旅チャイナ(トップ)|チベット青蔵鉄道|チベット入域許可書|カイラス倶楽部| <チベット自治区・ツェダン> 夏は収穫の季節。農村を旅するのは楽しい。夕暮れ時、通りかかった村で車を停める。裸麦の穂が風に揺れている。黄色い穂の波に点在する民家の壁は白。屋根には五色のタルチョが立てられている。タルチョとは経文を印刷した布のことで、チベットの人々は、風にはためかせることで風が経を読んでくれているのだという。夕餉の煙が屋根から立ちのぼっている。庭先で女たちが談笑し、庭の奥では男が黙々と牛の乳を搾っている。やがて、あれほど青かった空にも夕暮れの色が迫ってくる。白い壁にも、五色のタルチョにも……。平安そのものだ。人生の憩い。いつしかそんなことを考えている。 収穫の季節は、祭りの季節でもある。そう、祭りとの予期せぬ出会は、いつも心を弾ませてくれるものだ。 ツェダン郊外を走っていると、村人が広場のようなところに集まっていた。女たちは民族衣装に着飾り辺りには華やいだ雰囲気が漂っている。祭りだ。待つことしばし、行列が見えてきた。先頭には二人のラマ僧。臙脂の衣をまとい、笛を吹いている。後には男たちが幟を立てて続く。さらには女たちが何かを背負ってやってくる。あとで聞くとそれぞれの家に伝わる経典なのだそうだ。やがて、広場に着くと、行列は輪を描き始める。積んであった枯れ草に火が点けられる。輪は、火を中心にグルグル廻る。廻りながら輪を縮める。幾重もの輪になる。ラマは笛を吹く。幟は風にはためき、女たちは経を唱える。輪が廻り、煙と笛の音と幟と経文がグチャグチャに混ざり合ったところで祭りは最高潮を迎え、そこで終わる。標高三千五百メートルの地、大空の下で繰り広げられる祈りの儀式であった。 生活の憩いがあって、祭りの祈りと熱狂があって、夏の農村の旅は心に残る。 (中日新聞・東京新聞の2001年8月26日日曜版に掲載)
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