旅チャイナ(トップ)|チベット青蔵鉄道|チベット入域許可書|カイラス倶楽部| <河北省・邯鄲>
邯鄲は中国のなかでも特に古い都である。それだけにこの町にちなんだ故事熟語が多く今に伝えられている。「奇貨おくべし」。そう、秦の始皇帝が生まれたのは邯鄲であった。「邯鄲の歩み」、「邯鄲の夢」などというのもある。 盧生という若者が都で科挙の試験を受けた帰途、邯鄲の旅籠で道士に出会う。貧しい身の不幸を嘆く盧生に道士は袋の中から枕をとりだす。それに枕し、うとうとすると枕の両端の穴が広がり明るくなる。盧生は起き上がりその穴の中へ入ってゆく。そこから、波瀾万丈の人生が始まる。科挙に合格し出世の道を歩み天子の寵遇を受ける。が、やがて讒言により左遷される。そんな栄誉と恥辱の極みを何度か繰り返しながら一生を終える。 そこで目が覚めるが、見れば自分はやはり宿先で寝ており、傍らには道士がいる。うたた寝をする前に宿の主人が蒸し始めた黄梁はまだ蒸し上がっていない。黄梁一炊の夢とも言う。唐代の伝奇小説『枕中記』の物語である。 その盧生の泊まった旅籠の跡が道教のお寺になっていると言う。「あれっ、小説の中の話じゃないの」。まあいいか、と行ってみると、これまた不思議なことに、沢山の中国の人が線香を焚き熱心に祈っている。老婆が亭主の病気の治癒を願い、若夫婦が乳呑み児の将来の幸せを願っている。 「人生は夢のように儚い」。これが盧生の物語だ。しかし、人々は「夢」に何かを託そうとしてここに参拝する。 矛盾だろうか。それとも虚と虚を掛け合わせると実になる、ということか。 あるいは、人生は儚い夢だということは、逆に言えば、夢は実人生よりも現実的だということになる、そんな庶民の人生観なのか。 ともかくも、邯鄲に来ると日頃忘れている夢についてあれこれ夢想することになる。 (中日新聞・東京新聞の2002年3月17日日曜版に掲載)
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