<福建省・泉州>
何年か前、イタリアのベネチアに行ったときのこと。サンマルコの港で大小幾つもの船が、朝日の逆光のなか、光の波の上でたゆたうているのを見た。
「あっ、マルコポーロの港か」。そう、ここから出発して二十四年、マルコポーロは再びこの港に帰ってきた。元に滞在すること十七年。彼が帰国の船に乗り込んだのは、確か泉州という町であった。彼が『東方見聞録』のなかで、「アレクサンドリアと並ぶ世界最大の港」と讃えたあの泉州である。その時思った。泉州、どんな町だろう、と。
その泉州へ行ってきた。
港にも街にもかつての賑わいはない。宋・元の時代には百を超える地域との交易が行われていたという。絹や茶が遠くペルシャ、ヨーロッパへ運ばれた。景徳鎮の陶器が積み出されたのもここからであた。陶器(china)は中国(China)であった。その航路の起点であり終点であった。碧眼紫髯や黒い肌。多くの異国人が蝟集していた。イスラム、キリスト、バラモン、マニ。様々な宗教の寺院が建ち並び、様々な祈りの声が街に満ちていた。
そんな昔日の栄華はまるで嘘のようだ。博物館に陳列された花崗岩の墓標はここが多くの異教の民の終焉の地であったことを示してはいる。だが、全ては過去のことだ。街全体が歴史の役割を終え静かに憩っているかのようだ。
そのなかで、開元寺の双塔だけは変わることなく堂々と聳えていた。かつての栄光の残照のように。柱も壁も屋根も花崗岩でできている。実に美しい。宋の時代のものだという。それならマルコポーロも見たはずだ。高さ四十メートルの塔が二つ。もしかすると、泉州の港を出航してゆく彼の眼に、最後まで見えていたのがこの双塔であったかも知れない。石塔に、今度は、船が揺れていたベネチアの港が思い出された。
(中日新聞・東京新聞の2002年12月08日日曜版に掲載)