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<長江第一城 ── 宜賓>
「長江第一城」と呼ばれる。四川省・宜賓である。「長江の最初の街」。どういうことか、というと、つまり長江はここから長江となる。ご存じだろうか、長江は最初から最後までずっと長江と呼ばれているわけではない。宜賓より上流は金沙江と呼ばれる。金沙江になるのは青海省の玉樹付近。その前は、通天河。その前はトト河。その前は……知らない。
長江というのは凄い河である。長さも凄いし水量も凄い。でも、私が最も引かれるのは、長江沿いに連なる港町である。港を持つ河である、ということである。河に港がある。そのこと自体が凄い。十九世紀後半、イギリスやフランスの商船や軍艦が海から奥へ奥へと遡っていった。上海、南通、南京、九江、武漢、沙市、宜昌、万県、重慶と。
海の港町に活気があるように河の港町にも活気がある。海の港が出会いと別れに満ちているように河の港も出会いと別れに満ちている。
武漢から上海まで「観光船」ではなく所謂「生活船」に乗って旅したことがある。港みなとに寄ってゆく。サルを連れた大道芸人が乗ってくる。大きな荷物を担いだ行商人が降りてゆく。故郷を離れ出稼ぎに出る人。異境で成功し故郷に錦を飾る人。家出。駆け落ち。夜逃げ……。みんな河の上。誰もが流れている。流れることが常である。河の船旅には何とも言えない哀愁がある。
港へ着くと物売りが待っている。ゆで卵、カップラーメン。船のデッキと波止場の売り買いは蝉を捕るような網を使って行われる。差し伸ばされた網に金を入れる。代わりにカップラーメンが網に入れて差し伸ばされる。旅行く者と留まる者の交わす言葉は余りに短い。河は流れるものだから。何とも言えない旅情がある。
海から遡ってゆく最後の港は、普通、重慶である。しかし長江にはまだ先がある。そのひとつ先の港へ行ってみたい。それが今回の宜賓行であった。重慶から更に数百キロ、河口からは二千数百キロ、十分に大人になりきっていないとはいえ、ここでも長江は大河であった。赤茶色の流れ。滔々とした水量。長江の多くの港町は支流との合流地点にできている。重慶は嘉陵江と交わるところ。培陵は烏江と。武漢は漢水と。宜賓も例外ではなかった。岷江。長江はここで岷江を併せ呑み更に水嵩を増して東へ東へと流れてゆく。
重慶や武漢に較べると山奥の小さな町に過ぎない。それでも、そこにはいかにも長江の港町らしい古い街並みと、今に生きる人々の活気があった。人が集まりものが集まる。人々は河に生を託し悠々と生きている。
合流点に立つと実に大きな風景である。右から赤茶の金沙江、左から緑の岷江。それが合わさり、赤茶の長江となり濃い緑の山々に向かって流れてゆく。杜甫の詩の一節を思い出した。「窓には含む西嶺千秋の雪、門には泊す東呉万里の船」。成都での作だ。成都を流れる川は錦江。そこに船が泊している。「東呉」というのだから南京辺りの船なのだろう。南京から長江を遡り、ここ宜賓から岷江に入る。成都近くで錦江に入る。まさに「万里の船」である。目の前に見る風景の大きさ。見えるものを越えて広がる長江を軸にした空間の大きさ。そして、杜甫の時代から今に至る、時間を超えて滔々と流れ続ける長江。
そん風景のなかで水遊びをする子どもたちの姿があった。ほかの長江では見られない光景である。長江がまだ大人になりきっていない分、河と人の間が近いのだろう。ふと思った。それにしても、このように大きな風景のなかで水遊びをして育った子供はどんな大人になるのだろう、と。
(北京トコトコの2002年8月号に掲載)
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