<あまたの水はトクトに集まる(内蒙古自治区・トクト)>
「流域面積」という言葉をご存じだろうか?
黄河の流域面積は七十五万平方キロメートルという。流域面積というのは、降った雨がある川に注ぎ込むその範囲の面積の総計なのだそうだ。日本の総面積は三十八万平方キロメートルというから、黄河の流域面積は日本の二倍に相当することになる。なんとも凄い河である。長さは五、四六四キロメートル。
青海チベット高原に源を発した黄河は、蘭州(甘粛省)を抜けると北上を始める。やがてぶつかるのが東西に延びる陰山山脈。行く手を遮られた黄河は真東に向かう。そこは内蒙古自治区。内蒙古自治区を東流すること四百キロ、トクトで今度は一転、真南へ流れを変える。この黄河にΠ型に挟まれた地域は、古来、オルドスと呼ばれ、匈奴、鮮卑、柔然など幾多の民族が興きては滅び、滅んでは興り、漢族との死闘を繰り返してきた歴史の舞台である。
そのトクトへ行ってきた。もちろん、黄河を見るためである。
中国では川をしばしば上流域、中流域、下流域の三段に分けるがトクトは黄河の上流域と中流域の境に当たる。ここからが中流域。ここからの黄河は凄い。黄土高原の真っ只中を一気に駆け下る。岩を砕き石を食む激流は深い峡谷を作り出す。陝西省と山西省の境、晋陝峡谷という。黄河本流中唯一の滝である壺口瀑布もこの峡谷の中にある。ここの急流を遡る鯉は龍になるという言い伝えの「登竜門」もこの峡谷の中にある。
この晋陝峡谷の両側に広がるのが、黄土高原。大量の黄土が雨と風に運ばれて晋陝峡谷に流れ込む。それを黄河が、流れの勢いに任せ、全身を黄に染めながら、すべて運び去る。黄河が本格的に土色になるのは、この黄土高原のなかの疾風怒濤の流れにおいてである。黄河が渤海へ運ぶ土の量は一年間で十六億トンという。縦横高さ一メートルの壁を作ると、なんと地球を二十七周するのだそうだ。その土のほとんどを、黄河は、トクトから一転して南へ駆け下る七百キロの間に得るのである。
やがて、さしもの激流も、五岳のひとつ崋山にぶつかり、流れを緩やかにしながら東へ進路を変える。河幅は一気に広がり、呑み込んできた黄土を徐々に吐き出しながら渤海に向かって流れることになるのである。
さて、そのトクトである。
晋陝峡谷の黄河は何度も見てきた。その迫力に驚きもした。感動もした。で、この峡谷に入る前の黄河はどんなふうなのだろう?
そんな疑問がいつも頭のどこかにあった。
「あまたの水はトクトに集まる」。最近になりこんな言葉も聞いた。何でもなければ、聞き流してしまうような言葉だ。ただ、晋陝峡谷の疾風怒濤の激流が脳裏には焼き付いているだけに心のどこかに引っかかる。黄河になりきる以前の黄河があり、しかも、「あまたの水が集まってくる」。そのトクトの黄河はどんなだろう?
行ってみると、北に草原、南に砂漠、その間を黄河はゆったりと流れていた。なるほど、水は青。青味のある水がゆったりと流れている。静かだ。水音も聞こえない。河幅は二三百メートルか。たいしたことはない。小さな舟が岸に繋いであった。鯉や鮒がとれるのだという。岸辺に立ち下流を見やれば、やはり水は静かに流れ行き、やがて、どんよりと垂れかかる雲のなかに紛れ込んでゆく。
「南に折れるのはどのあたり?」。魚を捕っている老人に尋ねる。
「すぐそこさ」。下流を指さす。
そうなのだろう。目をこらすが、それでも、水の際も空の際も雲に紛れていることにかわりはない。
それでも私は満足であった。
すぐ先の自分の運命を知ってか知らずか、青く静かに流れる黄河。
ひとたび南に折れれば疾風怒濤。黄に染まりながら一気に駆け下る。その寸前の時間。嵐を含んだ静謐。龍になる前の謙遜。黄河は青く静かに流れている。
「あまたの水はトクトに集まる」。
青い黄河もいいものだ。
(「北京トコトコ」2003年7月号に掲載)