中国にある種のエネルギーを産み出しているのですよね。人々が一点に集まってくる、ということで。
2012年6月22日 端午の節句
明日は端午の節句。旧暦の5月5日なんですね。それで3連休。地下鉄も空いています。この女性が左手に持っているのは「チマキ」ですね。こんなに沢山買ってどうするのでしょうね。チマキの起源は湖南省。屈原が汨羅に身を投げた時魚が彼の身体を食べないように地元の人がチマキをまいたのが始まり、と言いますね。身を投げた日が5月5日だったのですね。話としては有名ですが俗言でしょうね。もうひとつ。「柱の傷はおととしの5月5日の背比べ……」という唱歌がありますね。何故、5月5日に背比べをするのか……。考えてみると普通そんな事しないですよね。では、何故それが歌になったか? 私の新説です。食客3000人の故事で知られる戦国時代の孟嘗君は小さい頃父親に隠れて育てられました。何故か? 5月5日生まれだったからです。当時、この日生まれの子は、戸口の高さにまで成長すると父親を殺すと言われていたためです。5月5日に背の丈を柱に刻んでおく。歌の内容は牧歌的ですが、孟嘗君の話は、柱の傷がだんだん高くなり戸口までに至る前に殺されなければならない。怖い話ですね。「柱の傷は……」の作詞者が怖い話として歌を作ったとは思いませんが、この故事が頭のどこかにあって、その連想から5月5日に背比べをする歌になった。これが私の推測です。
2012年6月21日 捨てる神あれば……
中に入っちゃいそうですね。何をやってますかね? 少なくともゴミを捨てているのではないですね。逆に、拾っているのでしょうか。効率はいいでしょうね。
2012年6月19日 水遣り(2)
昨日と同じ場面です。なぜ同じ場面を繰り返したかといいますと……読者の方からメイルをいただき、「なぜこんな高いところに花を植えるのでしょうか?」って。そうですよね。歩く人には見えないし、水遣りは大変ですし……良いことは何もない。「奇抜さ」でしょかね。これを考えた人の頭にあったのは。
2012年6月18日 水遣り
天気予報は38度でした。花も大変です。水遣りの最新兵器と思いきや、水が出てくる部分にはペットボトルが取り付けてありました。可笑しいですね。
2012年6月13日 肉屋(2)
昨日の写真は市場でしたが今日はスーパーマーケットです。スーパーマーケットでは、ほとんどの商品はパックにされて売られているのですが、たいていどこのスーパーでも肉についてはこのような切り売りのコーナーがあります。どこでも豚肉が中心です。これも豚肉ですね。左から伸びてきている手は、お客さんの手で、肉を選んでいるわけですね。
2012年6月12日 肉屋
中国の肉屋さんは本当に迫力がありますね。長く肉を食べてきた民族なんですね。これはイスラム教徒の店です。ですので羊ですね。吊るされた羊から好きな部位を好きなだけ買ってゆく。見てて飽きないです。格好いいですよね。本人たちは格好でやっているわけではないのでしょうが。
2012年6月11日 くだもの屋
この季節の果物といえば、茘枝とサクランボですね。それぞれ一斤(500グラム)で、茘枝で10元、サクランボで15元ぐらいです。茘枝の外側の皮はイボイボですが、それを剥くと奇跡のように美しい楕円の身が現れます。真っ白でね。口に含むとジワ〜って瑞々しい甘さが広がります。中国で、美味しいなあ、と感心する果物はこの茘枝とハミウリですね。右下にある果物はど存じでしょうか。楊梅といいますね。日本語ではヤマモモと言いますか。
2012年6月8日 伝統的美徳
帰りの混んだバスです。非番の車掌さんが制服を着て腰掛けています。席には「老人身障者妊婦専用席」というプレートが貼ってあります。そして席の前では老人が立っています。中国人が、一般に、老人に席を譲るか? あまり高い率ではないですね。競争原理が優先させる社会環境だからでしょうか? 非番の車掌が制服を着て混んだバスで座っている。日本人なら抵抗がありますね。中国では全く無いようです。むしろ、逆に特権のように捉えられているフシがあります。面白いですね。「それはともかくとして……」と中国人のフタッフに尋ねます。地下鉄やバスで絶えず「老人を敬い幼児を助けるのは我が国の伝統的な美徳です」と放送しているのは、あれは何だ?、と。言葉は言葉、行動は行動ですから。それに、あれは地下鉄の会社が放送していることで乗客が放送してわけではないですから乗客が責任を負う必要はないでしょう、と。きっと、国を超えて常識を共有することは私たちが考えている以上に難しいことなのですね。
2012年5月24日 ボールペン
