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<甘粛省・ラブロン寺>

 何とも不思議な光景である。まるで、<異界>に迷い込んでしまったかのようだ。

 人々が群をなしてお堂の周りを廻っている。何周も何周も。冬の冷たい空気のなか、厳粛さが漂う。ボテッとしたチベットの民族服は汚れでテカテカ光っている。顔は紫色に日焼けし、髪は荒縄で編んだかのようにボサボサである。ブツブツブツブツ。歩きながら、一心に何かを唱えている。

 呪文のように。うまくは聞き取れないが「オム・マニ・ベメ・フム」と言っているのだそうだ。観音菩薩を讃える祈り。お堂の正面の除く三方は回廊になっていて、合わせて百五十個ほどのマニ車が等間隔に並べられている。人々は、そのマニ車のひとつひとつを手で回しながら巡る。真摯な祈り、濃密な空気。彼らの心の中にあるものは一体何なのだろう?

 ここは、甘粛省・ラブロン寺。チベット仏教の聖地のひとつである。毎日、甘粛省内のみならず青海、四川、内蒙古からも巡礼の人々の群が押し寄せてくる。一休み中の六十過ぎと思われる男の巡礼に声を掛けた。
「どこからですか?」
「カンジャ」
寺の西北四十キロ離れた草原の村から馬に乗り半日かけてやってきた。夜明け前に着き、四時間、こうして廻っている。
「何回廻るのです?」
「一万回」。
こともなげに言う。夜は近くに野宿をしながら七日がかりで廻るのだという。
「何のためですか?」
「一万回仏に出会います。そして、一万回祈り、感謝します」
「それにしても、何のため?」
「病気がちですしこの先そう長くはありません。今、念ずるのは、来世のことだけです。次はもっと良い人間になって生まれてきたいのです」
「フーン」

 薄暗い回廊。柱は赤、マニ車は金色。そこをうごめくように廻る人々の群。「オム・マニ・ベメ・フム」「オム・マニ・ベメ・フム」。輪廻転生の信仰が、いまなお、深く深く人々の心に生きている。
 何とも不思議な光景である。

(中日新聞・東京新聞の2001年2月25日日曜版に掲載)


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