旅チャイナ(トップ)|チベット青蔵鉄道|チベット入域許可書|カイラス倶楽部| <運河の詩情・運河の終点> 運河には何ともいえぬ詩情がある。
同じ水の流れでも、河とは一味違う味わいがあるものだ。 運河というのは不思議なもので、自然そのものではない。同時に人工そのものでもない。人間くさい自然。あるいは、自然のような人工。私たちが運河に感じる優しさ、切なさ、懐かしさというのは、そういうことからくるのだろうか……。そしてそこを行き来する船もいい。運河と同様、船の表情もどこか人懐かしい。海洋船とはもちろん、長江を上り下りする船ともまた違う。生活のにおいがする。洗濯物が干してあったりする。左手にお椀を、右手に箸を持ち、立ちながら食事をしている夫婦がいる。三つ四つ盆栽が並べてあったり、子供用の三輪車が置いてあったりする。家族の生活がそのまま船に乗っている。そして、ポンポン蒸気の煙と一緒に、船の上の生活も動いて行く。そんな光景を見ていると、胸がキュンとする。人が本能的に持っている旅心というのが刺激される。人生は旅なんだ、と思う。彼らが羨ましいと思う。自分も、本当は、橋の上から眺めているのではなく、あの船に揺られていなければいけないのではないか、と思ったりする。 さて、京杭大運河は、万里の長城とならび中国の二大土木工事と言われる。全長千八百キロ。大変なものだ。この北の端は言わずと知れた北京。元の時代、江南からのぼってきた船は、通州で小さな船に荷を積み替える。そして城内の水路を通り積水潭に至る。当時の積水潭の埠頭には常時数百隻の船が繋がれていた。米も運ばれ酒も運ばれ様々な物資が運ばれる。商人がいて芸人がいて妓女がいて殷賑を極めていた。その中心は、鼓楼の下、斜街の辺りであったという。勿論、今となってはその面影はないのだが……。斜街は私のかつての散歩コースでありこの辺をぶらついた回数は五十回や六十回を下らない。そこにアーチ型の小さな橋がある。銀錠橋という。その橋の上から下を見下ろすたびに思ったものだ。「ああ、この水は黄河をこえ長江をこえ杭州に繋がっているのだ」、と。そして、「運河の終点はどんなだろう……」、と。 先日、その「終点」を見てきた。三月半ば。終点と言っても、何があるわけではない。最初から分かっていた。運河は中河に繋がり、中河は銭塘江に注ぐ。その中河と交わる直前の大運河である。その日は雨であった。周りは人家と言うよりも倉庫や町工場。鈍い灰色の水の上を石炭を積んだ船が五、六艘連なりながら通り過ぎる。しばらくすると、今度は建築資材を積んだ船が五、六艘の船が連なりながら通り過ぎる。味もない。そっけもない。それでも、私は私なりに満足であった。大運河の終点。運河も船も雨の中。フト、北京の斜街の銀錠橋を思い出した。雨の銀錠橋など見たことがない。銀錠橋はきっと春の光のなかだろう。 そう。何があるわけではない。それでも、運河には詩情がある。 (写真は:上から順に「高郵付近の運河」、「北京・斜街の銀錠橋」、「終点・杭州の大運河」) (「北京トコトコ」2003年5月号に掲載)
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