遠くから見ると、屋台がチカチカ輝いていまして……近づいてみますと人形付きのボールペンを売っていました。二十種類とか三十種類ではなく、何百種類ってあるんですよね。どっかから何かを仕入れてきて街角で売る。こういう人がイッパイいるんですよね。ゴムひもを売っていたり、靴下を売っていたり、トイレットペーパーだったり。働く気があれば、誰もが何とか食っていける国。中国ってそういう場所でしょうか。因みにこのボールペン、3本で10元。安くはないですね。
2012年5月23日 双子
竹製の乳母車ですね。久しぶりに双子を見ました。10年ぐらい前にはたくさんいたのですが。最近は一人っ子政策が緩やかになったのでしょうか。双子を連れたママはみな自慢げに見えましたので中国の友人に訳を尋ねました。答えは、「それは自慢でしょう。国が一人しか産んではいけないと決めているのに合法的に二人の子供を持ったのですから」。
2012年5月20日 外で宿題
外で宿題。胡同の時代には見慣れた光景ですが最近はあまり……今ですと、微笑ましいというより、むしろ「貧しさ」を連想しますでしょうか。雨が降ったらどうなりますか? 宿題中止。野球の試合みたいですね。学校の先生が許してくれるかどうか。とにかくも、学歴偏重の傾向はますます強まり、また一方で貧富の格差が更に進行するでしょう。幸多い将来が待っているといいのですが……。
2012年5月17日 中国の基礎知識
オフィスビルの多くにそのビルに勤めている人のための食堂があり、しかも朝食からやっている、ということをご存知でしょうか。朝食も昼食も夕食も職場で食べる。住むのは会社の寮。子供を預けるのは職場に併設された保育園。かつて、そういう時代がありました。十五、六年前までですね。原始共同体的ですね。その後、市場経済が導入される中で社員は共同体から切り離され会社と社員の関係は労働時間を売り買いするだけの関係になっていったわけですが、この「朝食」だけはビルのサービスとして残っている。そういうことでしょうか。現在、企業と社員の関係は非常にドライに見えますが、もしかしたら、企業にしても社員にしても彼らが夢見ているのはもっと素朴な「共同体」なのかも知れませんね。この辺りの微妙な綾が分かりませんと、中国は分かりにくいのですね。
2012年5月15日 大気汚染
この夏は空気が悪くなっている気がします。冬に喉が痛いのはいつものことなのですが、今年は夏になっても喉の痛みがとれません。自転車やバイクに乗る人は多くはマスクをしています。朝会社に着くと洗面所でうがいをします。それをスタッフに言いましら……何と言われたと思います。「社長、その水が危ないんですよ」ですって。どうすりゃいいんでしょうね。ビールでうがいをするとか?
2012年5月14日 30度(3)
この人の職業は露天の自転車修理ですね。前に置いてある車でわかります。悠々としていますね。日陰で寝そべって、たっぷり時間をかけ新聞を読む。お客さんは来ても良い、来なくても良い。新緑を渡って吹いてくる風は爽快です。
2012年5月11日 刺青
ふと見ると足に刺青がしてあります。日本では橋下市長が職員の刺青はケシカランと言っているそうですが……。「身体髪膚、これ父母に受く、あえて毀傷せ ざるは孝の始めなり」。親に貰った肌を傷つけてはいけない。それは不孝だ。おそらく中国では「孝」は最高の道徳だったのでしょうね。「忠」よりも「孝」が大切。「国」よりも「親」が大切。大家族主義こそは人々のアイデンティティの根源であった。そのアイデンティティが崩壊しつつあるのかも知れませんね。日本の場合には、刺青は「不孝」よりもアウトローの象徴であったのでしょう。ヤクザが刺青を彫るのは、この親孝行の共通概念があって初めてアウトローに落ちていく覚悟の表明だったのでしょうね。橋下市長の議論は、市の職員がアウトローの象徴を身に纏いながら市民に対応をする、そんな馬鹿なことがあり得るかということでしょう。一方、橋本市長に反対をする方は、ただ彫っただけで個人の趣味の問題だ、と。まあ、サービスを受ける市民の感受性が決めることでしょうね。刺青のお兄さんに印鑑登録を申請するのは不安になるのか、刺青のお姉さんに所得税を支払うと清々しい気持ちになるのか。
2012年5月10日 30度(2)
気温は30度を超えても日陰に入ると涼しい風が吹きます。国貿に近いオフィス街の一角なのですが、忙しく歩きまわるビジネスマンもいず、熱い風も吹かず、ここだけにはのんびりとした時間が流れています。女の人はずーと携帯を見ています。その頭を膝にのせ男はじーとしています。どういうのでしょうかね?
