<ピアノが聞こえる島――福建省・コロンス島>
コロンス。
一時間も歩けば一周してしまうほどの小さな島である。坂道が多い。坂道は石畳。その石畳の道に沿って租界の時代に建てられた洋館が並ぶ。
ブーゲンビリアの花が咲き誇り、ガジュマロの木が枝を広げている。なるほど。「海上の花園」などと呼ばれる。
コロンス。この名前が何とも……。音の響きがいい。短いけれど、リズム感もある。何語だろう? 中国語では「鼓浪嶼」。島の南西部に鼓浪石という岩がある。波の浸食を受け真ん中が洞になった岩礁で、満潮になると波に叩かれ太鼓のような音になることからそう呼ばれる。「鼓浪嶼」とはそこから名付けられたという。ドドン、ドドンと波が打つ音。そこから付いた島の名前。それも良い。それにしても、鼓浪嶼=コロンスになるだろうか? 因みに英語では、鼓浪の中国語の音をそのまま使ってGulang islet と言っている。だから、英語からきたのではない。いつから、日本人はコロンスと呼んでいるのだろうか? もしかしたポルトガル語とか、現地のアモイ語とか……。
勿論、どうでもいいことである。コロンスが何語でも。それでも、私は、コロンスを歩きながら口の中で呪文のように言い続けていた。「コロンス、コロンス、コロンス、コロンス」、と。それには、訳がある。この響きの良さが……。
島に上陸し洋館の間の石畳を歩き始めるとすぐに何羽かの小鳥の鳴き声を聞いた。空を見上げるが姿は見えない。ガイドの黄さんが笑いながら言う。「家の中で飼われている鳥ですよ。この島の人たちは耳を楽しませるのが好きですから」。
コロンスが共同租界地になったのは1903年、南京条約によってである。その前後から多くの外国人が別荘を建ててきた。今までに建てられた別荘の数は千六百軒に及ぶという。「ここは日本の領事館のあとです。今は一般の人が住んでいます」。見ると赤煉瓦の二階建ての立派な洋館である。「フーン」。見上げていると、どこからかバイオリンの音が聞こえてきた。「フーン、この島にはバイオリンを弾く人がいるんだ」。
洋館の間を歩いているうちに、いつか、坂を上りきっている。オレンジ色の屋根越しに海が見える。坂を下っていると、今度は、ピアノの音が聞こえてきた。「フーン、ピアノを弾く人がいるんだ」。黄さんが言う。「いるなんてもんじゃないです。島の人口は二万人ですが、ピアノの数は千台以上あります。世界で一番『ピアノ密度』の高いところです」。
租界時代、島のあちこちからピアノの音が聞こえた。島民もそれに親しんだ。解放後、外国人は去ったが、島民のピアノにタイする愛着は残った。どうもそういうことらしい。
「小さい島ですが立派な音楽会のホールがありますよ。有名な音楽家が何人も出ています。近頃、『ピアノ博物館』もオープンしました」。
ピアノ博物館というのはピアノだけを集めた博物館で、イギリス製、フランス製、ドイツ製などのクラシックなピアノを八十二台展示している、という。これを収蔵したのは、オーストラリア在住の華僑。商売の成功で得た金で、世界中から一台一台、古いピアノを買い集めた。いまでは値が付けられないほどの価値がある。それを全部、まとめて、ピアノ博物館を造りコロンスに寄付をしてしまった。名前は胡友義。1936年コロンスに生まれ、若くして音楽を志しベルギーに留学。その後海外で苦労をしながら財をなす。数年前に久しぶりに故郷に帰ってきた。その時、ピアノの寄贈と博物館の設立を思いついたという。理由を聞かれて、「コロンスの浪の音が私をそう言う気持ちにさせた」。
切手の収集とか骨董品の収集とかは聞いたことがあるが、ピアノを何十年もかけて収集していたというのが凄い。コロンスの出身であることがなせることなのか。その上、浪の音を聞いてそれを全部寄付する気持ちになったというのも、何とも、凄い。どうしてそういうことが起こるのだろうか?
コロンスという名の島があって、浪が岩を太鼓のように叩き、小鳥が鳴き、バイオリンの音が聞こえる。ピアノの音もする。その上、ピアノ博物館がある。
目をつぶって耳だけで見学すればいいような島、といったらよいだろうか。
言霊というのだろうか。コ、ロ、ン、ス、という四つの音節からなる言葉に不思議な力が宿っていて、浪の音もバイオリンの音もピアノの音も八十数台のピアノの収蔵もそして、その寄付も、その言霊の磁場のなかで起こったことなのではないだろうか。そうとでも考えなければ、ちょっとヘンだ。そんな想いに捉えられていた。
それで、コロンス、コロンスと唱えていた訳で……それにしても何語なのだろう? 素敵な言葉じゃないですか。コロンス。コロンス。コロンス。コロンス。
(「トコトコ」2004年1月号に掲載)