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<内蒙古自治区・ハイラル──ロシア人と中国人と日本人 それぞれの記憶>
中国の数ある草原のなかでも最も美しい草原はホロンバイル草原である、という。夏に訪れたことのある人に言わせると、草が違う、と言う。丈が高い。膝ほどの丈の草が大地を覆い尽す。それが風に揺れる。特に夕暮れ。夕日を浴びた草がキラキラ輝きながら地平線の果ての果てまで揺れているさまは、まさに、忘れがたく美しいものなのだそうだ。
ただ、「ホロンバイル」という地名が私たち日本人に真っ先に連想させるのは、「美しい草原」であるよりは「重苦しい記憶」である……。一九三九、日本軍がソ連軍の機械化部隊に完膚なきまでに殲滅され二万五千の屍を草原にさらしたノモンハンも、ロシアとの国境の町・満州里も、一九四五年不可侵条約を一方的に破棄したソ連が最初になだれ込んできた町・ハイラルもみなこの草原のなかにある。
そのホロンバイルを訪れたのは真冬一月のことだった。
昼間の最高気温がマイナス三十度。草原も、枯れ果て霜をかぶり荒涼としていた。ハイラルの町も、雪のなかに凍りついていた。そういう寒さのなかでも人々が暮らしている。北京でよく見かける、サンザシの実を串で刺し飴で固めたものを売っている。売り子の吐く息が驚くほど白い。売り子の肩にもサンザシにも雪が降りつのる。「なんでこんな寒い中でサンザシを売らなきゃいけないんだ」、と思う。どんなに寒くとも人は生きていかねばならない、ということなのだろう。
さて、「よくもこんな寒いところへ来ちゃったな」、と半ば後悔し続けていたホロンバイルの旅であったが、ひとつだけ暖か〜い経験をした。ハイラルの郊外、エルゲナという町へ行ったときのこと。
「家庭訪問」ということで案内された家の奥さんの名は「張玉蘭」。ドアを開けて出迎えてくれた張さんの顔はほとんどロシア人。「アンナ・イワナマ」というロシア名も持つ。エルゲナは七千名のロシア人が住みついていることで知られる。家に入ると、白い壁、白い家具、壁にかけたキリストの像、部屋いっぱいの草花。「ロシア人の生活を再現ようとして努力しています」。
勧められるままにボルシチをいただき、ウォッカを飲みながら一家の歴史を伺うとこれが実に興味深い。
アンナさんのお母さんはロシア人。一九三〇年代、十七歳でロシアから逃げ出してきた。お父さんは中国人。山西省の農民だが、干ばつで生活が出来なくなりこの地へやってきた。砂金が取れたのだそうだ。それで一発当てようと多くの食い詰めた農民が移住してきたのだという。二人はそこで出会い結婚をする。アンナさんは言う。「中国人は貧しい同士では結婚したくないのですよ」。
こうしてアンナさんが生まれるが、八歳でお母さんを、九歳でお父さんを亡くしてしまう。二日で一食という生活だったが、村の人の助けでなんとか生き延びることができ、同様の境遇の混血の青年と結婚をして三人の子供を得、幸せな暮らしをしているのだ、という。
「今の生活を母親にもさせてやりたかった……」。
そこへ若い男がアコーデオンを担いで入ってきた。やはり、ロシア人と中国人の混血でアンナさんのご主人の親戚だという。最初は六十年代はロシアのスパイと言われて苦労したなどと言う思い出話をしていたが、そのうち、アコーデオンを弾き出す。勿論ロシア民謡で、カチューシャやら黒い瞳やら。それに合わせてアンナさんが歌う。
「日本人はロシア民謡好きですか?」とか訊かれ、私もいい加減酔っ払っており、「何をおっしゃる、ロシア民謡ならお任せください。次は私が一曲……」などと言っているところへ、二人の女性が登場。一人はロシア人の顔立ち。これはアンナさんの娘さん。一人は若い男の奥さん。こちらは中国人の顔をしているのだが、二人とも混血。この二人がアンナさんや私の歌に合わせて踊る。昼間から、飲めや歌え、歌えや踊れの大狂乱になって……。
ふと外を見ると雪が降り続いている。マイナス三十度の銀世界。ロシア革命もあってノモンハンもあって日本の統治もあって文革もあって……。ロシア人がいて中国人がいて混血がいて日本人がいて……。なんで私はこんなことろでウォッカに酔っ払ってロシア民謡を歌ってんだ……、といぶかしく思いながらも、ともかくも、寒い寒いホロンバイルで、いろんな人がいて、いろんな歴史があって、いろんな記憶で胸をいっぱいにしながら生きているのだ、と妙に納得した嵐の狂乱であった。
(「トコトコ」2003年2月号に掲載)
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