2012年5月9日 白衣の煎餅売り
日本のお煎餅とはちょっと違いますね。小麦粉などを水に溶かし鉄板の上に薄く延ばして焼きます。中にネギとか卵とかを挟みましてね。ただ今日気になったのは、おじさんが着ている白衣です。普通、煎餅売りがこんな格好をしますでしょうか。新緑の木漏れ日のなか、お医者さんがアルバイトで煎餅を売っている。そんな風情ですね。いずれにしても美しい季節になりました。
2012年5月8日 私が住む街(11)
ロバ肉の専門店があります。前を通るときにいつも気になるのが入り口に貼られているロバの写真なのですね。黒目のクリクリっとした可愛いロバなのですが、これはロ馬肉屋の入り口に貼る写真としてふさわしいのでしょうかね。「可愛いロバ」=「美味しいロバ」。中国人の感覚ではそうなるのでしょうか? ちなみにロバ肉ですが、「天上に龍肉あり、地上に驢肉あり」なんて言う方があるくらいで好きな人は好きなようです。特に河北省の驢肉は人気があります。滋養があり、虚弱体質の人産後の女性に向いているなんて言いますがどうでしょうね。私は食べたことはないです。これからもないでしょうね。
2012年5月6日 30度
これは初夏の日差しではないですね。これが初夏なら夏になったらとんでもないことになってしまいます。つい先日まで厚いコートを着て、マイナス5度で、寒い寒いと言っていましたのにね。「膝から下はすぐかかと」、なんて言いますが、北京は、「冬が過ぎればすぐ夏」です。そして、この夏が長いのです。「中庸」とか「ほどほど」とかはないのですね。北京には。たまらなく寒いか、猛烈に熱いか。
2012年5月4日 緑の洪水
いつの間にやら街中が緑です。その緑のなかでジーとうつむいたまま道端に座り込んでいる男がいます。何でしょうね? 初夏の木漏れ日のなか皆颯爽としているのに、ひとり、世の中の苦しみを全部背負ったような。脇のズタ袋の中身は世の不幸の数々でしょうか。見ると、鍋やら盥やらが入っていました。どこかの地方から全財産を背負って出てきたのですね。この先どのような人生が彼を待っているのでしょうね。幸多ければいいのですが。
2012年4月23日 私の住む街(10)
ピータン売りを見かけました。余り珍しいものではないかもしれませんね。ただ、荷台に並べられた真っ白いピータンがワッと目に入って来まして、ハッと驚いてオジサンの顔を見ると、これが真っ黒で、何か不思議な気分になりまして。そこでパチリ。パチリだけでは気が引けるので買ってみました。1個1.5元でした。
2012年4月22日 ライラック
側を通るだけでも甘い香りが漂ってきます。夜でもライラックが咲いていると分かるでしょうね。この花が咲くともう初夏ですね。春の短い北京ですが、今年の春はことさらに短かったですね。柳を芽を吹いたと思ったらもうライラック。その間、ほんの2,3週間でしょうか。待ちに待った春ですが、来てみたら今度は逃げるように走り去る。後を追うにも逃げ足が早すぎて……。
2012年4月18日 お犬様
これ以上は跪くしかありません。犬の方は、「よしよし」と言った表情でしょうか。
2012年4月16日 ニワトリ(2)
昨日の写真を後ろからみるとこうなります。ニワトリがいると全体が滑稽な味わいになり「今日の夕食はニワトリ鍋にしようかしら」「市場に里芋が出ていたわ。醤油味で一緒に煮てもいいわね」などという会話が聞こえてきそうですが、今日の写真だとしみじみした感じになりますね。「梅の季節になったのにねえ……」「あなた、まだ忘れていないの?」「忘れたわよ。ただ、梅の花の咲く頃には帰るからって……」「帰るからって、20年も前の話じゃない」「20年じゃないわ。まだ18年よ……」。こんなところでしょうか。
2012年4月15日 ニワトリ
柳の緑が濃さを増し、梅の花が紅く白く咲く季節です。冬の間は家に閉じこもっていた人々も団地の中庭に出てきます。いい季節です。人ばかりではありません。ニワトリも出てきました。ニワトリ一羽で空気が和みますね。さて、このニワトリどこから出てきたのでしょうね。人は団地の部屋から出てきたことは間違いありませんが……。冬の間は部屋で飼われていたのでしょうか? 春はニワトリにとっても良い季節なのでしょう。
2012年4月14日 興化の菜の花(5)
舟を漕いでくれたおばちゃんの話です。地元の旅游局が音頭をとり、100戸ほどの農家が参加をしている。この時期、菜の花以外の作物は植えてはいけないことになっている。一戸当たりに割り当てられた土地の広さは10ム。ムは中国の面積の単位で1ムは667平米です。と言うことは、一戸当たりが0.7ヘクタールで100戸で70ヘクタール。収穫した菜種は勝手に売れて、およそ一戸当たり1万元の収入になる。舟は旅游局の投資。舟を漕ぐと、一日20元の日当プラス1回漕いで1元の割増。一日50元ほどになる。なるほど。菜の花の時期は4月の一ヶ月だそうですよ。何はともあれ、仕組まれた菜の花畑の楽しさ。それが、興化の魅力です。そうでなければ、上手い具合に運河があって、上手い具合に舟が通っている。そうはならないのでしょう。
2012年4月13日 興化の菜の花(4)
