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<江西省・景徳鎮>
英語で中国はChina。陶磁器は? そう、これもchina。もちろん偶然であるはずがない。両者の間には関係があるだろう。で、どっちが先だろ。
景徳鎮でこんな話を聞いた。chinaの起こりは景徳鎮だ、と。
街を流れる河は昌江。昔、景徳鎮は昌南といった。昌江の南にある町という意味で。昌江から多くの磁器がヨーロッパに輸出された。かの地では、いつしか、磁器を指すのに産地である「昌江」という言葉を当てるようになる。昌江は中国語の発音でChanjiangという。これがやがてchinaになった、と。
勿論、これはひとつの説に過ぎない。それも、余り有力なものではないのかも知れない。中国最初の統一国家・秦(シン)に由来するという説の方がずっと流布している。
それでも、現地で聞く、「中国=China とは景徳鎮のことです」、という言葉にはそれなりの説得力が有るものだ。それは、それを語る人の陶磁器に対する情熱が背後に張り付いた言説であるからだろう。
景徳鎮は、確かに、磁器作りの町である。全人口40万人のうち6万人が陶磁器に関わる生業をしているという。陶磁器の工場は大小合わせ、何と、五千という。その五千の工場で、若き者老いた者、それぞれに自分の夢を追っている。
一心不乱に轆轤に向かっている少年がいた。轆轤を回しながら壺の表面を削っている。先輩が粘土をこね、少し陰干しした壺の形を整えながら全体を薄くするのが仕事である。削られた土が飛沫のように飛び散る。髪が白くなっている。頬にも歌舞伎役者のどうらんのように土が付いている。十八歳。十五歳でここに来た。三年間、毎日毎日、単純な仕事ながら轆轤に向かってきた。お父さんが窯を持っている。それを継ぐためにいまは余所の窯で修行をしている。
皿に絵を描いている女性がいる。景徳鎮には陶瓷学院という大学があるのだそうだ。彼女はそこで学ぶこと三年、ここに来て働くこと三年。ようやく一人前になりつつある。一枚を描きあげるのに十日間ぐらいかかる。「一枚描くといくらもらいます」。「400元です」。多いのか少ないのかはよく分からない。でも彼女の夢はハッキリしている。「今は手本通りに描いています。でも、いつか自分の絵を描いてみたい」。
街中に窯がある。街中で轆轤が廻り、粘土がこねられている。街中で皿や壺に絵が描かれている。街中に熱気がある。この町で陶磁器が作られはじめて千七百年、いまだに脈々と陶器作りの情熱がこの街に伝わっている。そのことは、もしかすると不思議なことではないのか? そんなことを考えながら様々な人の話を聞いていているうちに、なるほど、と思ったことがあった。
景徳鎮では、それらの作業は分業化されているのだそうだ。
轆轤を廻す人はそれを専門にしている。絵を描く人は専門に描く。絵を描く人は、轆轤を廻す人から買ってくる。あるいは、絵を描き上げ、それを焼いてもらうために人を雇い窯に運ぶ。面白いシステムだと思った。国として市場経済を導入してからのことなのだろうか。筆一本有ればよい。大きな工場は要らない。才能さえ有れば、筆一本で成り上がっていける。そういうシステムである。
この街の陶磁器への情熱はいまだに失われてはいないのは、そのことゆえなのではいだろうか。それぞれに自分の才能を信じ、轆轤を廻す。あるいは、絵を描く。あるいは、窯で焼く。誰もが、良い陶磁器を作りたいと願っている。誰もが、いつか認められたいと必死になって陶磁器と向かい合っている。
景徳鎮。陶磁器づくりに取り付かれたような街である。
(北京トコトコの2002年12月号に掲載)
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