旅チャイナ(トップ)|チベット青蔵鉄道|チベット入域許可書|カイラス倶楽部| <北京・天橋> かつて「天橋」というカオスがあった。民衆の享楽のすべてが揃っていた。芝居小屋、露天の市、酒楼、茶屋。芸人がいて、遊女がいて、乞食がいて、遊興の客がいた。
「天橋の芸人雲霞の如し」。 芸人たちは己の一芸にすがり口に糊した。人々はその芸に一日の憂さを晴らした。
酒旗戯鼓天橋市 清末の詩人、易順鼎の《天橋曲》の一節である。酒屋の旗、芝居の太鼓。ここに遊ぶは家を憶わず。天橋を歌って巧みだ。切ないほどだ。家を本当に忘れている者は、「家を憶わず」とは言わない。生の切なさを埋めることのできる享楽などありはしない。だからこそ、享楽に浸りたい。そういう切なさなのだ。 前門から南へ一キロ。天橋の名は残るが、かつての賑わいもさんざめきも今はない。そのなかで、昔の天橋を唯一偲ばせるよすがは、「天橋楽」である。一階には舞台と客席、二階には桟敷席を回廊状に巡らす構造は、往事の劇場そのままである。演しものは大分変わった。剣を呑むやら石を割るやらは流行らない。輪くぐりや鳥の鳴き真似などの品の良いものが主流だ。それも時代の流れというものだろう。それでも、舞台の両脇には《天橋曲》のあの詩句が掲げられ、天橋のかつての輝きの残光を放ちながら、享楽への憧れと切なさを今に語り継いでいる。 (中日新聞・東京新聞の2001年11月04日日曜版に掲載)
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