舟が主役ですね。舟あっての菜の花。それが興化ですね。で、舟の持ち主は? 地元の旅游局だそうです。漕ぐのは? 皆、おばさんですね。地元の農民だそうです。地元の役所の観光課に雇われて漕いでいることになりますね。投資をしたのは役所。舟を造り、道を造り、展望台を造った。入場料は役所に入りますね。では、菜の花は誰のもの? その辺りの詳しい話は次回に。
2012年4月12日 興化の菜の花(3)
遊歩道もあり、舟に乗ったり菜の花のなかの道を散歩したりと楽しめます。ある意味、公園なんですね。そうそう。入場料が要ります。舟代を含めて100元。雲南省、貴州省、青海省。色々な菜の花を見てみましたが、入場料が要るのは初めてです。普通、菜の花は農民が菜種油をとるために植えるのですね。それがいつしか観光地になった。ここはどうでしょう。最初から観光目的で菜の花を植えた。それに近いかもしれません。写真の右に塔みたいなものが見えますね。これは塔ではなく、展望台です。上から菜の花を一望するための展望台。公園の公園たる所以でして。タダの菜の花畑なら誰もそんなものは作りませんよね。
2012年4月11日 興化の菜の花(2)
興化を特徴づけているのは、水路です。水路と菜の花。その水路を舟に揺られて菜の花の中に入っていく。いかにも江南らしい風景ですね。もう15年ほど前のことになりますが、JTBでルックの企画を担当していた時のことですが、「菜の花と水路」をフィーチャーしたツアーが造りたくて随分探したことがあります。現地の旅行社に相談をしたり、実際に上海、鎮江、揚州と自分の頭のなかのイメージにピッタリする風景を求めてウロウロしたのですがその時は見つからずに……。そして今回。「ああ、ここだったんだ」と15年を経て納得したわけです。
2012年4月10日 興化の菜の花
菜の花と言えば……。名所はたくさんあるのでしょうが最近中国国内で人気が急速に上がっているのが興化。なかなか大したもんでしょ。名前は聞いていましたが場所は知りませんでした。江蘇省だと最近わかりました。上海から北西に300キロ。何回かのシリーズでのご報告になります。乞うご期待。
2012年4月9日 南京(2)
南京は古都。古くは三国志の呉や明の、そして近くは中華民国の首都でした。街中に古都の香りがします。城壁も残っていれば、骨董品街もあります。科挙の地方選抜試験である郷試を行うための貢院の跡もあります。郷試では、受験生は寝具や炊飯道具を持ち込み独り部屋に籠もって答案を練るのですが、南京の貢院が擁した部屋数は何と二万室といいます。熾烈な競争をくぐり抜けここから多くの進士を排出しました。江南きっての歓楽街であった秦淮河もあります。酒楼が建ち並び、赤い灯青い灯が夜を徹してともされていました。進士を産み出すことと、赤い灯青い灯がともることは、おそらく、同じ事なのですね。豊かさが産み出す文化なんですね。南京ぐらい文化を感じさせる街を私はほかに知りません。
2012年4月8日 南京
南京に来ました。南京と言えば、そう、並木ですね。中国には街路樹の美しい街が沢山あります。北京とか鄭州とかですね。南京のプラタナスの並木も素晴らしいです。夏にこの街を訪れると、街中が緑のトンネルのようになり、その美しさに驚かぬ人はいないでしょう。この季節は、ちょうど若芽が出てきたばかりですが、それだけに幹の太さが余計に印象に残ります。とにかく、街中がプラタナス。それが南京の街です。
2012年4月5日 柳(2)
街にも柳の緑が広がって来ました。建国門の大使館街の一角の柳の並木です。顔を出したばかりの芽が風にそよぎます。心もワクワクそよぎます。
2012年3月30日 柳
会社のビルから下の見て驚きました。いつの間には柳が芽を吹いていました。傘をさして歩いている人がいるのが気になりますが……。これ柳? とお思いも方もいらっしゃいますでしょうか。北京の柳は2種類あります。垂柳と楊楊。垂柳はお化けが出る柳。写真は楊柳。とにかく、北京の春は柳に始まります。春がきたのです。バンザ〜イ。
2012年3月28日 巣作り(3)
久しぶりに鳥の巣を見ましたとこと驚きました。まず、「木の芽が膨らんでいる」というのではんばいですが何がグチャグチャとしたものが出てきていますね。これは花です。これが落ちてから葉が出てきます。もうそういう季節になったのですね。もうひとつ。いつの間にか巣がひとつ増えています。お暇な方は「過去ログ」の2月21日をみていただけますでしょうか? その鳥がいるところに巣ができているんですね。2月22日の巣は以前からあるものでここで抱卵をするのかと思っていましたが違ったのでしょうか。鳥はマイホームがすぐに作れて幸せですね。前の巣はどうなるのでしょうね? まさか、2月21日の鳥と今日の鳥が別の鳥ということはないでしょうね。分からないことが沢山あります。
2012年3月26日 屏風売り
北京ではいろんなモノが行商で売られています。茶碗とか草花とか金魚とか果物とか。今日見たのは屏風売り。写真をよく見るとわかりますが、前に2枚後ろに2枚合計4枚なんですね。屏風として立ててもいいし、壁に掛けてもいいし……。それにしても、誰か買いますかね。このお爺さんは、これだけを行商しているわけで、一日がかりでこれが売れれば生計が立つのでしょうね。もしかしたれら、一週間に一セット売れればやっていけるとか? 誰でも何とか食っていける街、それが北京。そんなところでしょうか。
2012年3月23日 ドリアンの見る夢
