<三峡下り>
三峡下りをしたことがありますでしょうか?
「もしまだなら、会社を休んでも、家事を放り出しても、すぐにお行きなさい」。今回はそういう話である。
「日本と中国と何が違うか」と問われたら、私ならこう答える。河が違う、と。日本の川のイメージはせせらぎ。清く優しい。中国の河は、濁流。長く太く激しい。河の違いは国土の姿の違いであり、おそらくは、そこに暮らす人々の精神構造はその違いを映し出しているに違いない。
ところで、中国には黄河と長江という二つの大河がある。これらは共に中国を代表する大河でありながら、その姿はまるで異なる。これもまた面白い。
様々な黄河を見てきた。蘭州の若々しい黄河。鄭州の渺々たる流れ。済南の老成したような姿。でも、どこで見る黄河にも共通した黄河らしい相貌というものがある。
「逝くものは斯くの如きか。昼夜をおかず」。
孔子の言葉である。孔子が黄河を見てこう言ったかどうかは分からぬが、黄河というのは、人にこういうことを思索させる河である。自分とは何か。時間とは何か。生とは何か。内に向かって熟成する、とでも言えばよいだろうか。流れのほとりに立つと誰もが哲学者になる。そう、黄河というのは、そのほとりにたたずむべき河である。
一方、長江はどうだ。長江は、人がその流れに乗って一緒に下ってゆく河である。「朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にしてかえる」。李白の詩である。幾重にも連なる山、その間を縫うように、うねるように流れる河。ほとばしり、沸き上がり、岩を噛む。その上を滑るように下る舟。その躍動感。李白の詩の躍動感は、彼の心の躍動感でもあり長江の流れの躍動感でもある。しかも、その流れは、やがて海に繋がり、世界に繋がる。躍動し、同時に外に向かって開かれている河、とでも言えばよいだろうか。
この二つの河は二つながらに中国なのだと思う。そのなかでは、現代という時代は、外に向かってダイナミックに躍動する長江の時代なのかも知れない。
さて、その躍動する長江のハイライトが、三峡なのである。
重慶を出発する。船は堂々たる水量に乗って培陵、万県、奉節と下ってゆく。重慶で嘉陵江を、培陵で烏江を、万県の先で小江を集めた長江は奉節で左岸に白帝城を見上げながら、怒濤の流れとなって三峡の大峡谷に入ってゆく。その迫力はたいへんなものだ。右に左に正面につぎつぎに迫ってくる断崖絶壁。それらの間をすり抜けるようにして船は下ってゆく。「両岸の猿声啼いてやまざるに 軽舟すでに過ぐ万重の山」。李白の詩の後半である。船のデッキに腰掛け一日ボーッとしていても飽きることはない。長江ってスゴイなあ、と思う。
やがて、最後の西陵峡を過ぎると、さしもの峡谷も尽き空が開ける。山は低くなり、流れは広く緩やかになる。激流を一気に駆け下ってきた長江が静かに憩うように流れはじめる。そこが宜昌。本当に楽しい船の旅である。
ところが、この三峡が消えようとしている。新三峡ダムの堰き止め工事が終わり水を貯め始めるのが来年の六月。すると水位が上がり、三峡は湖のようになるだろう、と言われている。その時にも船はあるのかも知れない。しかし、芦ノ湖の遊覧船のようになっては面白くない。李白の詩の躍動感、長江の躍動感。前後左右に迫る絶壁の迫力。そんな長江本来の魅力がまるで失われてしまうではないか。
もう一度言おう。長江は、その流れに乗って一緒に下ってゆくべき河である。その長江本来の味わいを楽しめるのは今しかない。
さあ、仕事を休み、家事を放り出しても今すぐ三峡にお行きなさい。
(北京トコトコの2002年9月号に掲載)