旅チャイナ(トップ)|チベット青蔵鉄道|チベット入域許可書|カイラス倶楽部| <河南省・安陽> 見るもの聞くこと、とにかく古い。安陽と言えばまずは殷墟。住居の跡、車馬坑、発掘されたお墓、と見るべきものは多い。甲骨文字もある。すべて三千年以上前の遺跡である。どうも、その「三千年」というのがピンと来ない。 翌日案内されたのは、●里城遺跡。ここも古い。殷の紂王が周の文王を幽閉した場所だという。殷の紂王と言えば、「酒池肉林」。暴君として名高い。また、文王から連想されるのは太公望。文王は釣りをしている「太公望」を一目見て人物と見抜き軍師として取りたてる。文王の子は武王。武王は太公望の助けを得て、紂王を滅ぼし周王朝を樹立させることになる。「酒池肉林」も「太公望」も余りに遠い昔のこと、どこまでが伝説でどこからが史実なのか……。しかし、地元の人は「三千年前、ここに殷の紂王は周の文王を捉え……」と、まるで三十年前に自分の親戚の身に起こったことのような口調で話す。聞いているうちに不思議な時間感覚に導かれる。 その●里城遺跡の門の前で占い師が易による占いをやっていた。「当たるも八卦……」という。八卦とは、陰と陽の組み合わせで世の中を解釈する思惟法である。文王はここに幽閉されていた七年の間、それまでの「八卦」を「六十四卦」にまで演繹し、それが現代に伝わっている易なのだという。だとすれば、中国人は三千年間、同じやり方で「占い」をしてきたことになる。それも不思議だ。 そう言えば、前日、殷墟を歩きながら、案内の人が何かのかけらを拾い私に渡す。ギザギザの模様がある陶片である。「三千年前のものです」。 三千年というのは、彼らにとっては、想像もできないような遠い昔であるよりも、靴でちょっと土を掘ればジャリジャリ出てくる陶片のようなものなのかも知れない。 (中日新聞・東京新聞の2002年6月23日日曜版に掲載)
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