大きなドリアンですね。広州で取れるのだそうです。これって、樹になるのでしょうかね。豪快ですね。こんなのがボコボコ枝からブル下がって風に揺れている光景を見てみたいですね。
2012年3月20日 なごり雪(3)
枝についた雪が凍り、それが朝日を浴びてキラキラ輝いています。
2012年3月19日 なごり雪(2)
昨日の続きです。随分小さな雪ダルマを作ったものですね。この子は。自分の子がこんな小さな雪ダルマを作ったら、親としては、可愛くてしょうがないでしょうね。この写真、もちろん写真自体はたいしたものではないのですが後ろの樹が素敵ですね。そうしてみると、子供と、雪ダルマと、お母さんと、老木をもう少しうまく構成させる構図があったのでしょうにね。
2012年3月18日 なごり雪
朝起きると外は雪景色でした。すでに雪は止んでいましたが……。雪を見て、変な話ですが、「ああ、長かった冬が終わったのだ」と思いました。寒かった今年の冬の名残りの雪なのだと直感しました。城址公園でカメラを持った人がは一本の木を取り囲んでいました。見ると、桃の木なんです。枝に雪が積もっているのですが、その雪の間で小さいピンクの蕾が開きかけています。その雪のなかの桃の蕾を撮ろうとしているのですね。題材としては月並み過ぎますよね。
2012年3月17日 イチゴ売り
この季節、果物で目立つのはイチゴです。家の近くを歩いていましたらイチゴのイメージとは程遠いおじいさんが自転車でイチゴを売り歩いていました。これが果物屋さんと較べると格段と安いのですね。1キロ15元。ただ、秤もいい加減なのですが……。おじいさんが秤に下げているのが私が買ったものでこれで1キロです。
2012年3月13日 金魚売り
金魚売りを見かけました。まだ寒いですけどね。人それぞれ商いの都合がありますから。金魚からすれば迷惑な話で寒中水泳をしている気分かもしれませんね。
2012年3月9日 お粥
出勤時間帯に街角で小麦粉を鉄板で焼きそれにソーセージを挟んだものを売っているのですが、今日見たのはお粥です。初めて見ました。三種類あって、八宝粥、かぼちゃ粥、ピータン粥。いいアイデアですね。売れるのではないでしょうか。
2012年3月5日 昆布
地下鉄で二十歳くらいの女の子の隣に座りました。集中して何かを読んでいます。フト見ると、何と「般若波羅蜜多心経」と書いてあります。地下鉄でお経を読む。でも、紙は一枚ですね。紙一枚のお経。まあ、長ければ良いというものでもないでしょう。見ていると、一度読むごとに線を引き、「正」の字を紙片の上に付けています。「正」の字は横に50あまり、縦に3行。ということは……750回ぐらい読んでいることになりますね。地下鉄、二十歳の女性、般若心経、750回。どういう状況を想像すればいいのでしょうね?
2012年3月4日 昆布
家の近くの自由市場を歩いていましたら、突然に潮の匂いがしました。潮の香? はて、ここは海か? 一瞬青い海の風景が脳裏をかすめます。見ると、昆布を吊るしているのですね。なるほど。潮の香りであると同時に春の香りでもあるのでしょうか。それにしてもどうやって買うのでしょうね。これ一枚買うと処理に困りますよね。ハサミで切り分けてもらうのでしょうね。因みに家に帰り昆布の季語を調べましたら夏なんですね。北海道では7月〜8月の収穫とあります。中国では今頃採れるところもあるのでしょう。
2012年3月3日 私の住む街(9)
八百屋さんでエビを売っているのですよね。八百屋は八百屋らしく野菜だけを売るべきだ。そういうことを言いたいのではないです。八百屋が八百屋としての限界に挑戦しエビを売るのはエライ。そういう話でもないです。北京の冬は寒いんですね。ですので、冷凍のエビを店先にそのまま置いてても溶けない。ですので八百屋でもエビが売れる。今日、「ああなるほど!」と思ったわけです。小さいながらも、新鮮な感動がありまして……。でも、昼間の温度が上がって来ました。エビが八百屋さんの店頭から消える日も近そうです。
2012年3月2日 雪とサボテン
朝から小雪が降りました。シャッターが開く前の店の軒で、雪を避けながらサボテンを売っています。サボテンの刺も心なしか寒さに震えているようでした。でも、春の訪れの一つのしるしなのでしょうか。
2012年2月23日 巣作り(2)
今日は長い間巣の中にいましたですね。もう卵があるのでしょうか? それともこれから産卵するのでしょうか? よく観察するためには望遠鏡の用意が必要なようです。もう一つ気になるのが、午前中しかいないのですよね。どういうのでしょうね。よそに妾宅があって午後はそちらに行っている?
2012年2月21日 巣作り
「こう寒くっちゃ、もう春は来ないことになっているのでは」と心配していましたが、今朝は鳥が巣作りをしているのを見ました。巣は、もちろん一年中あるわけですが、鳥が来るのはこの時期だけです。見ていますとネ、木の枝を一本一本運んで修理をするのですね。手を使えば簡単なのでしょうが、嘴ですので大変です。「私も仕事が忙しくいつまでも見ているわけに行きませんので少しお手伝いしましょうか」と言いたくなりますが……。「寒い中にも春は自ずと来るものなのだ」ということなのでしょうか、それともこの鳥はもう春が来ない事を知らずに無駄なことをやっているのでしょうか?
