<山東省・済南>
黄河は済南の北を流れる。五千キロ。もう十分に流れてきた。激流となり岩も食んだ。黄土高原を削り黄にも染まった。海まではもう少し。それまでの余生を静かに過ごしたい。この辺りの黄河は、そんな表情をしている。
?口の渡し。雪のなか、大勢の人が対岸を望んでいる。何だろう? その日は、正月の二日。一家揃ってお嫁さんの実家に帰る風習があるのだそうだ。やがて、船が着く。船からもたくさんの人が降りてくる。行く人、帰る人。なるほど、吐く息に酒とご馳走の匂いが混じり、どこか華やいだ雰囲気が漂っている。
黄河の悠久の流れ。何百年もの間、正月二日に嫁ぎ先と実家を繋いでいる渡しの船。こう思うと、ほのぼのとした気持ちになる。
地元の人にそう言うと、意外な答えが返ってきた。「黄河がここを流れるようになってまだ百五十年ですよ」。
「エッ、どこから引っ越してきたの?」。
老成したような表情とは裏腹に、山東の黄河は時に大暴れする。河道さえ変えてしまう。記録に残るだけでも洪水の数は千五百回、河道を変えたのは二十六回。南北七百キロの幅のなかで動いているという。何ともすごい河である。
渡しはそれ以降のこと?
「済水という川でした。その南だから済南なのです。そこに黄河が移ってきて、済水ではなくなって……」
ということは、黄河はまたどこかへ行くこともある?
「堤防も造っていますし、まあ、あと百年ぐらいは居るのではないですか」。
一筋縄ではいかぬ不思議な時間感覚であり、空間感覚である。しばしボーッと我を忘れた。気が付くと、折り返した船はいつの間にか豆粒のようになっていて、渡しには新しい人々が集まり始めている。そして、黄河はやはり滔々と流れている。
(中日新聞・東京新聞の2002年1月6日日曜版に掲載)