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<重慶>
長江というのは凄い河である。
三峡を一気に駆け下る激流も凄いし、江蘇省南通辺りの海かと見まがう茫洋たる風景も凄い。しかし、私が一番凄いと思うのは、重慶で見る長江である。
長江と嘉陵江がぶつかるところに重慶の街がある。地勢は山。幾段もの階段を降りて降りて、二つの河が交わるその三角形の先端に辿り着くと、そこが港。朝天門という。朝天門の上から見下ろす。アッと、息を呑む。右手から長江が流れてくる。河の色は赤茶色。
左手から嘉陵江が流れてくる。色は緑。共に河幅一キロはあろうという大河である。朝天門で、その赤と緑がぶつかり、最初はくっきりと境界線の左右に色の違いを際立たせながら、やがては流れるに従い混ざり合い全体を長江の赤茶に染めながら、流れてゆく。
重慶は河口から二千五百キロも離れた山地なのだが、そこを流れる長江の水量たるや大変なものである。「下るに従い途方もない大河に変貌するであろう」、そんなことを予感させるに十分な重量感である。しかも、流れは早い。底から掻き回すように渦が巻きあがる。「この激しい流れに乗って流れてゆくと、いつか大海に至る」、そんなことを予感させるに十分な躍動感である。
ここを流れる長江が独特であるように、重慶という町も独特な相貌を持つ。「山の町」と呼ばれる。「霧の町」でもある。「港町」でもある。朝の五時。夜は明けきっていない。そのうえ霧がかかっている。それでも、重慶の底、朝天門の船着き場から汽笛が響き始めると、それに呼応するかのように人々の叫び声が聞こえてくる。船が着き、船が出る。荷が下ろされ、人々が動く。夜の名残の薄暗闇の底から、白い霧の底から、それらを吹き払うように汽笛が響き、人々の掛け声が上がり、活気が立ち昇る。明るくなるにつれ、その活気が「山の町」でもあり「港町」でもある重慶を覆い尽くしてゆく。
「棒棒軍」と呼ばれる人々がいる。天秤棒一本で渡世をしている労働者の群れである。重慶は山、船着き場は河。人も荷物も百段をこえる石段を上り下りしなければならない。そこで活躍するのが彼ら。竹の天秤棒を肩に担ぎ、野菜を運び、魚を運び、建築資材を運び、
インスタントラーメン、ミネラルウォーター……。何でも運ぶ。荷の重さにしなる竹。それを肩に食い込ませながら、体中を汗にして、黙々と石段を上り下りする。長江と嘉陵江に挟み込まれた岩の山に、ビルが建ち並び、人々は密集する。人々は身体を張って働き、
エネルギーは充満する。そのエネルギーを狭い空間に押し込めておくことはできない。外へ外へ。長江の流れに乗って溢れだしてゆく。それが重慶である。
一九二〇年八月。フランスのパリを目指す中国人青年の一団八十五名が重慶の出航して行った。フランスの地で働きながら勉学をしようという青年たちである。長江を下り上海へ。そこで船を乗り換えマルセーユへ。行き着くだけで二ヶ月に及ぶ旅であった。その中
に、ひときわあどけなさを残す少年がいた。後の名をケ小平という。半世紀後に、閉じた中国から世界へ開かれた中国へ、大胆な舵取りをしてゆくことになるこの少年が重慶から船に乗り長江を下って行ったことは、決して偶然なことであったとは思えない。山と霧に
隔てられながらも長江を通じ世界へ繋がっている。港には坩堝のように活気がわきたち、働くことを厭わぬ人々のエネルギーに満ちている。重慶はそういう町である。そして、長江はそのエネルギーを包みこみながら流れている。
重慶で見る長江は、本当に、凄い。
(北京トコトコの2002年4月号に掲載)
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