2012年2月19日 マスクファッション(2)
男のマスクもファッションです。ネコさんですね。ネコさんは良いですが、地下鉄に乗る時にはもう少し楽しそうな顔をして欲しいですね。
2012年2月16日 デジタル情報キヨスク(2)
メインの画面に「写真」というのがあります。何でしょう? 「地図」とか「バス」とか言うのはわかりますが。そこで「写真」をクリックすると、液晶の画面に自分の顔が出てくるのですね。見ると右側にカメラがあります。「撮影」をクリックするとバチリ。次に出てくる画面は静止した画像と「満足」「不満足」の選択。「不満足」をクリックすると最初の撮影の画面に戻ります。何回でも撮り直しが効くのですね。「満足」を押すとどうなるか。どうなると思います? それが、これ。メールアドレスを打ち込む画面です。撮った写真を指定するアドレスに送ってくれる? そんなことやるでしょうか? 試しに自分のアドレスを打ち込んで会社に行くと、これが、驚いたことにチャンと画像を添付ファイルにしたメイルが着いています。凄いですね。感動しました。感動はしましたが、それにしても、何に使うのか。
2012年2月15日 デジタル情報キヨスク
朝、急にこんなものが歩道にできています。何でしょう? Digital Beijing Information Kiosk とありますね。近づいてみますと、スマートフォンのトップの画面のように横に5個、縦に4個、合計20個のメニューがあります。「地図」「バス・地下鉄」「レストラン情報」「映画館情報」「図書館活動」「演芸羅針盤」。「市民の英語」なんというのもあって、開けると「英会話300句」というのが出てきます。Good Morning!なんて。こう寒くっちゃ英語を勉強している間に風邪を引いてしまいますね。「物価」というのがあり開けると、「価格に関する法規」「公園入場料」「教育費」「水道電気ガス」「ガソリン価格」などという小メニューが出てきます。要は、何なのでしょうね? 北京市政府からの情報を市民に提供するためのステーション。昔、新聞を貼ってある掲示板が街のあちこちにあったのを思い出しました。そこには多くの人がたかっていましたが……誰も振り返りもしません。この最新の大型スマートフォンに立ち止まるのは私だけ? 市民からすれば、「携帯もあり、パソコンもあり必要な情報は自分で取ればいい」。政府からすれば、「知らしめたい情報を伝達する仕組みが欲しい」。そういうキャップでしょうか?
2012年2月14日  バレンタインデー
どういう場面かと言いますと、花屋さんがバレンタインデーのプレゼントを職場に届けに来たところです。こんな花束をもらったら嬉しい? 照れくさい? まあ、もらうことはないですから心配することはないのですが……。さて、この花束、中国では贈るのはまず男性で受け取るのは女性です。中国の男性はたいへんなんです。
2012年2月11日  マスクファッション
マスクはファッションだ。北京で白いマスクをしている人は殆ど見ません。髑髏のマークがついていたり、赤い唇の形をしたアップリケがついていたり……。2002年から2003年にかけてでしたかSARSの流行がありまして……。あの時は何ヶ月も会社も閉め、バスや地下鉄はなるべく乗らないように、人が集まって食事をするなという指示が当局から出され、大変でした。道を歩いている人が全員マスクをしていました。あの時からなんですね。マスクがファッションになったのは。マスクはしないわけにいかない。感染が怖いですから。ただ、どうせするなら楽しもう。模様をつけよう、色をつけよう。オシャレにしよう。そういうことだったのでしょう。マスクはファッション。SARSが残した置き土産です。
2012年2月06日  マイナス8度(3)
北京の冬に慣れているつもりでしたが、こんなに寒いのは初めてです。今朝は、その上強風が吹き荒れまして。こう寒い日が続きますと、「春は来るだろうか? 来なかったらどうしよう」、なんて不安になりますね。
2012年2月04日  私の住む街(8)
散歩をしていましたら肉をぶるさげている家がありました。臘肉といいますね。豚肉を塩漬けにして乾すんですね。臘月は旧暦の12月。12月に春節用に作るのかもしれませんね。これを使った中華料理は沢山あります。キャベツと炒めた回鍋臘肉とかですね。真新しい対聯が掛かっていて、縁起がよい文字が並び、家はボロボロで今にも倒れそうで、「対聯は威勢がいいのに……」なんて思っていると臘肉がぶるさがっていて、「ああ、それなりの幸せがあるんだろうな」、って。めでたさも中ぐらいなりおらが春。一茶。
2012年2月02日 卵巻き
自転車で大きな荷物を運んでいる人がいました。何ですかね。中国ではこういうい場合、「それなに?」と尋ねるのは、尋ねる方も尋ねられる方もごく自然です。日本ならどうでしょう。普通訊かないですよね。「お前に関係無いだろう」なんて言われそうで。「卵巻き」、という答えです。卵と小麦粉で作るお菓子だそうです。春節が開て5日目。人々の暮らしが祭りモードから日常モードに戻って来た。そんな感じです。
2012年2月01日 マイナス8度(2)
