<安徽省・黄山>
「黄山三奇」という。奇岩と奇松と雲海。山全体が花崗岩でできている。二億年前に海の底から隆起する過程で無数の峰が彫り上げられたのだという。岩の形は千姿万態、谷の深さは千尋万丈。
その岩に貼り付くように松が生えている。岩を砕いて根を張ることのできる樹木だけがここにあることを許される。まさに、松こそが黄山の奇岩の風景にふさわしい。
その岩と松を、時により所により、濃く薄く雲海が覆う。白いベールを透し岩と松が黒いシルエットになる。墨絵の世界そのままに。
この岩山に、よくぞと感心するほど丁寧に、石の道が作られている。人々はその遊歩道を巡る。巡るに従い奇岩は姿を変え、岩と松のシルエットも階調を変える。そして、ここぞという見所には、景色に名前が付けられている。「仙人が将棋を指す」とか「猪八戒が西瓜を食べる」とか。
そう言えば、泰山もそうだ。廬山もそうだ。石の道が作られ風景に名前が付けられる。ふと思った。それが、中国人の自然との接し方なのだろう、と。墨絵そのままの風景に道をつけ、自分も風景のなかに入ってゆく。自分を含めることで絵は初めて完成する。
そう言えば、「筆の先に花が咲く」と名付けられた景色の前で、地元の人がこういう。「あの岩が筆、その上の松が花です。ただあの松はニセ物です」。元々あった松が枯れてしまった。しかしこの風景は古来多くの詩に詠まれ絵に描かれてきた。どうあっても、そこに松がないわけにはゆかない。そこでプラスチックの松を立てたのだ、と。
普通は風景があって絵がある。しかし、中国人にとっては先に絵がある。それに見合う風景が必要だ。それが遊歩道でありニセの松なのだろう。
そんなことを考えながら歩くのも、黄山の楽しみ方のひとつであろうか。
(中日新聞・東京新聞の2002年11月10日日曜版に掲載)