<浙江省・烏鎮>
烏鎮は新しいタイプの観光地である。
何が新しいかというと、「フツー」の田舎町にすぎないのである。
万里長城のような中国人の圧倒的なエネルギーの発露ではない。西安や敦煌のような輝かしい歴史を持つわけでもない。桂林や九塞溝のような人を黙させる自然美があるわけでもない。
極く当たり前の江南の田舎町。
そのフツーの町に、昨年百四十万人の中国人が押し寄せてきた。従来の中国の観光地からすると「ヘン」な現象である。
何のためにそれほど多くの人々がやってきたのか?
烏鎮が最も栄えたのは唐の時代。京杭大運河が町を囲むように流れる。町内には水路が縦横に走り商業が栄えた。人口は十万人をこえた。唐と言えば千四、五百年も前のこと。えらい昔の話だ。その後、町は再び興隆することはなく衰退の一途を辿った。現在の人口は一万。ここ二十年の中国全体の目覚ましい経済発展のさなかでも顧みられることはなかった。町は廃れた。
それが良かった。
廃れたことが。経済発展に乗り損ねたことが。その分、古い建物が残った。純朴な風俗が残った。それが売り物になった。一大観光地として突如脚光を浴びることになった。皮肉といえば皮肉である。
百四十万人もの人が見に来るのは、兵馬俑坑のような二千年前の英雄達の遺跡ではない。二十年前の自分の生活である。清朝末の民家、元宵節の豚、魚、鶏のお供え、酒造り、ろうけつ染め、繭からとる糸。
つい最近まで自分たちの日常だった。しかし、今は失った。そういう懐かしさ。
水路と共にある人々の暮らし。野菜を洗うおかみさん。洗濯をするお婆ちゃん。
水路沿いには煉瓦造りに白い漆喰を塗った家が繋がっている。水が下から滲みるように壁を濡らすのだろう。何十年も。白い壁に何とも味わいのある染みが描かれている。水路を見下ろす窓には鉢植えの花が飾ってある。そして、屋根の瓦は黒。
確かに美しい。
それにしても、ここにあるのは美しさだけではない。この地が中国の人々を魅了すること自体が、何かの象徴であるのだ。この二十年の間に中国人の得たものと失ったもの。彼らの今の自信。彼らの喪失感。切なさ、悲しさ。そして、彼らが夢見ようとしているもの。クリークの水の流れが映しているのはそういうものなのだ。