1986年、最初に駐在した時に自転車を買いましてね。真冬だったのでしょうね。何かの用事でお客さんに会いに行ったのですね。タクシーがつかまらず止むを得ずトコトコ自転車を漕いで行きました。その時の寒かったこと。今でも忘れません。悲しくないのに、涙が出てきて。で、やっとの思いでお客さんのところに着きました。ああよかったと、挨拶をしようとしたのですが、今度は顔が凍っていて口が動かせないのですよね。しばらく溶けるのを待ってやっと「こんにちわ」、って。この二人を見てそのことを思い出しました。
2012年1月30日 マイナス8度
今朝の寒さは格別でした。8時の出勤の時点での気温がマイナス8度。せっかくの寒さですので「こんなに寒いんですよ」ということを写真で皆様にお伝えしたいと思うのですが、どういう写真を撮ればこの寒さが伝わるのでしょうね? 会社の前の道路を行ったり来たりしながら何枚かの写真を撮ったのですが……。合格点には程遠いですね。でも、明日にはチョコット前進しているかもしれません。乞うご期待。
2012年1月29日 花火(2)
今日から出勤です。日曜日ですが、春節の休みを7日連続にするために政府がこういう調整をしています。さて、会社の近くの交差点に臨時の花火屋さんができていました。もちろん春節前に作ったのでしょうが日本に帰っていたため今日はじめて知りました。でも、この辺はオフィス街ですので……誰が買うのでしょうか。景気づけに事務所の中で爆竹をたく? 景気付けにはなるでしょうが火事にもなりますね。そういえば、完成間近だった中央電視台の付属ビルが花火で丸々燃えたのも春節でした。もう三年になりますでしょうか。ビルを丸ごと一棟燃やすなんて豪快ですね。燃やしちゃった人は豪快のつもりではなかったのでしょうが……。
2012年1月27日 花火
花火に点火しているところです。大晦日の夜から爆竹・花火の音が街を包みます。昼間でもやります。この人がやっているのは、数秒後に分かったのですが、「花」じゃないんですね、「音」が凄いんです。ドスン、と鳴って地面や空気が揺れるような感じがします。道でやるのは危ないですね。車が来ます。道ですから。すると、慌てて「来るな。止まれ」と両手を振って制止します。「来るな」と言っても道ですから……。では、道ではない所ですればいいじゃないか? それが中国人の中国人たる所以でありまして。パフォーマンスなんですね。観客のいない劇場で劇を演じてどうするの? 「人のいない所で花火を上げてどうするの?」。「止まれ。止まれ。花火だ、花火」、と怒鳴る楽しさも花火の代金のなかに入っているのですね。
2012年1月26日 私の住む街(7)
今日は正月の4日。まだ多くの店舗が閉まったままです。昼食に食べるものがなくなりました。天津包子の店がやっていないかと思って来たのですが……。その店の前で露天の果物屋さんが商売をしています。ただ、並べているもののほとんどは贈答用の箱入りのものですね。リンゴとかオレンジ。キウイもあります。しょうがないですからミカンを買って帰りましょう。今日の昼食はミカン。お正月ですから。
2012年1月25日 私の住む街(6)
今日は正月の3日。裏道のレンガ造りの長屋にも国旗が立てられ新しい対聯が貼られています。春節の団欒と憩いがこの長屋の一軒一軒に有るのでしょう。一方、その長屋を見下ろすように高層ビルの大波はついそこまで押し寄せてきています。来年の春節にも対聯がかかっているのか、あるいは、ブルドーザーで更地にされているのか。
2012年1月24日 猿と混浴?(4)
外国人が多いんですよね。猿ではなく見物人のことです。日本人も来るのですが、見るとすぐ帰ります。「ああ、そうか」。あるいは、確認ができたので安心して帰るとか。「写真のとおりだ」。数も多いですが、時間も長い。30分でも1時間でも夢中になってシャッターを切っているそうです。外国人といっても白人ですね。私も中国人にツアーを売る商売をしていますが、「温泉に入る猿」に中国人がお金を払うか、というと払わないでしょうね。何故猿は白人に人気があるか? 分かる人はいますでしょうか。
2012年1月22日 猿と混浴?(3)
お風呂にはいる子猿の可愛さは格別なのですが、もうひとつ。お腹のところで氷がぶるさがっていますね。温泉で濡れた毛から垂れる水がツララのように凍ってしまうんですよね。お風呂から上がって雪の中をチョロチョロ遊んでいますのでね。人間なら超湯冷め状態なのですが。猿は寒くないのでしょうか? でも、寒いから温泉に浸かって気持ちよくなっているのでしょうにね。変ですね。
2012年1月21日 猿と混浴?(2)
気持ちがよさそうですね。200頭ほどの野生の群れだそうです。そもそも猿は温泉になんか入りません。彼らは世界で唯一の温泉に入る猿なのだそうです。それも昔からのことではなく、ほんの3〜40年のこと。ある意味人が教えたのですね。しかも、群れの全員が入るのではありません。好き嫌いがある。この手の写真に登場するのは、たいていこの猿なのだそうです。面白いですね。ということは……ヤラセの可能性はないですかね。地元の観光協会に買収されたりしてですね。
2012年1月20日 猿と混浴?
所変わって長野県は山之内。温泉に入る猿がいるという話を聞き……てっきり人と一緒に入るのかと思っていましたが……背中を流し合ったりして。実際は猿が入っているのを見るだけなんですね。それでも実にこれが楽しいんですね。「あらあら、20数えるまで我慢しなきゃだめだよ。温たまらないじゃない」。子供をお風呂に入れていた頃を思い出しました。
2012年1月19日 小樽〜余市(2)
先日個人観光の中国人が乗っていたと書きましたが、今日はオーストラリア人? カメラを取り出したのは朝里駅の手前、海を見下ろす地点です。何度か通っていて予め狙っていたのですね。この日は、彼らの他にも幾つかの白人のグループが乗り合わせていました。一時間に一本。それも、たった一車両の列車ですが雪の季節は国際的になります。トコトコ走る雪の景色も楽しいですし、中の乗客を眺めているのも楽しいです。
2012年1月15日 余市
犬の散歩もこんな感じになります。歩いているのは歩道ですが、両脇は雪が壁のようになっていますね。
2012年1月12日 小樽〜余市
昨日の一期一シャッターで中国からの旅行者と同じ列車に乗り合わせたと書きましたが、その列車がこれです。一車両のワンマン列車。この可愛い列車がトコトコトコトコと雪の中を走ります。山を抜け、ところどころに海を見下ろしながら。
2012年1月11日 中国からの個人旅行
北海道での話です。小樽から列車に乗り余市に向かいました。余市には私の家族がいますので。隣に若い男女が乗り合わせていて、気がつくと二人は中国語で話しをしています。話を聞くと北京からニセコにスキーにきたとか。いわゆる個人旅行ですね。今回が初めてというわけではなく何回も来ているとのこと。「冬だけですか?」。富良野でラベンダーも見たと。なるほど。こういうお客さんもいるんですね。中国から日本に帰ってきて、まだ中国人と話しているというのも何ですね。
2012年1月9日 私の住む街(5)
ヒマワリの種やらスイカの種やら落花生を売っています。何屋さんて言うのでしょうね。中国人はよくヒマワリやスイカの種を食べます。列車のなかでも映画館のなかでもレストランで料理が運ばれてくる前にも。ただし、この季節の主役は何と言っても甘栗です。実は大きいですし、油で黒く光っていますし存在感がありますね。
2012年1月7日 朝の雪
チョット降っただけですが、不思議ですね。知らない街に変わっていました。空気もキレイ、街もキレイ。「今生まれてきたばかりです」。少しすました顔の街になっていました。
2012年1月6日 私の住む街(4)
人が列をなしていますね。奥に魚の水槽があります。それを選び、買う人達です。魚といっても淡水魚で鮒とか草魚とかですね。正月とか春節には人気があります。「年年有余」(年々余り有り)というおめでたい言葉の「余」と「魚」の発音が同じですので、と言いますが……。日本人には今ひとつピンと来ない発想ですね。外にあるのはイカと鯖でしょうか。マイナス2度ですので、冷凍したものをそのまま並べておいても大丈夫です。今日の夕食は、カチンカチンのイカを買って、大根と醤油味で煮込んでみましょうか。
2012年1月5日 私の住む街(3)
私がいつも肉を買う肉屋さんです。置いてあるのは全部ブタ肉です。好みの部位から好みの部分を切り分けてもらって、秤で重さを計り支払います。正面にあるのは、肋骨、排骨ですね。最近これが気に入っているのですが、買う時は、計ったあとでナタで5センチくらいに叩ききってもらいます。肉を買うだけですがなかなかダイナミックでしょ。
2012年1月4日 私の住む街(2)
斜めの道に沿って、400メートルほどの長さなのですが、間口3〜4メートルの小さな店が並んでいます。何故か、八百屋さんが5件もあるんですよね。それとは別に果物屋が3件。八百屋には果物を売っていますが、果物屋には野菜は売っていません。果物を売るほうが儲かるからでしょうか? 写真は、その八百屋さんのひとつ。どこも同じスタイルです。店番が秤の前に腰掛けています。どこでも計り売りです。「トマト幾ら?」「3元」。これは、すべて、一斤(500グラム)当たりでの会話になります。お客さんは欲しい野菜を備え付けのビニールの袋に入れて秤に載せます。すると店番が、「5.4元」。「5元でいいわね」。「いえ5.4」。トマトにもキュウリにも会話があるのがスーパーマーケットとは違う味わいでして。
2012年1月3日 寒さを楽しむ(13)
先日寒さを防ぐためにビニールを掛けた雑誌屋を紹介しました。今日通りかかったお店は寒さを防ぐものがありません。この売り子は、寒さ我慢大会に参加しているようなもので、大変だと思います。朝の9時、マイナス4度でした。売るために雑誌を並べているというより、寒さを防ぐ壁を作るために雑誌を並べているというか……。売れると隙間ができて寒いから買わないでくれとか。
2012年1月1日 私の住む街
永安里斜街と言う街があります。名の通り斜めの通りです。道に沿って小さい店が並んでいます。斜めというのは、北京の街は東西南北碁盤の目のように整然とできていますが、たまに、どう間違ったか斜めの道が鬼っ子ようにあることがあります。その鬼っ子のひとつです。私はその斜めの道を、いつも「斜めだなあ」と思いながら、肉やら野菜やらを買いながら歩くのですね。写真は元旦の永安里斜街です。正月らしくない? そう、全く正月らしくないのですね。中国はもともと正月を旧暦で祝いますので街全体が正月らしくないのですが、この鬼っ子は特に素っ気ないですね。いつものように寒くって。いつものように犬を連れた人がいて。いつものように屋台の果物屋がミカンを売っていて。つまり、「こうして私の新しい一年が始まりました」と言いたいだけなのですが……。

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